小説
48ラウンド



 厭な予感はしていた。
 Hortensiaでシーザーサラダをしゃくしゃく食べていた白はさり気なく周囲を覗う。怪しいところはなにもない、精々隼がにこにこ微笑みながら白を見ているくらいだ。

「チェンジで」

 なぜ自分の隣にはきれいなお姉さんがいないのだろうか。白は嘆くがとうの隼は白の突拍子もない呟きに慣れているので小首傾げながらも深くは突っ込まなかった。
 それがいけなかったのかもしれない。

 派手な音をたてて開かれるドア、白は一瞬視線をやり、椅子を蹴り倒して奥の部屋の窓から脱出せんと走り出す。しかし、突然の来訪者はそれを許さなかった。

「会いたかったぜぇ、Ma Blanche neige!」
「百九十越えの野郎になにが白雪姫だっ」

 開こうとしたドアは長い足で閉められ、白が振り返りざまに裏拳を繰り出してもひょい、と避けられる。

「相変わらず凶悪だなぁ」
「はっ、どこぞの変態のおかげでな」

 突然の展開についていけない者は多かったが、突然現れた男、西洋人と白が知己であることは知れた。
 白は鋭い下段蹴りを繰り出すが、男はそれを後方へ下がることで回避。しかし、白はそれを読んでいたとばかりに男の顔の側面へと手を伸ばした。まるで男を縫い付けようとするかに見えたが、白は伸ばした腕を壁へつけることなく、むしろ男の側頭部を捕らえた。

「んっ、んーっ!!」

 卑猥な音と男の心底厭そうな悲鳴が一分間。

「その辺にしてくださいです」

 ぽい、と白と男の間にイエローカードが放られる。荒事に慣れている美園の合図に白は厭らしく唇を舐めながらまうすとぅーまうすを解除した。

「っどこで覚えやがった! こちとら既婚者だっつの!!」

 男の怒声に白は応えず「へっ」と鼻で笑う。隼は「うちの総長やっぱすげえなあ」と頬杖をつきながら惨状を眺め、千鳥はそんな隼を無表情で見ていた。

「で、ご用件は?」
「いつも通り」
「バイトですか」
「バイトですよ。詳しいことは後で連絡する」
「へーい」

 気のない返事に今度は男が肩をすくめ、そのまま「お騒がせしました」とHortensiaから出て行った、白はその背中を忌々しげに睨む。

「総長、あの……」
「ちっ、妻子持ちが!!」

 物いいたげな隼を遮る舌打ちに、隼は芽生えた疑問を刈り取った。

「総長バイトなんてしてたのー?」
「してるよしてる、していーまーすー」

 白は2DKのマンションに住んでいるが、その家賃は自腹である。ついでに言うならば親からの仕送りというのもない。精々が学費その他諸々の出費だろう。
 高校生の一人暮らしとしては随分と無理をしているようだが、そこが「バイト」につながるのだろう。

「どんなバイトー?」
「ああ? ふっつーに割りいい警備員ですけど」

「ああ」とこの場にいる全員が納得した。
 白が警備員をやっているのなら事件も事故も早々起きないだろう。
 しかし、いかに割りのいいバイトだとはいえ、白の髪色や髪型は雇ってもらうには困難だろうし、それだけで家賃や光熱費がまかなえるわけがないし、そも年齢や高校生という身では警備員として働くことはできない。
 つまり、それだけ特殊な「警備員」なのだと察したのは残念ながらこの場では千鳥と隼だけだった。
 単純に大変ですね、と言う幼馴染を見て千鳥は舌先を犬歯でなぞる。

(これじゃあ益々……いっそ俺も隼みたいに考えられたらいいのに)

 そうすればただ沈むだけだと分かっていながら「幸せな思考」がひたすら千鳥には羨ましかった。

「千鳥ちゃん、グラス空よん」
「あ、ほんとだー。総長次なに飲むのー?」
「俺はもう帰り。こいつおいてくからてきとうに」
「俺だっててきとうに帰れますよ」

 そう言いつつ白に続いてHortensiaを出た隼を見送って、千鳥は携帯電話を取り出す。
 今夜は無性に人肌が恋しく、誰かと共寝がしたかった。幸いにも千鳥にそういった急な呼び出しに応じてくれる女は複数いたので、携帯電話の仕事はごく短く終わった。

「あー……くだらない」

 思春期の熱病に似た倦怠感に身を任せながら、千鳥は吐き捨てる。
 事実、くだらなかったし、吐き出した泥に溺れるような不快感が気持ち悪い。
 なにもかも、くだらないと吐き捨てねばやっていられなかった。

 ――いっそ、泣き出したいくらいに。

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あきゅろす。
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