小説
74ラウンド



 白の早退を聞いた隼はそのまま白の鞄を持って校舎を出た。白のいない学び舎に留まる価値はない。
 当たり前にそう思って行動しているのだが、今日は千鳥の発言もあり思考がぼんやりとしていた。
 千鳥の言った「あいつ」は隼の母親を連れ去ったあの男で間違いない。
 絶対に迎えに来る。
 そう、呪いの言葉を吐いて十数年姿を見せないあの男。
 弱ければなにをされても文句はいえない。
 男の言葉が正しい世界に身を置いて数年。なぜ今更千鳥はあのときのことを持ち出したのだろうか。秋口に見た夢といい、なぜ今更。
 大丈夫のはずだ。
 ふらふら歩きながら隼は繰り返す。

「だって、もう何年も……」

 今更なのだから、大丈夫。

「それに、そうちょうが……」

 白がいるから。
 そうだ、白がいる。
 だから大丈夫。なにもかも吹き飛ばしてしまえるようなあのひとがいる。
 ならば大丈夫だ、なにも問題なんてない、大丈夫だいじょうぶ、そうだろう?
 じわり、胸にまた違和感が広がる。同時に千鳥が言いかけた言葉がよみがえる。

 ――お前のあのひとに対する好意は……。

 続きはなんだろうか。
 好意、好意。
 あの瞬間、白に手を引かれていま歩いている道を往ったときから胸に渦巻くもの。尊敬と信頼に加えられたもう一つの大きな要素。

「……好きです」

 ぽつり、信号待ちの横断歩道で隼は呟く。横切る車がそれをかき消した。



 鳴ったインターホンに白は読んでいた本を閉じて、椅子から立ち上がる。
「へーい」と返事をしながらドアを開ければ、そこにはどこか呆けた顔をする隼がいて、白は「鞄ありがとさん」と声をかけた。

「そうちょう」
「うん?」

 呆けながらも鞄を白に渡す隼が掠れた声を出すので、白はごく普通に首を傾げて促す。

「総長が好きです」

 しん、と沈黙が落ちる。
 しかし、それは一瞬のこと。次の瞬間には白は「そうか」と頷いていた。

「それで隼ちゃんはどうしたいんだい」

 呆然としていた隼の目が揺らめく。
 口を開いて、閉じて、言葉を探しているのがよく分かった。
 白は固い表情筋がうそのようにやさしく微笑み、隼の手をそっと握る。
 瞬間、隼は白に口付けていた。
 触れるだけのキスを一回、すぐにもう一度唇をすり合わせるように二回。どちらともなく絡んだ舌はいつかの情交未満のそれを思い出させる。
 白は隼の後頭部に手をやり、軽く髪を引っ張る。
 離れた唇は名残惜しそうに銀糸が繋がっていて、ひどくいやらしい。

「そうちょう」
「来るならおいで」

 白は一歩隼から離れ、部屋のなかへと佇む。未だ敷居を跨いですらいなかった隼は一瞬の躊躇もなくふらりと足を踏み出した。
 白はやはりやさしく微笑んだまま一歩の距離を詰めなおし、ドアノブへと手を伸ばす。
 きい、と音をたてたドアは誰に遮られることもなく閉じていき、鍵が閉められる。

「総長、そうちょう」
「うん」
「総長が好きです」
「うん」

 繰り返すキスの合間あいまに隼は言う。白はその度に頷き、縋りつくように抱きつかれれば抱き返した。

「隼」
「……はい」
「選ぶのはお前だよ」

 戸惑った顔をする隼に、白ははぐらかすように深緋の髪をくしゃくしゃと撫で回す。それからじっくりと抱きしめた。抱き合ったくらいでは伝わりようのない鼓動が聞こえる気がしたのは錯覚だろうか。

「俺は総長の傍にいたいです」

 蚊の鳴くような声で隼が言えば、白は隼を抱きしめる力を強くしてその耳元に囁く。

「いいぜ、隼。お前が選ぶ限り」

 どういう意味かと隼が問う前に白は隼の唇に噛み付くようなキスをして、引き摺るように寝室へと連れて行く。
 縺れ込む様にベッドへと倒れ、服を脱がし合う。いつかと違い、お互い素面だ。
 ――ほんとうに?
 白はくつり、と喉の奥で笑う。

「ごめんな、隼」

 口の中で転がした謝罪はキスで溶かして消した。



 鳴った携帯電話。
 白は横で眠る隼が起きぬうちに素早く取り出すとシャツを羽織ながら応答ボタンを押し、寝室を出る。

「はい、もしもし」
「やあ、息子」
「どうもクソ親父。用件を簡潔にどうぞ」
「本家跡取りのボディーガードが正式にお前で決定したよ」
「そうですか」
「大学進学と共にあちらへついてもらう」
「急な話ですね」
「今更でもあるだろう?」
「そうですね」
「その口調、ちびすけの頃を思い出すよ」
「そうかよ。用件はそれだけか?」
「ああ、それだけだよ」
「そうか、じゃあ切るわ」

 言うが早いか白は通話を切る。電源も落とそうとするがまた何か連絡を寄越すかもしれないのでそのままにしておくことにして欠伸をしようとすれば、それより早くくしゃみが突いて出た。

「くしっ……あー、マジで風邪かよ。隼ちゃんに移ってたらどうしましょ」

 風邪薬あったかな、と呟いてから、白は手の中の携帯電話をくるり、と回す。

「予定は未定、決定にあらず。精々踊るとしようか」

 静かな声が夕暮れの薄闇漂う廊下に落ちた。

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