小説
64ラウンド
気付けば白は屋上の柵にもたれてサンドイッチを貪っていた。
人間は心身に限界が訪れると意識が暗転するようにできているのだが、白は意識下でそもそもの目的を果たしていたらしい。
「ぐっじょぶ自分」
いつもの流暢な外国語からは想像もできない平仮名発音で呟き、白は力なくサンドイッチの包装を握りつぶす。
いまは何時だろうかと腕時計を確認すれば、昼休みが終わるにはまだ間があった。ということは現実から逃避してさほど時間は経っていないのだろう。
「なんであいついるんだよ……いや、葛谷と姉妹校だから文化祭で交流会やらの一環とかか」
「なんか妙な役職についてたはずだし」と記憶を探り、白はがっくりと俯く。
優と白は優が自己紹介したとおり又従兄弟だ。血のつながりとしては少々遠いが、その関係は中学時代までは近かった。もっとも優は全寮制の葛谷学園に在校していたので会うといっても長期休みのときくらいだったが、その長期休みに白はほぼ本家に泊まっていたのだ。同い年ということもあり、ボディーガード訓練の一環として。十代前半の少年になにを求めているのかと、つくづく白は父親のろくでもなさを呪いたくなる。
はあ、とため息を吐いたところで屋上のドアが開く音がする。
顔を上げればそこには件の優がいて、白は顔を見られたくないとばかりに胸ポケットからサングラスを取り出した。
「なんの御用ですか、坊ちゃん」
「同い年で坊ちゃんもなにもないだろう」
「嫌味だよ」
「そうかい、気付かれない嫌味と打撃にならない嫌味は嫌味にならないよ」
「ご高説どーも」
「拝聴料でももらおうか」
「昼飯買ったばかりなんで小銭しかねえよ」
「キスでもいいよ」
白は鼻で笑う。
「冗談」
「わたし達の仲じゃない。まあ、お前のそういう顔を見れたからよしとしようか」
「どんな顔ですか」
「心底くだらないっていう顔だよ。ひとりでいると今でもそういう顔になるのかい? お友達と一緒のときとは随分印象が違う。やっぱり変わったね、お前」
白は自分の顔に手をやって、不機嫌に口角が下がっている唇をなぞった。
「ねえ、白」
「なんだ、性悪」
「今は楽しいかい」
老いたような声で優は訊く。
「心底」
白はこどものように無邪気に応える。
「そうかい」
「ええ」
白は頷いたあと、脳裏を過ぎった顔に躊躇しながら問いかける。
「あいつは元気か?」
「わたしの弟なら健康だよ。相変わらずヒステリックだけどね」
「……その原因がなに言ってやがる」
「この件に関しては他人にどうこう言われたくないね」
優は白がしたように鼻で笑う。
「ひとの初恋ぶち壊しておいてそれかよ」
「初恋は叶わないと昔からいうだろう?」
「それだけじゃねえだろ」
「弟を不幸にさせたくないのは兄として当たり前だと思うけれどね。いまのお前ならともかく、あのときのお前にはとても弟をやれないよ」
白は口を噤む。
反論する言葉を持っていなかったのだ。
優は労わる様な笑みを見せ、不意に真顔になる。
「ねえ、白」
「……なんだ、色情狂」
「あの子は……」
「あ、総長戻ってきたー」
「あの後全力ダッシュしてましたけど、昼食食べました?」
教室に白が戻ると、すでに席へかけていた隼と千鳥が手を振った。
「ああ、食ったよ、食いました。はい、証拠」
「ゴミ押し付けないでよー」
「総長命令、ゴミ箱へよろしく」
「うへーい……」
千鳥は心底面倒くさそうな顔でサンドイッチの包装を白から受け取ると、ゴミ箱のほうへ歩き出す。
「隼ちゃん」
「はい、なんですか?」
「今夜なんか食わしてやるよ」
珍しい白からの誘いに隼はまばたきをしてから笑みを浮かべた。
「――……だよ」
穏やかな声で囁く優に、白は柵に肘つきサングラスを押し上げる。
「――知ってる」
「そう。なら、わたしはなにも言わないよ。
じゃあ、文化祭のほう頑張っておくれ」
ひらり、手を振って優はあっさりと屋上のドアの向こうへと姿を消し、残された白は風に紛れるよう口笛を吹く。
「総長の作ったオムライスが食べたいです!」
「ああ、隼ちゃんチキンライス気に入ってるしな」
「ご存知だったんですか?」
白は笑う。
「うん――知ってる」
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