小説
42ラウンド
隼がHortensiaへ顔を出すと、生憎白の姿はなかった。味付けが気に入ったのか学校が休みの日は昨日のように昼食を食べにきているのだが。
少しばかり肩透かしを食らいながらカウンター席へかけると、拓馬と日和が「隼さん、おはようございまーす!」と声をかけてきた。
「おはようさん。拓馬、また泊まりか?」
「帰ろうと思ったんすけど、玄関まで行ったら親父の靴あって奥からがっちゃーん! って。急いで戻ってきましたよ」
からから笑いながら言う拓馬に「そうか」と一つ頷いて、隼は日和を見遣る。困ったような笑みは常では見ない大人びた表情だ。
「あ、隼さんなんか食います?」
「いや、まだいらない。ジンジャエール頼む」
「了解っす!」
Hortensiaへ泊まり込むことの多い拓馬はそのまま手伝いをすることも多く、エプロンを付け始めた様子からジンジャエールは拓馬のお手製になるだろう。蜜柑の花で作った蜂蜜を使ったHortensiaのジンジャエールは香りが楽しく爽やかだ。
「隼さん、最近因幡の親父さん荒れてるみたい」
「時期が時期だからな、仕事で面白くないことも多いんだろう」
「あいつ、馬鹿っすよう……」
「血の繋がりは思ってる以上に重いんだよ」
隼は苦笑いしながら日和の頭を撫でる。その手が少しだけ震えていたことに気付いていたけれど、日和は決して指摘しなかった。
「隼さん、ジンジャエールお待ちっす!」
「ちょっと、拓馬。生姜の皮散らかしてんじゃないわよ」
「げっ、すんません!」
「片付けておきますね」
騒がしいカウンターの奥に隼と日和は顔を見合わせて同時に吹き出す。
隼は冷えたグラスを手元に寄せて、マドラーで軽く混ぜてから口をつけた。
(もう少し甘いほうが総長は好きそうだ)
あとで電話をかけてみようかと思うが、特別用もないので迷う。
手慰みのようにからからとジンジャエールを混ぜながら考えていると、出入り口のドアが開く音がした。
ひょっとして、と期待しながら目をやった隼はため息を吐く。
「こんにちは!」
昨日同様に愛想のいい笑顔を浮かべた湊がいた。
隼の気分が下降したのも気付かず、店内をきょろり、と見渡した湊は白がいないと見るや隼の下へとやってきた。
「こんにちは、belovedの副総長。昨日は自己紹介もしないでうるさくしてごめんなさい。僕、湊っていいます」
「興味ない」
「で、でも……っ、僕belovedに入りたいんです!」
「はあ?」
品悪く語尾を上げて顔を顰めた隼に湊は切々とbelovedに憧れている旨をうったえた。
「喧嘩も総長や副総長には遠く及びませんが、少しなら自信はあります! だから僕をbelovedにいれてください!」
いつの間にかbelovedメンバーが注目しているが、湊はそれに臆することなく言い切った。
だが、隼の反応はいっそ冷淡だ。
「却下」
「な、ど、どうしてですかっ?」
隼はくーっと一気にジンジャエールを飲み干すと、席を立ちながら無造作に言葉を放る。
「belovedにお前はいらないし、お前にbelovedはいらないだろ」
「え?」
「電話してくる」
最後はメンバーに向けた声だ。察しのよい彼らは追い縋ろうとする湊を押し留めてくれる。
「……総長がbelovedにいなければ別だったかもな」
白の意見によっては隼の却下も覆るかもしれないが、そのときは従うだけだ。
隼は口元を歪めながら携帯電話を取り出した。
「――ハーァイ、こちら総長。前線異常なしオーバー」
「あいつまたきてますよ、総長」
「え、なんのこと……俺は昨日間に合わなかった洗濯物を部屋干しや乾燥機じゃ我慢できなくて晴れ渡ったベランダに干しなおしてる最中つまりくそ忙しいんだけど」
洗濯物は結局とりこむのが間に合わず、風向きにより雨水が直撃していた。口述の通り部屋干しや乾燥機ではなんだか気分がすっきりせず一応は乾いている洗濯物を干しなおしていた白は尻ポケットに入れていた携帯電話の震えに応答したが聞こえて来たのが洗濯物より遥かに優先順位の劣る案件で、せいぜいかけてきた人間が放置すると面倒という理由で優先権が回されているからいいものの、これが悪戯や詐欺だった場合は着信拒否に備えてbelovedメンバー全員の携帯電話を借りてでもしつこくメリーさん電話をかけなおしているところだ。
着様に肩へ携帯電話を挟みながら烏に狙われ難いプラスチックハンガーへ洗濯物を通し終えると、物干し竿にざっかざっかとかけていき、ようやく落ち着いたとばかりに「で、どちらさんがきてるって?」と話を聞く姿勢を見せた。
「昨日きてた細いの覚えてます?」
「お前に比べりゃ大抵の奴は細いだろうよ」
おかげで隼と並んで歩くと威圧感割り増しだ。
「まあいいや。あれだろ、なんかあれなあれだろ?」
「……まあ、あれっぽいあれですね」
「そうか、やっぱりあれでいいのか」
「一応言いますがbeloved目当てで話しかけてきた高一くらいの小柄な野郎ですが」
自分の「あれ」と白の「あれ」が合致しているといまひとつ信じられないとばかりに詳細を説明した隼に白はうんうん頷く。間違いなく「あれ」でよかったらしい。
「で、あれがきてるからなんだって?」
「しきりに総長の話を聞きたがってるんですが、ボコっていいですかと伺いに」
「体力有り余ってるならぼたもち作るの手伝ってくんない? 正確には餡子作り」
「総長、昼食は」
「餡子できたらなんか作る予定」
「すぐ行きます」
素早く切れた通話に「これも餌付けっていうのかしら」と白は呟き、ふと窓の外へ視線を向ける。
「じゃ、がんばれよ」
虚空へ奨励を飛ばす白は携帯電話を尻ポケットに戻して、台所へ餡子作りの下準備をしに向かった。
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