小説
36ラウンド



 そのひととの出会いは、まだ寒さを感じる春のできごとだった。
 入学式の帰り道、桜の花びらに誘われるように私は普段は歩かない道を歩きふんふん鼻歌なんて唄って明らかに浮かれていた。
 気付けばほんとうに知らない場所にいて、なんだか空気も重いような気がして――

「……戻ろう」

 ぱっと歩いてきた道を振り返ろうとした私は、周囲に目が向いていなかったのかひととぶつかってしまった。

「きゃっ」
「って……」

 顔を上げれば顔を顰める男の人がいて、私は謝ろうとしたんだけどそれより早く男の人の鋭い眼差しに声が詰まってしまった。
 やだ、なんで私こんなに睨まれてるの?
 男の人は着ていたコートを軽くはたくと私に向かって手を伸ばして……。

「佐和子!」

 男の人の後ろから聞こえた焦ったような声に、私は涙が出そうなほど安堵した。

「安西くん!」

 安西くん。小学校からずっと同じクラスで気になるひと……だけどなんにもいえないまま同じ高校に入ったんだっけ。格好良くて、愛想がよくて……好青年って安西くんのためにあるんだと思う。
 駆け足でやってきた安西くんは男の人に息を呑みながらも私を自分の後ろへ引っ張り込み、頭を下げた。

「申し訳ありません、彼女は迷ってこちらにきただけなんです……次は絶対こんなことないようにします。この辺りにも近づきません。ですからどうか、見逃してください」

 え……なに? どうなっているの?

「……別に、興味がないな。ああ、興味など一片たりともない。俺には俺の用事があってね。失礼するよ」

 私を睨んでいた目にサングラスをかけて、男のひとは歩き始める。
 でも、安西くんがほっと息を吐いた瞬間、男の人が振り返った。

「ああ、そうだ、お嬢さん。この辺は物騒ですからね、あまり足を運ばないほうがいい……では」

 男の人は今度こそ歩き去り、私も安西くんに手を引かれてこのなんだか怖い場所から抜け出すことができた。

「なんであんな場所にいたんですか」
「てきとうに歩いてたら……」
「ほんとうに迷子ですか……あまり、心配させないでください」

 そう言って安西くんは私を抱きしめた。
 え?
 安西くん、ひょっとして――



「――なああああああああああんてラブ米大豊作から全力逃走してきた俺の気持ちが分かるかちくしょおおおおおおおおお!!!」
「総長落ち着いてくださいよーっ」
「うるせえジンだ! ジン持ってこい!!」

 Hortensiaに来て早々荒ぶ白は既に何杯かのグラスを空けているが、いずれもばらばらちゃんぽんである。しかしそのテンションたるや来店時……暫く付き合えば見える一面となんら変わりない。
 カウンターテーブルを労わっているのかばんばん叩くのは自分の膝だが「早く! あのあまどぅっぱさが鼻についてるんだよ!!」と叫ぶ姿は大変見苦しい。

「あのひと、ジンは松脂臭いって好きじゃないのにな」
「ああ、マティーニ注文するときシェイクなのはどこぞのエージェント意識してたわけじゃないんだ」
「でもハーブだの薬味だの平気なんだよな」

 Hortensiaのドアを「あいやしばらく!」と豪快に開け放ち、遮光レンズをつけていたからだろうサングラスを床に叩き付けるという言語と行動に関連性が見受けられないいつも通りわけがわからねえ白を見た瞬間から白がよく座る席周辺を離れた隼と千鳥は、未だ静まる気配のない白の奇行を時折眺める。

「ああああああいやだいやだいやだねほんっといやだね! なにあの大事な子のピンチを遠目に発見全力疾走してきた好青年! イケメン好青年!! なんで実在してんの? 意味分からない!! ほんっとイケメン特にイケメン好青年なんていう存在するだけで俺を殺すような種族は亡べばいい!」

 隼は以前の会話で「面の皮剥がし候補」に上がっていた千鳥を見る。ちなみに隼自身も白直々に「剥がす労力を惜しまない」と言われている。

「……俺ら好青年じゃないっしょー」
「ご尤も、だ」

 不良街道まっしぐら、どちらも特定の相手はいない。
 隼は来るもの選んで去るもの追わず。
 千鳥は常時物色に忙しい。
 どちらにしても関係を持った相手が路の先で絡まれていたとしても「ふうん」で済ませるだろう。千鳥は嬉々として状況をこじらせにいくこともあるが。
 このふたりの色事を聞いたらストレスや不摂生がてき面に現れる敏感肌になる呪いをかけるため一晩中踊り狂いそうに思われがちな白だが、しかしそういった辺りにネチネチ面倒くさく絡むことはない。

「遊びは遊びだろ? お互い割り切ってんならいいじゃねえか。何人何十人ご自由に、だ。
 あ、でも浮気は駄目。ギルティ。そうと決めた相手がいるのに他へも手を出す欲張りさんは全員横一列に並べて点呼代わりにココナッツクラッシュだ。正面からはドキドキしちゃうシャイな子は事前申請してくれれば投げっ放しジャーマンにしてやるから恥ずかしがらず言うように」

 至極真面目に言い放った白にbeloved内の「欲張りさん」は一斉に視線を逸らし、beloved一番の遊び人である千鳥は「相手の気持ちがどうのって道徳一切説かないとこが『らしい』よね」と笑い、隼は「あのひと『ああ』なるほどモテないわけじゃ決してないんだがな……」と遠い目をした。
 そういう「割り切り」を持っているくせに、白は「松脂臭え!」と言いながら飲み干したジンの次にバーボンを注文して「イケメン好青年」を目の当たりにしたショックを酒で凌いでいる。

「火持ち出し始めたら『爆弾』やる気だからさすがに止めないとな」
「とか言いつつ、お前さっきからなに熱心にタブレット見てんの」
「あ? 二日酔いまでいかなくても明日だるいだろう総長でも美味しく食べてもらえる朝食レシピ探してるに決まってんだろ」
「お前の頭がヤクでもキまってんじゃないの」

 酒の火照りも冷めたとばかりの千鳥に一切動じず、隼は粛々とレシピサイトをあさり続けた。

「エージェントファンによって完売されたリレブラン復活したのはめでたいが原材料がちょいいじられてまた原作マティーニから離れたってのはどういう了見だちくしょおおおおお!!!」

 隼は誓って違法薬物には手を出していないが、隼が敬愛する総長は輸入禁止薬物を欲して止まないらしい。

 白の恨み言がイケメン好青年から離れた辺り、隼の気遣いは功を成すことだろう。

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あきゅろす。
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