小説
電話のこと



 ちい先生は携帯電話を持っている。
 なにかと物騒な昨今、GPS機能付きの携帯電話を親が持たせてくれたらしい。いいごりょーしんだな、と親におっ放り出された俺はなんとなく感動してしまう。

「首に鈴をつけられたような気分だよ」

 携帯電話はあくまで電話。高い玩具ではない、と言い切るちい先生にとって、あれこれ詮索されるのは気分がいいものではないらしい。

「僕の行くところなんて限られているんだから、迂闊に他所へ行ったらすわなにごとぞとばかりに騒がれるんじゃないかと気が気じゃないよ」

 ちんまりしたオレンジ色の携帯電話をくるくる片手で器用に回しながら、ちい先生が「そう思わないかい?」と同意を求めるので、俺はううん、と唸りながら考える。

「俺とこうして話してしまうようなちい先生だからごりょーしんは心配なんじゃない?」
「ふむ、一理あるね。僕は普段から僕だから、そんな僕をよくよく知っている親が鈴のひとつも付けたくなる気持ちも分からなくはない」
「でしょう?」

「なるほど」と納得顔をするちい先生に俺はちょっとだけ得意になる。

「しかし、電話というのは便利だけど不便だね。
 電話は嫌いな奴と連絡がついてしまう悪魔の発明なんて言ったひとがいるけれど、まったくその通りだね。しかし、好きなひとと結びつくものでもあるから一概に迫害することはできない。まあ、道具である以上はなんにせよ使い方次第なのだけれど」

 得意になったのもつかの間、あっという間にちい先生の思考に俺は置いてきぼりをくらう。けれど、一所懸命追いかけて考えることが俺には必要なことなので、どうにかこうにかちい先生に質問をする。

「ちい先生嫌いなひといるの?」

 ちい先生がひとを嫌うというのはちょっと想像し辛い。だって、こんなヤクザの下っ端にだって臆せず話しかけて大好きとまで言ってくれるんだ。大抵の奴はちい先生の……ええと、きょよーはんいだと思う。
 ちい先生はきょとん、としてからからから笑う。

「そりゃいるよ。例えばひとの話を聞かない、聞こうとしない奴なんて苛々するね。思考をぶった切るならともかく放り出す奴はね、相手するだけ自分の時間が勿体無いよ」
「ちい先生の話聞かないひといるの」

 こんなにも染み込む様な話し方、声をするちい先生なのに。
 でも、ちい先生は案外辛辣だ。
 俺はちい先生と出会ったから分からないことでも考えるようにしたけど、ヤクザの世界はある意味二進法。白黒はっきりしていて、兄貴や親父の言うことに絶対だから、俺は考えるなんてことを態々しなくてもよかった。むしろ、一々考えていたらきりがない。

「ちい先生、俺にも苛々したの?」
「まさか!」

 少しだけ恐々しながら問いかければ、ちい先生は強く否定してくれた。

「米くんは僕の言葉にきちんと応えてくれたでしょう。思考を放棄したひとはそれすらしないんだよ。それに米くんはきちんと考えられるひとだよ。嫌いになるなんてないさ」
「でも、俺ばかだし……」
「ばかじゃないよ。米くんは絶対にばかじゃない。まあ、人間ちょっとくらいばかな方がいいけどね」
「そうなの?」
「損得勘定のみで動く奴よりいいでしょう?」

 それはヤクザ世界に生きる俺には頷き辛い言葉だったけど、確かに義理で動かなくてはいけないときがあるからなるほど、そうなのかもしれない。

「たとえが悪いけど、少しくらい損をしても後々のことを考えると得になることもあるね」
「情けは人の為あらずってね」
「でもこれも損得勘定じゃない?」
「その時に後々の見返りを求めているかいないかの重要な違いさ」

 俺はきっとそこまで後のことを考えられない。
 そう言えばちい先生は「米君のそういうところが大好きだよ」と言う。
 ちい先生は思考を放棄した奴が嫌いで、ちょっとだけばかな奴が好き。好き嫌いがまるで綱渡りだ。でも、ちい先生のなかではきっちり整頓されていて、矛盾なんてないんだろうな。いや、理路整然と矛盾しているのかもしれない。うん、理路整然。

「俺、ちい先生のおかげで語彙が増えたよ」
「そう?」

 でも、さか……さかしらぐち? を叩き過ぎるとよくないから、あんまり発揮しない。そういうのも社交術の一種なんだ。

「ちい先生は友達ともこういう話するの?」
「するときもある。でも大抵は思考を放棄されてしまうから、あまりしない」

 ちい先生も俺と同じ社交術を使っているらしい。小学生でも接待とかあるのかな。自分のこども時代はろくなもんじゃないからその辺りはさっぱりだ。

「ねえ、米くん」
「なあに、ちい先生」
「米くんは……」

 ちい先生の言葉を遮って、携帯電話の初期設定と思われる音楽が公園に鳴り響いた。
 ちい先生は顔を少しだけ顰めて「失礼」なんて大人びた一言を添えて携帯電話を取り出す。

「はいもしもし。はい、うん、公園だよ。分かった。うん、うん、はい。じゃあね」

 折りたたみ式の携帯電話をぱくん、と閉じて、ちい先生は俺に申し訳なさそうな顔をする。

「どうやら用事ができてしまったみたい」
「そっか」
「やっぱり携帯電話は悪魔の発明だね。米くんとおちおち話もしていられない」

 ため息を吐いてちい先生はベンチからぴょこん、と飛び降りる。この子供らしい動作が俺は好き。

「じゃあ、米くん。またね」
「うん、ちい先生。またね」

 ちい先生は手を振り公園の出口へと駆けて行き、振り返ってもう一度大きく手を振ると今度こそ公園を出て行った。
 残された俺は時間を確認するために、携帯電話を取り出す。

「あ、連絡先交換すればよかった」

 そうすればちい先生も悪魔の発明と言い切ることはなかっただろうか。俺の連絡先ひとつでそうなるとしたら、したら……。

「すっごく嬉しいことだなあ」

 俺は一人で照れながらベンチから立ち上がる。
 それではいまはいないちい先生、また明日。
 心のなかで呟いて俺も出口へと向かった。

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あきゅろす。
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