小説
70ラウンド



 約束通り隼は母親にも父親にも青年のことを話さなかった。男同士の約束を破ってはいけないと父親にはよくよく言われていたのだから尚更だ。そういう父親は仕事を理由に隼との約束をよく破っていたので、その分隼は約束事に潔癖な部分があった。
 だから学校から帰ってランドセルを置いて公園に行くときも、青年がいると信じて疑わず、事実、ベンチに腰掛けている青年を見つけるとうれしくて堪らなかった。

「おにいちゃん!」
「こんにちは、今日も元気ですね」
「うん、元気だよ」

 青年は駆け寄ってきた隼を見てベンチから立ち上がると、そっと隼の頭を撫でた。その手は少しだけぎこちなかったけれど、隼は不快ではなかった。忙しい両親を思えばこういった触れあいに飢えていたのかもしれない。
 にぱっと笑う隼に青年は少しだけつり目を見開き、それから幾分緊張のとけた手で隼の髪を梳いた。

「今日はなにをしましょうか」
「ブランコに乗りたい! おれね、立ち漕ぎ得意なんだ。おにいちゃんできる?」
「さあ、やったことがないので……やってみましょうか」
「うん」

 隼は自然に青年と手をつなぐとブランコへ向かって歩き出す。その目はブランコに釘付けだったから、青年の驚いた顔も一瞬震えた手にも気付かなかった。気付かないまま歩いていたから、ブランコについて振り返り仰いだ青年の顔が酷くやさしい、うつくしいものになっていて隼はとても驚く。

「どうしました?」
「おにいちゃん、きれい……」
「きれい、ですか?」

 青年は困った顔になって自分の頬を撫で、一瞬だけ苦い顔になる。

「きれいって言われるのいや? かっこういいのほうがいい?」

 慌てて隼が言えば青年は首を横に振る。

「あなたに言われるのは嫌じゃありませんよ。さ、ブランコのお手本見せてください」
「う、ん」

 青年の苦い顔が忘れられず隼の返事は鈍いが、それでも背中をぽん、とたたく青年の手に促されてブランコへと乗る。
 きい、きい。
 ゆっくりブランコが揺れるのを青年が微笑しながら見ているので、じきに隼は張り切って漕ぎ出す。
 きい、きい。
 振り子は段々と大きく揺れ始め、隼の視界には広々とした空が見えた。とてもいい天気だった。

「おにいちゃん、お空きれー!」
「ああ、ほんとうだ。天気がいいですね」
「お兄ちゃんも乗ろう? お空近いよー」

 隼が誘えば青年は「そうですね、じゃあお隣失礼します」と言って隼の隣のブランコに乗った。
 きい、きい。
 軋んだ音をたてるブランコは隼が漕いだときよりも早く隼と同じ高さまで揺れて、いつの間にかふたりの乗るブランコは交互に上へ下へと交錯し、隼は一瞬だけ見える青年に何度も笑いかけた。青年もじっと隼へ笑みをおくりながらブランコを漕ぐ。
 きい、きい。
 ブランコの軋む音は、まるで時間を刻むように繰り返される。
 きい、きい。
 あの瞬間が訪れる足音のように、絶え間なく……。



 青年と出会って五日。
 隼は毎日公園へと通っていたが、その日は千鳥が登校していたので、隼は公園へと誘おうかどうしようか悩んだ。
 青年に「お母さんには内緒」と言われていたが、千鳥は母親でも父親でもない。
 うんうん悩んだ末に、隼は久しぶりなのだからと誘うことにした。
 隼の誘いに千鳥は「お仕事の打ち合わせがあるけどすぐに終わるから待っててね」と言ったので、いきなり対面させるよりはいいだろうと隼は頷く。そしてその日もランドセルを家に置くと公園へと駆けていったのだ。
 青年はやはりベンチに掛けていて、隼を見つけるとどこか眩しそうな笑みで「こんにちは」と言う。隼はそのときの和らいだつり目が好きだった。

「こんにちは!」
「今日はなにをしますか? また砂場で山でも作りますか? それとも鬼ごっこでもしましょうか。そういえば昨日は好きなバラエティ番組が放送していましたね、楽しかったですか?」

 隼が一度話したことを青年は忘れないらしく、以前ちらっとだけ言ったバラエティ番組のこともよくよく覚えている青年に隼はうれしくなる。

「面白かったよ! あのね、今日は鬼ごっこ、千鳥がきたらやりたい!」
「ちどり……?」

 青年が怪訝そうな顔をするので隼は悪いことをしたかと慌てながら「おれの友達」とぽしょぽしょした声で説明する。

「だめ、だった? でもお兄さんのことは言ってないよ」
「いえ、駄目ではありませんよ」

 苦笑いしながら青年は隼の頭を撫でる。ここ五日間で随分と緊張感のなくなった手に隼はほっとした。
 それからふたりはまたいつかのようにブランコを漕いだのだが、そこへ振り子をとめる人物が現れた。

「隼」
「あ、お母さん」

 公園の入り口から声をかけながらやって来きたのは、仕事帰りらしい母親だった。
 母親は時折早く帰るさい、家路の途中である公園に隼がいれば一緒に帰るようにしている。このときもそうだった。普段と違うのは、隼が青年とともにいたことだ。
 母親は青年を見て一瞬足をとめたが、すぐに早足でブランコを降りた隼のそばへとやってくる。

「遊んでいただいていたの?」
「えっと……」

 内緒にするという約束があるのですぐには肯定できず、隼は目を泳がせる。それで母親はピンときたようで申し訳なさそうな顔をすると改めて青年と向き合い――硬直した。

「…………あ、き?」

 隼同様ブランコを降りた青年はうめき声に似た声を上げる母親に微笑みかける。

「はい、お久しぶりです――××」

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あきゅろす。
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