小説
二杯目
加奈子がテッセンを訪れた三日後、四季は転がり込むように店へとやってきた。
「マスタアアアアア!」
「うるせえなっ、なんだっつうんだ」
カウンターから身を乗り出さんばかりの勢いで叫ぶ四季に怒鳴り返し、ついでに一発引っ叩いてやった静馬だが、それでも四季の勢いはとまらない。
「元カノがきたってどういうことだ!」
「それを知ってるお前がどういうことだだよ……」
諦めたようにいう静馬に四季がそっと目を逸らすが、静馬はそれ以上追及をしない。
以前交わしたテッセンにヤクザ絡みの厄介ごとを持ち込まないという約束に関わっているとわかっているからだ。
「ま、まずはブレイクタイムだぞ。いつもの頼む」
「……エスプレッソでよろしーですね」
静馬がデミタスを用意し始める間、四季がぶつぶつと「焼けぼっくいに火が……」「俺のマスターを……」だの呟くのが聞こえたが、静馬は無視してエスプレッソを淹れる。
「はいよ」
「ありがとさんだぞ」
カウンターに置かれたデミタスへ砂糖をいれて、四季は軽く混ぜてから一口飲む。それから真顔で口を開いた。
「で、なんだって元カノが態々きたんだ?」
「なんでそれを一々報告せにゃなんねえんだ」
「他の誰かにマスターをほいほい譲れるほど軽い気持ちじゃねえんだぞ」
静馬は苦笑いする。
整った容姿に後ろ暗いが金と権力を持ち、気前もいい四季ならば大抵の人間は歓迎するだろう。だというのになぜ自分のような好意に拳で返す人間を選んだのか。趣味が悪いとしか思えない。
これが手に入らないものへの執着ならばまだ分かるが、貫之から聞いた言葉から察するにそういうことはないだろう。
一途に惚れられている。
(厄介だなあ……)
迷惑だった好意に向き合うようになり始めた自分を厄介だと静馬は思う。以前のようにただ拳で返すだけではなくなり始めた自分のことを、実を言えば静馬は理解していた。
絆されたといえば絆されたのか。
もう一年にもなる付き合いだ、当初と同じ感情でい続けるほうが難しいのかもしれない。
「結婚するんだとさ」
「益々不安じゃねえかっ」
加奈子の来店理由をざっくり言えば、四季は悔しそうに膝を叩いた。これがカウンターだったらもう一発引っ叩いているところだ。
「マリッジブルーの末に元彼とより戻そうとか多いんだぞ!」
「あいつの場合そりゃねーよ。マリッジブルーは正解だが、すぐ吹っ切れる」
加奈子は元々答えを持っていて、それを誰かに知っていてほしかっただけなのだ。それが偶々静馬だっただけで、加奈子との関係が今更どうこうなることはない。
しかし、書面上でしか加奈子を知らない四季にはそう考えられないのだろう。
「くそ、マスターに言い寄るんだったら俺の持つスキル全てを以ってして妨害を……」
「一般人になにする気だこの野郎」
「表側の地位と権力、容姿にスマートさを持つ俺をなめるなよマスター。結婚前に揺れる女を口説き落とすなんざ朝飯前だ」
「やめろ四十路」
「見た目は四十路じゃねえよ、童顔マスター」
「自分で言うな。あと童顔じゃねえ」
他愛ないいつものやりとりだと思い、静馬はふっと思いつく。
もはや四季は静馬の日常にいるのだ。日常の一部なのだ。
貫之の懇願など関係なく、つかず離れずの関係は成されている。
「……ほんとうにあいつとはなんでもねえよ。次来るとしたら旦那と一緒だ」
「……ほんとうにか?」
「ほんとうにだよ」
四季は難しい顔でエスプレッソを啜り、ほうっと息を吐く。
「取り乱して悪かった」
「別に」
静馬の元恋人が現れたと知ったときの四季の反応など予想の範囲内といえば範囲内だ。鬱陶しいが気にしてはいない。
以前ならばたたき出していただろうに、今ではこうして受け流すまでに慣れてしまった。
「マスター」
「あん?」
「結婚なんざするなよ」
「……どっかの誰かさんが付き纏っているうちはおちおち身内も招けねえよ」
「肩書き持ちのエリートサラリーマンな恋人ですって紹介してもいいんだぞ」
静馬は鼻で笑う。
「野郎の恋人なんざいらねえよ」
「つまり俺が女装を……」
「やめろ」
想像しただけで気色が悪いと顔を顰める静馬だが、四季は「和装ならなんとか……」と真剣に考え始めている。周囲に女性的な男が多いせいだろうか、抵抗は少なそうだ。もっとも、組長が女装など貫之が許しそうにないが。許したとしても静馬の前だけだろう。いらない特権である。
「うちの親はわりと放任だし、祖父さんは俺がもっと若いうちから店譲るくらい懐広いし、野郎だろうが女装だろうが気にしねえだろうけどな」
「じゃあなんの問題もなく恋人としてだな……」
「俺はいやだがね」
四季の言葉を遮り、静馬は肩を竦めて軽く言う。四季は舌打ちをしてエスプレッソを煽る。
「マスター、お代わり!」
「あいよ」
「以前より愛想は出てきたのになんだって頑ななんだよマスター……」
空いたカップを片付けエスプレッソを新しく淹れる静馬の背中に情けない四季の声がかかった。
「そりゃ俺が平々凡々とした一般人だからだよ」
「マスターが頷けばすぐにでも久巳の姐になれるぞ」
「いまの生活に満足してる」
言って振り返った静馬はカップをカウンターに置こうとして四季の丸くなった目を見て手をとめる。
「なんだよ」
「いや、てっきり『四季と一緒じゃなくちゃ満足できないっ』とは言ってくれなくても『くそヤクザさえいなけりゃな』くらいはついてくるかと思って……」
四季の言葉でふたりの間になんともいえない雰囲気が漂う。
「……お前、金落としてくれるし」
日常の一部。そう認識したのは今さっきだというのにそれをこんなにも早く露見させるとは、と静馬は内心で頭を抱えた末に愛想のない言葉を落とす。
だが、相手は博徒。駆け引き有りきの世界で生きる四季だ。なにをどう察したのか耳元をぽっと赤らめてそれを誤魔化すように砂糖をぼちゃぼちゃと二つカップのなかに投じた。
「今日はいい日だぞ」
「……天気がな」
「ああ、天気もいいな」
くぴり、と先ほどよりも甘いエスプレッソを四季が飲み終わるまで、テッセンは奇妙な沈黙に包まれていた。
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