小説
81ラウンド



 ドアが開いた瞬間、劉はナイフを投擲した。しかし、ナイフの進路に白はおらず、廊下の壁に当たって落ちた。

「危ねえなあ」

 声は下の方から。ドアの前でしゃがんでいた白は立ち上がるとずかずかと部屋の中へ入ってきた。
 隼が立ち上がろうとするが、やはり拘束された手足では叶わず、ただ「総長!」と悲鳴のように白へ呼びかける。

「はいはい総長ですよ、迎えに来ましたよ」
「ほんとうに来るとは思いませんでしたよ。いや、来られるとは思いませんでした」
「遊び心満載の生温いお遊戯につき合わせてくれてどーも」

 深緋は笑う。だが、その笑みは隼に向ける和やかなものとは程遠く、凍えきっている。劉が一番見慣れている深緋の表情だ。
 白はつかつかと歩き隼に向かって手を伸ばすが、その手は寸で止まる。劉が白にナイフを向けていた。

「生温いお遊戯はまだ終わってないよ」
「へえ、次はあんたってわけ」
「そう。でもわたくしは生温くない」

 ひゅっと一閃されたナイフを白はバックステップで避ける。

「俺は隼ちゃん迎えに来たんですけどー?」
「連れ帰りたかったらわたくしと深緋をどうにかしないと駄目よ」
「そんなルール聞いてないんですけどねえ?」
「聞いていなくてもお前は此処で終わり」

 劉は先ほどよりも素早い動作で白に斬り込む。使い慣れたナイフは掠っただけでもよく切れるということを劉は知っている。白もそれを察しているらしく紙一重で避け続ける。しかし、段々と息が荒くなっているあたり冷静に対処し続けられるのも時間の問題だろう。

「もう、もうやめてくれっ」
「深緋、弟いまだけ黙らせろ」

 得物もなく回避に回り続ける白に堪らず隼が叫ぶのを、劉は視線を向けないまま非情な声で切り捨てる。

「仕方ないですね。ごめんなさい、隼。少しだけ苦しいかもしれませんけど」

 深緋が手足を縛るさいに余ったタオルで隼の口を塞ぐのを視界にも入れず、劉はひたすら白に斬り込んでいく。その動きは白がこの部屋に辿り着くまで出会った誰よりも秀でていたが、その分その動きについていく白の化物加減を際立たせる。

「お前強いな。わたくし嬉しいよ」
「戦闘狂かよ」
「いいや、一介のゴミ処理係ね。だからお前も処分する」
「ひとをナチュラルにゴミ扱いとかやめてくれませーん?」

 閃くナイフを蹴り上げた靴裏で受け、そのまま弾き飛ばす白だが、劉は早々にナイフの柄から手を離し、次のナイフを袖から取り出す。

「おいおい、何本仕込んでるんだよ」
「さて、ね。それより息が荒いよ、くたばるなら潔くがお前らの美徳じゃなかったか」
「桜のように散れってか。冗談ポイだろ」
「ごもっと、も!」

 急に踏み込んできた白に劉は殴りかかられるが、上体をそらしてなんとか避ける。起き上がりざま脇腹をナイフで狙ったが白は殴りかかった勢いのまま体を捻って避ける。
 斬る、避ける。
 殴る、避ける。
 繰り返される動作はまるでオルゴールで踊る人形にも似ていた。
 だが、オルゴールの螺子はやがて止まるように、白と劉の攻防も終わりを迎える。
 目を狙った一閃を白はしゃがんで避け、気配を殺す。上下の動きと合わさり一瞬だけ劉は白を見失う。その一瞬だけで白には十分だった。
 ばねのように起き上がった白はその勢いに加えて腕を捻り、凶悪な掌底を劉の顎に叩き込む。

「がっぁ!」

 首の骨が折れてもおかしくない衝撃に、劉が仰け反るように後ろへ倒れかかったところへ白はがら空きの腹へ渾身の肘鉄を叩き込んだ。吹っ飛ぶ劉の身体はソファの傍へ転がり、起き上がる気配はない。

「水ぶっかかったおかげで匂いが落ちたわー」
「……グレーテルは余計なことをしましたね。ですが、顔色が悪いですよ」

 深緋はもう微笑んではいなかった。

「さて、隼ちゃん返してくれねえ?」
「返すとはおかしな物言いですね。まるで貴方のものみたいだ」
「俺のものだろ?」

 白はあっけらかんと言ってのける。深緋の顔が歪む。歪み、歪んだ末に般若のような笑みへと表情は転じた。

「なにも知らないくせに」
「あ?」
「ねえ、隼」

 突然声をかけられ、隼の肩が震える。

「貴方はずっと私が怖かったのでしょう? だから、強くなりたかった。強いものに縋りたかった。知っていますよ。
 貴方の彼に対する好意は庇護を求めるための大義名分でしかないことを」

 隼の目が大きく見開かれた。

「強ければ、私から貴方を守ってくれるなら、誰でもよかった。でもそんな人間早々いやしない。そう思っていたところに『化物』染みた彼が現れた。だから希望を持ってしまった。
 ――それだけのことでしょう?」

 だって、貴方は一度として「来るな」と言わなかった。

 隼はかたかたと身体を震わせる。
 違うといいたいのに口を塞がれていて叶わない。いや、塞がれていなかったとしても喉が張り付いて言葉が出ない。

 ――総長は強いですね。

 何度も繰り返した言葉は。

 お前のあのひとに対する好意は――

 千鳥が言いかけた言葉は。

「来て欲しかったんですよね。どんな危険が待っていても。私の元にいるくらいなら彼が死ぬ目に遇ってもよかったんですよね」

 蒼白になった隼から視線を外し、深緋は白を見やる。
 白は俯いていた。

「貴方は利用されていただけなんですよ」
「そう、か」

 白は小刻みに手を震えさせながら顔を覆い――盛大なくしゃみをした。

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