小説
四杯目




 ふんわりとバターをきかせたハニートーストを齧りながら、静馬はちらりと貫之を覗う。時折よこされる視線が鬱陶しいだろうに貫之は言った通り食事を終えるまで口を開くつもりはないらしく、清々しいまでに静馬の視線を流す。
 もちろん、きまずい沈黙を作ることなく話を振り、その話術たるや相手が「久巳組本部長」と名乗っていなければ楽しい昼食だっただろう。

「ふう、美味しかった」

 大体同じ間に食べ終えたふたりは、やってきた飲み物にぴん、と緊張の糸を張らせる。
 シュガースティックの半分だけ砂糖をいれたブルーマウンテンをひと口飲んでソーサーに置いた静馬は、心持ち背筋を正して貫之と向き合う。

「……あなた、強いのね」
「は?」
「普通私達と面と向かい合う素人なんていないわよ」
「だって、それは……」
「四季が久巳を選ぶ限り私は四季の全てを助けるわ。でも、四季が久巳を選べなかったとき、その障害を排除する」

 強い声だった。張り詰めた声だった。泣きそうな声でさえあった。
 静馬は一度久巳組と天秤にかけられ、四季に見捨てられたことがある。というよりも、それが当然だとなぜか当たり前に思っていた。
 目の前にいる男、貫之もそうなのだろう。
 久巳組第一。
 なにがふたりをそこまで駆り立てるのか、静馬はふたりの過去も現在もなにも知らないし、知るべきではないようにも思う。

「……なんてね」

 難しい顔をする静馬を安心させるように、貫之は軽く茶化す。

「ほんとうはそんな権利ないのよ」
「権利?」
「義務かしら。私達は久巳組を選び続ける義務がある。てきとうなところで後に任せて隠居なんてできないわ。時期を見て後進に託しはするけどね」
「結局なにが仰りたいんですか?」

 貫之は泣きそうな顔で笑む。

「着かず離れずでいてやって」
「は?」

 わけがわからず声を上げる静馬の前で、貫之は頭を下げた。

「あの子の兄としてのお願いよ。あの子のものになれなんて言わない。だけど離れないでやって! あの子はようやく、ようやく……!」

 最後は泣き声だった。

「私が悪いの。小さな弟を道具にして、引き金にして久巳組を動かした。私が全て背負うべきなのに、あの子は兄を見捨てられない。兄を手放せない。だから、ねえ、お願い。やっとあの子は久巳組と天秤にかけられるものを、ひとを見つけたの。あなたには迷惑であっても、どうかあなたから離れないであげて。あのまま、あのカフェにいてあげて」

 想像していた話とまるで正反対だった。
 静馬に分かるのは貫之には四季に強い負い目があることと、四季を受け入れずとも拒絶しないでほしいという願い。
 ただそこにいるだけでいいいと貫之は言う。
 兄としての願いだと涙を流す。
 静馬は貫之は、貫之も四季もヤクザなんかに向いていないのだろうと思った。
 ただ、境遇がそうであっただけ。
 そうならざるを得なかっただけで。
 冷めかけのブルーマウンテンを半分ほど飲んで、静馬は「頭を上げてください」と淡々と言う。
 ゆっくり上げられた中性的な顔はやはり涙に濡れていて、静馬はハンカチを差し出した。

「ふ、ふふ、五十路のおじさんに親切ね」
「そう見えませんよ」

 ほんとうに。
 貫之は心持ち涙を拭い「クリーニングして返すわ」とそのまま鞄にハンカチをしまいこんだ。
 静馬は気にしないのだが相手の気持ちだろうから何も言わずに頷き、それから一息にブルーマウンテンを飲み干した。

「――拒否とか、拒絶とかいまは分かりません」

 びくり、と貫之の肩が震える。
 テーブルのモカはすでにぬるいだろう。

「でも、俺は態々店を引っ越すつもりはありません。どんな客が着たとしても、です」
「それは……」
「あんまり迷惑なら、追い出しますけどね」

 肩を竦めながら言った静馬に貫之は微笑み「ありがとう」と万感がこもった礼を言う。静馬はそれをあえて聞こえないふりをした。

「珈琲、お代わりしていいですか」
「ええ、もちろん。店長」
「はい、いまうかがいます」

 自分の淹れる珈琲とは風味の違う珈琲を楽しみながら、静馬は今頃やきもきしているだろう四季を思い返す。
 今日は休日だが明日はきっと来るだろう。
 その時に出してやるのはきっとエスプレッソだ。

「たまにはおとっとき出してやってもいいかな」

 味が分からなければ二度と出さないが、と胸中で続けたが、貫之は静馬の呟きを察したらしく、おかしそうに声を上げて笑った。
 その顔はまさしく弟思いの兄で、いつまでも静馬の胸に余韻を残していった。



 貫之と別れた翌日の夜、四季が妙に緊張した面持ちでやってきた。

「いらっしゃい」

 バーに来るのは久々だなと思いながら声をかければほっとひと息ついて「邪魔するぞ」と返してきた。
 いつものカウンター席に腰掛けて、注文するのはマティーニ。よくも悪くも王道が好きなのか、と思いながら静馬は「まさかシェイクじゃないよな?」と確認する。四季は苦笑いしながら「ステアーで」と答えた。

「貫之とはなにもなかったみたいだな」
「ばか言うな。ヤクザと二人きりだぞ」
「それは今もじゃねえか」

 静馬は舌打ちする。

「お前は……テッセンじゃなにもしねえだろ」

 不可抗力で厄介ごとが舞い込んだことはあったけれど、四季が冗談以外でヤクザとしての権力をテッセンのなかで持ち出したことはない。
 だからこそ、相手の領域とテッセンとでは安心感が違うのだ。

「……思ったより信頼されてるんだな」
「馬鹿言えよ」

 自分でも浮かんだ言葉を言われてしまうと反発したくなり、静馬は鼻を鳴らして顔をそむける。
 その横顔を四季が小さく笑みながら見ているなどちっとも知らないまま――

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