小説
44ラウンド
白としては殆ど忘れかけていた存在だが、休日明けという普段以上に億劫に感じる授業を終えて隼たちと下校すべく校門に向かえばそこになにやらぶんぶん手を振る少年を見つけて諸々を思い出した。
「隼に拒否食らってんのにあいつしつこいねー」
「拒否?」
その話は知らない。
白がサングラス越しに視線を向けると隼がなんでもないように「belovedに入りたいと言っていました」と答える。
「あの手の片っ端からいれてるとキリないんで却下しましたが、いけませんでしたか?」
そういえば隼たちに湊の企みを教えていなかったなあ、と今更思うが、案外勘が働いているようだ、と白はひとつ頷く。声に出しては言わない。
その間にも白たちは校門の傍、その脇でにこにこ笑う湊の近くまで歩きつき、校門を抜ければよいと判断したのか湊が「あの!」と声をかけてきた。
「なんだい、少年」
「湊です! 今日はbelovedの総長に……」
「湊ね。往来ではあまり総長と呼ばないでくれ」
「あ、ごめんなさい……」
しゅん、とした顔は子犬を思わせるが、白は現在すでに大型犬を抱えている真っ最中である。
「僕、どうしてもbelovedに入りたくて……」
「ほうほう、そんなにbelovedは魅力的かい?」
「そりゃもう! 一気にこの辺りの不良纏め上げた初代もすごいですが、二代目の腕っ節も有名ですし! それに僕、あなたを見てからほんとうに……」
じっと見上げてくる湊に白は「そう」と微笑みながら相槌を打つ。
昨日聞いた話から予想するに、湊は仲間内で急かされるなり揶揄されるなり煽られているはずだ。どうにかして白か隼、千鳥などに近づこうとしているらしい。
そういう相手への対応は、すでに白のなかで手順が出来上がっている。
「悪いが俺はbelovedの中じゃ新参でな。独断で決められることじゃねえんだわ」
優しげな声音に隼がぎょっとした顔を向けるが白は敢えて無視した。
「そうだな、隼、千鳥、拓馬、日和、中から三人以上の賛成もらえたら文句言う奴はいないだろう」
「賛成もらえたらbelovedにいれてもらえるんですか?」
興奮した声音の湊に対し、隼の顔色がどんどん褪せていく。千鳥だけがわずかに冷めた目をしていた。白は自然と上がった口角を歪なものに見えないよう苦労しながら笑みのまま固定する。
「oui」
これくらいのフランス語ならば理解できたのだろう。手を打って湊は喜んで見せた。
「……総長、そろそろタイムセールじゃありませんか?」
「おうよ」
「またHortensiaに伺いますね!」
話を終わらせにかかった隼に白は頷き、歩みを再開させる。今日はこれ以上話すこともないらしい湊が手を振って見送るのに、白は肩越しに手を振って応える。
少し歩いてから辻を曲がり、完全に湊から見えなくなった辺りで隼が白に呼びかけた。
顔を向ければ硬質な表情の隼が僅かに高い位置にある白の目をサングラスを通り抜けて合わせるように見つめている。
「……あいつ、気に入ったんですか?」
「んー?」
「まーた悪いこと考えてるだけデショ」
白の生返事を千鳥が切って捨てる。
少しだけ機嫌が悪そうなのは、隼の顔に滲む焦燥感が原因だろう。白は千鳥が隼を溺愛というわけではないが殊更大事にしていることを察している。それを考えて先ほどまできれいな微笑に留まっていた口角がきりきりと上がった。
「総長、悪い顔してますよ」
千鳥の言葉に幾程かの安堵を覚えたらしい隼は少しだけ弱弱しい笑みで指摘する。
「おおっと、グラサン越しでも口元は隠せねえなあ。今度ガスマスクにでもするか」
「また公僕に機会与えるだけだと思いますが」
「ガスマスクじゃさすがに苦情いれるの難しいと思うよー」
白は派手な舌打ちをした。
「なんだってあいつらは俺に絡むんだよ。お巡りさんにモテても嬉しくねえよ」
「そうちょーはどんなのにモテたいのー?」
ぐるり、と視線を回し、白はゆるく首を振る。
「別にモテなくてもいい。俺に寄ってくるのは限られてるからな」
「総長、今度合コンでもセッティングします」
「女王様系だっけ? アドレス教えよーか?」
目頭押さえた隼と携帯電話を取り出し始めた千鳥にひくり、と白の顔が引き攣った。
顔面剥がしたくなるほどのイケメンに哀れまれるというのは真に遺憾である。
ちなみに白は合コンで遠巻きにされる自信があるし、女性を紹介されてもよほどでなければヤクザのご機嫌取りに派遣された素人のような反応をされるだろうと予想している。どちらにせよお友達から始めるのすら困難だ。
「そういえば総長ってどこで発散してんの? 越してきてもう数ヶ月でしょ? 女と一緒にいるの見たことないけど」
「……そういう欲求薄いんで」
「え、もしかして童て……」
「初体験は十四歳」
「案外早いね」
哀れみの増した目で見られて思わず白は千鳥の語尾をかき消すように答えた。
しかし、答えたはいいが白のような図太い神経がなければトラウマのひとつにでも数えられそうな当時の記憶が蘇って少々目が据わる。サングラスがなければ獲物を探す殺人鬼のような形相が露になっていることだろう。気配でそんな白を察したか、隼が「そういえば花見はいつにします」と話を変えた。
「ああ、いつにすっかね」
「休日なら大体の奴来るっしょ」
「あんまり遅くても桜散りますよね」
桜は咲き始めならいいが、散り始めになると芽吹いた葉や朽ちた花であまり見目がよくない。花見をするなら八分咲きか満開を狙うべきだろう。
「ああ、でもどっかの公園から近くの寺の枝垂桜見られるとこあったよな」
「そういやあったねえ。どうせうちの連中途中から騒ぎ始めるだろうし、下手に桜並木の公園とかより借景のほうがいいんじゃない?」
さすがに地元の人間だけある情報を交わす隼と千鳥に頷き、白は「じゃあそこで」と応えた。
「飲み物担当とか適当に決めてメールよろしく」
「はいはい。そうちょー、お酒は飲み物に入りますか?」
「公僕が厳しいって話したばっかだろうが……敢えて不屈の精神でいくぞ」
「さすが!」
「隼ちゃんはお弁当班ね」
「了解です」
すっかり料理に慣れ親しんだ隼はよい助手である。時々物言いたくて仕方ないが、こういうときは頼もしい。
あれこれ花見の予定をたてる三人は、笑顔の内側でそれぞれの思惑を渦巻かせながら帰路を往った。
・借景
庭園外の景観を風景として取り入れること
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