小説
四十二



 いまでこそ葬儀屋が全て采配してくれる便利な世の中だが、むかしは葬式といえば近所ぐるみで行ったものだ。死装束などは家族にさせるのは忍びないと自身で縫ったほど。
 もちろん、そこに刺繍などは刺さないのだけれど。
 時間がないと解っていながら、彼方はやらずにいられなかった。
 絹子がどんなに否定しようと、忘れようと、たったひとり、彼女が「飯田橋彼方」の母親だから。
 その息子たる彼方にできるのは、これだけなのだ。
 たとえば、その意味が絹子に伝わらなくても、一瞬にして灰燼となっても。
 ざ、ざ。
 彼方の手は淀みなく針を刺していく。
 玄一は、無言で彼方に寄り添い続けてた。

 そして完成の日はやってくる。

「これは、まるで花嫁衣裳ですね」

 葬儀屋をも絶句させた死装束は有無を言わせ迫力をもって衣紋かけに広がっていた。

「父さん、後妻とる予定はあるの」

 自身の作品になんら感心のないような声音でぎょっとする質問をする彼方に、秀次は首を振る。

「いや、それはないよ。誓ってもいい」
「ふうん。じゃあよかった」
「彼方?」

 どこか泣きそうな顔で俯いた彼方に代わり、玄一が口を開く。

「カナはあなたに白の喪服を着て欲しいんですよ」

 だからこそ、白無垢を連想させるような死装束を誂えた。
 自分のせいで途切れかけた夫婦の妙を結びたいと、彼方はそれこそ血を吐くような思いでこの装束を作った。仕上げを任された大槻はその緻密さに絶句しながらも、拙い己の腕を最大限に振るってたった一瞬で燃え尽きる花嫁衣裳を作り上げた。
 普段やかましいほどの彼方が寝食忘れた傑作を、しかし玄一は喜べないまま彼方とともに秀次へ披露しにきた。今では歌舞伎などの伝統芸能の世界でしかお目にかかれないだろう喪服を着ろといわれ、秀次は一瞬だけ戸惑ったがすぐに頷く。飯田橋は旧家だ、そういったものに覚えがあった。

「わかった。ただ、絹子ほどのものは用意できないよ」
「いいよ、それで。いつだってこういうのは女の晴れ舞台なんだから」

 成人式の予算では男女で桁すら違う。そも、お宮参りから始まり七五三、十三参り、成人式の着物は花嫁道具である。
 自分は実家でこれだけ可愛がられた。これだけのものを与えられるほど。だから「よろしく」そういう牽制の意味をもった花嫁道具なのだ。ちなみに七五三は関東、十三参りは関西の風習なのでどちらかが欠ける場合もある。

「じゃあ、かえるね」
「もう少しゆっくりしても……」
「ごめん、いい加減しんどいんだ」

 徹夜をしたのは一回や二回ではない。
 秀次は深い声音で「ありがとう」と言って、口数の少ない彼方と彼方を支えるように歩く玄一を見送った。
 その背中にふと思う。
 きっと、どちらかがふらついても、ああやってもう片方が支えて彼らは歩いて往くのだろう。



「玄ちゃん」
「あん?」
「今度お見舞いいくときは一緒にきてね」
「そりゃ構わないが」

 彼方はくしゃりと顔を歪める。

「ひとりじゃしんどいんだあ。父さんがいても、父さんはお父さんで……玄ちゃんごめん、言葉にならない」

 玄一はくしゃりと彼方の髪を梳く。無精しているせいか少しだけ長い髪は自分と違ってやわらかい。

「いい、分かってる」
「うん」
「解ってるから」
「……うん」

 玄一が傍にいられる時間は短い。その間に大きな哀しみが押し寄せようとしている。
 堪えられない。堪えられるわけがないと彼方は膝が崩れ落ちるような錯覚を覚える。しかし、片腕をがっしりと支える玄一の力強さが彼方の足を進ませる。

「いつかを期待してたんだ」
「ああ」
「いつか思い出して、母子になれるんじゃないかって」
「ああ」
「でも、あのひとはもう幻想のなかしか見ることができないんだよ」
「ああ」
「幻覚のなかで俺に話しかけるだけなんだよ」
「ああ」
「幻覚のなか、俺は愛されていたんだよ」
「ああ」

 ああ、あんなにも自分は、と涙で頬を濡らしながら彼方は話す。
 絹子が我が子と望んだこと。
 産着を縫うこと。歩きはじめたら目が離せない。幼稚園のお弁当は華やかにしてやりたい。運動会は新しいカメラを買ったっていい。七五三はしっかりと紋付を仕立てて……。

「俺はあのひとに愛されてたッ」

 それを受け取ることは、与えられることは適わなかったけれど、今更そんなことを知るなんて酷すぎる。もう時間はないのに。もう交感もままならないのに。
 飯田橋母子の愛情はあまりにも理不尽で、空回りする。それを運命などと安っぽい言葉で片付けるなんて遣り切れない。
 彼方は流す涙を拭わない。
 玄一は彼方の歩みを止めさせない。


 そして、まるで白無垢の完成を待っていたかのように、飯田橋絹子はこの世を去った。
 死に顔は穏やかで、うっすらと微笑んですらいたと化粧師が言っていた。

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