小説
殺し屋の朝



 かん、かんかん、かん。まるでヒールを履いているかのような足音をわざと発て、赤毛の男はうんざりするほど歩きなれた路を行く。時々、すれ違うのはあからさまに堅気とかけ離れた、育ちがよろしいとはいえない連中で、赤毛の男自身もその括りにはいっているのだが、洒落た服装と、女が喜びそうな容姿が彼らとは一線を画す。が、それらを台無しにするのは、彼のトレードマークとなっている、東洋を思わせる狐の面。立体的な面を赤毛に被せるかのように斜に着け、男は路から小路、小路から路地裏へと歩を進める。
 奥へ、おくへと行くたびに、薄暗くなっていくのは雰囲気も手伝っているだろう。見上げれば太陽だって見える。また、歩を進めて、男はひっそりと佇む廃屋の前で足を止めた。ノックもなく錆びかけたノブを回せば、意外にもあっさりと男を受け入れる。ドアも同様に。
 ドアの向こうは外観からは想像もできないほど、住宅街に立ち並ぶ家の内装と変わりない。だが、それに感想もなく男は声を張り上げた。

「おい、いるんだろう。返事しやがれ――ダーティベア!」

 見た目よりも低めの怒声に応じたのは、男が期待した相手ではなく、その同居人のボーイソプラノだった。

「おかえりなさい、狐のおじちゃん!」

 赤みがかった栗毛に青色のおおきな猫目を持つ、一見すればどこぞの坊ちゃんといった美少年の姿に、狐のおじちゃんと呼ばれた男はへらっと笑い、挨拶に片手を上げかけて固まった。それから素早く室内に踏み込むと、勝手知ったる他人の家、と家主の寝室に殴りこむ。

「ダーティベア、俺の相棒はいつからショタコンついでに、猫耳倒錯趣味になり下がった……!」

 ベッドに埋もれる家主であるダーティベアの首を締め起こして怒鳴ると、いつでもやる気一杯という顔をした青い目の熊が見返してくる。やけに白い熊の首は平均男性の肌と同じ色で、つまりは熊の部分は人工物だ。
 巷では店のスキンケアエリアあたりで売られているフェイスパックタオルの内側で素顔を顰め、ダーテベアは呻く。

「なんだ、フォックス。朝っぱらから、うるせえな」
「誰の所為で怒鳴ってると思ってるんだ! いくらな、いくらキャットだからってな、お前は現実と夢想の区別もつかないのか?」
「ああ?」

 赤毛の男、フォックスは、おずおずと入り口で中をうかがうキャットを指差した。品がない、と鼻で笑いつつ、キャットに視線をやれば(パックタオルには穴らしい穴は開いておらず、目の部分は丸く青い刺繍がされているのだが、パックタオル装着中でもダーティベアの視力は正常だ)、頭からぴょこっと生えた猫の耳。いや、カチューシャであるからして、生えているわけではない。
 あえて言っておくが、キャットというのは愛称であって、少年は正しく人間である。間違えても猫そのものでも、猫の化身かなにかのファンタジックな存在ではない。

「……おおい、キャット。それ、どうした」
 再びベッドに埋もれたいのをこらえて尋ねるダーティベアに、キャットは嬉しそうに胸を張った。

「ぼくもおじちゃん達みたいにトレードマークを持つんです! ぼくはキャットだから猫さんの耳にしたんです!」

 えっへん、という文字が背後に見えそうなキャットに、ダーティベアも、ダーティベアの趣味だと決め付けて締め上げにかかったフォックスも、頭痛を感じながら天を仰いだ。その先には神も天使もなく、煙草の煙に黄ばんだ天井があるだけだったが。

「……フォックス、俺は寝る。寝るぞ。後はまかせた」

 再びベッドに倒れこんだダーティベアを、フォックスはふざけるな、と殴った。



「んー、まあ、鈴つけるよりは、ましか?」

 フォックスにたたき起こされたダーティベアは、悲しそうな顔をするキャットを宥め、なんとかカチューシャを外させることに成功した。しかし、代わりに鈴を通したリボンをチョーカー代わりにしようとするので、慌てて代用品を漁り、まんま、猫型プレートのついたチェーンを見つけた。何故あったのかは不明だが、実際に猫の首輪用だったそれは、キャットの手首を飾った。

「猫さんです。かわいい! 熊のおじちゃん、ありがとう!」

 きゅう、と足に抱きつくキャットの頭をわしわしと撫でてやり、ダーティベアは他所のキッチンで朝食作りにくるくる動くフォックスを見やる。

「お前、そんな細々やってるからキャットに『おかえりなさい』とか言われるんだよ。此処はお前の家かっての」
「お前と同居とか冗談じゃないね。相棒だって解消考えたの一度か二度じゃねえぞ。……特に飯時な」

 ぎっと睨んだフォックスに動じた様子もなく、ダーティベアは自身のトレードマークである白熊のフェイスパックタオルをつまんだ。愛らしいくまのパックは、その裏にあるタレ目気味の面相をきれいに隠している。

「飯時くらい外せよ。態々、口の部分に切れ込みまでいれやがって」

 吐き捨てながら、フォックスはスープにサラダ、パンなどをテーブルに並べていく。キャットは既にダーティベアの足を離れ、ナイフとフォークを用意してフォックスを手伝っている。

「キャットはいい子だなあ、どっかの熊とは大違い」

 ぽすぽすとキャットの頭を撫でながら、フォックスはごみ虫を見る目でダーティベアに視線をやるが、ひとり、さっさと椅子に腰掛けた彼は新聞を広げている。

「すーこーしーは、キャットを見習えってんだよ。なんで住人でもない俺がお前の飯作ってんの? わけわかんない!」
「ああ? 頼んだ覚えもねえのに嫁さんの真似事始めたのはテメエだろ。おかげさま、一人で呑みにいったときに『女房はどうした』とか絡まれるはめになる」

 パック越しでも十分伝わる嘲笑の表情に、フォックスはぎりぎりと歯を食いしばる。
 フォックスとて、好きで甲斐甲斐しく家事に勤しんでいるわけではない。ただ、ただただ、キャットという今どき珍しく、こんな場所で生活を始めてもスレることのない子供に健康で育ってほしいだけだ。ダーティベアときたら、放っておけば外食かインスタントで全てを済ませてしまう。自分たちの子供時代を思えば上等ではあるが、良いことではないのだ。

「狐のおじちゃんが作るご飯、おいしいですよ?」
「そーだな」

 熊のおじちゃんはきらい?
 少しばかり残念そうに小首を傾げるキャットに苦笑いしつつ、ダーティベアは今日の予定を確認する。

「キャット、今日の昼飯はママのとこ行って来い。ひょっとしたら帰りが遅くなるかもしれねえから、そん時は晩飯もな」
「はい! ママのご飯も大好きです!」
「キャットはあのひと好きだよなー……」

 フォックスはぐったりとしながら「ママ」の顔を思い出す。想像のなかで美貌が「きゃは」と笑顔を向けてきた。語尾にはハートのひとつでも飛んでいそうだ。

「ママはきれいでお料理が上手で、とっても働き者さんです! それに、やさしくて親切です。お嫁さんにはああいうひとを選ぶんやでーってコウモリさんも言っていました」
「あの蝙蝠野郎」

 苦々しい顔でフォックスが舌打ちするが、トースターがパンの焼き上がりを告げるのを聞き、急いでキッチンへ向かった。あとは焼きあがったパンをフォックスが持ってくるだけなので、キャットはダーティベアの隣に並ぶ椅子へとよじ登る。高さを調節するためにクッションが多めの椅子は、キャット専用だ。椅子に座ったことで近くなったダーティベアの顔に笑いかけるキャットの頭を撫でて、ダーティベアは新聞を畳んだ。

「育ち盛りとくたばりぞこない、ご飯ですよ!」

 焼きたてのパンの香りと一緒にフォックスが戻ってきた。
 日常のはじまりは、おおむねこの賑やかな朝からはじまる。

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あきゅろす。
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