小説
80ラウンド



 階段を駆け上っていた白は前方がほの明るくなったことに気付くと咄嗟に横へと身体を捻った。その判断は正しく、先ほどまで白が立っていた場所に炎が迸った。

「あれれ? 失敗しちゃったんだよ」
「……火遊びとは感心しませんよ、お嬢さん」

 階段ホールに立つ女の甲高い声に白はげんなりとする。

「いまの季節コートなしは寒いんじゃない? グレーテルが温めてあげる!」

 差し向けられたのはグラスバーナー。しかしそれだけではない。グレーテルはもう片方の手にスプレー缶を持っていた。

「簡易火炎放射器じゃねえか!!」

 凄まじい勢いで伸びてくる炎を間一髪避けながら白は咳き込む。先ほどから激しい運動を繰り返しているせいか確実に熱が上がっていて辛い。

「熱い? ねえ、熱いの? 冷ましてあげるよ!」

 きゃはは、と笑いながらグレーテルは足元に置いてあったバケツを白に向かって蹴り飛ばす。ここが階段でなければ完全に避けることも可能だった。せめて体調が万全だったなら。しかし、どう足掻いてもここは階段で白は本調子ではない。
 降り注いだのは氷混じりの冷水で、運動と発熱で熱くなった白の身体を容赦なく、急激に冷やす。心臓が跳ねる音が全身に響いた。そこへ再びグラスバーナーが向けられる。

「こんがり焼けちゃえ!!」

 迫り来る炎に白はひゅっと息を呑み、思い切り階段を踏み切った。
 ぎりぎりで炎を交わしながら、白の足は壁を蹴る。
 スプレーを使った火炎放射は長く使えば手元にまで炎が伸びるので連続しては使えない。下手をすれば熱をもったスプレー缶が爆発する。
 白が再び着地するのと炎がやむのは同時で、白はその隙を逃さず一気に階段を駆け抜けグラスバーナーの先端を蹴り飛ばす。引っ張られる形でグレーテルの身体が大きくぶれて落ちてくるのを白は受け入れるように両腕を軽く広げ、そのままグレーテルの腹へ拳を叩き込んだ。重力も加えられた一撃にグレーテルは声もなく意識を飛ばす。

「女性を殴るのは趣味じゃないんですけどねえ……げほっ」

「あー、しんど」と咳で痛んだ喉をさすり、白は受け止めたグレーテルを階段ホールに放り捨てる。

「チェーンソー男に火炎放射器女。次はなんだ?」

 どんなえげつないものが待っているのだろうか。そんなもの待ち望んではいないのに、と思いながら白は荒くなった息を深呼吸でどうにか治めようとするが、上手くいかない。
 熱かった身体が段々寒気にも見舞われている状態に白はどうにか舌打ちを堪えながらびしょぬれになったシャツを脱いで絞ってから着なおす。それだけでぞくぞくと悪寒が走った。

「帰ったら病院行こうそうしよう。ナースのお姉さんと仲良くなるんだ。間違っても火炎放射器なんざ持ち出さない白衣の天使とな!!」

 ヒャッハア! と声を上げて白は階段を駆け上り始める。
 だが、階段を上り終えて最上階までやってきて白は引き返したくなった。
 一室のドアの前、男が一人で立っていた。いや、一人と一匹で立っていた。

「グルルゥ……」

 正しく獣の唸り声を上げるのはドーベルマン。耳と尻尾は短く切られ、ぴん、とたっていて、首には刃物のついた首輪がつけられている。

「……戦闘軍用犬かよ」
「人間の身体能力は小型犬にも及ばない」

 男が抑揚のない声で言う。ドーベルマンはその足元で、今か今かといつでも飛びかかれる体勢をとっている。
 白はいっそ笑い出したくなる。

「チェーンソーに火炎放射に次いで今度は軍用犬だ? いったいなんのテレビ番組だよ。誰が得するんだ」
「俺達の雇い主だろう」
「趣味悪いな」
「そうかもしれないな」

 男はあくまで淡々と喋る。白は男からドーベルマンへと視線を移す。

「動物虐待はしたくないんだが」
「では、おとなしく刺されるなり噛み付かれるなりするといい。
 ジャッキー、GO!」

 ドーベルマンが床を蹴った。
 白は向かってくる獣に淡い笑みを浮かべる。

「ジャッキー、D o w n ! !」
「キャンッ」

 男の合図を上回る覇気のある大喝に、ドーベルマンは悲鳴を上げてその場に伏せた。

「なっ……」
「戦闘軍用犬だあ? 山の主のが万倍怖えよ」

 パルクール習得の名目で山に篭ったことのある白は言いながら驚愕する男に迫り、その胸倉を掴んで投げ飛ばした。どん、と男の身体はコンクリートの壁に当たり床へと跳ね返る。呻く声がするが、すぐに起き上がる様子はない。
 白は大きく息を吐き、気付いていながら無視し続けていた監視カメラをようやく振り返る。
 にい、と笑みを浮かべて白は男が前に立っていたドアのノブに手をかける。

「迎えに来たぜ」

 ひらひら監視カメラに手を振って、白はドアノブを回した――

[*前へ][小説一覧][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!