小説
教授の新たな愉しみ(後)



「私の兄でよければ紹介しようか?」
「え?」

 教授がなんか言い出した。
 猫田の声に被さり、複数の声がかかる。

「兄は弟の私がいうのもなんだが、ひとを支配することが得意……違うな。上手くてね。もちろん、君が望む意味でも、だ。
 肉体、精神問わず、ハードなものからお遊びまで幅広く付き合えるひとだ。
 分かりやすい例えでいうと、腹に一発いれて嘔吐した君の頭を踏みつけ、吐瀉物を食べることを命令した後、それが出来た君をやさしく褒める、もしくは汚いと蔑むようなことを、翌日の体に影響がでないように心から愉しみつつやってくれるだろう」

 その手の嗜好で想像しやすい内容を、呼吸するようにできる兄がいると言った教授に、図書室中の視線が集まった。
 けれど、猫田は悲しそうな顔で首を振る。

「俺は、教授がいいんです……」
「どうしてもかね?」

 こくり、と力なく猫田は頷く。

「でも、そういうことをしたくないっていうのは当たり前ですから……。嫌な話しちゃってすいませんでした」

 猫田は僅かに涙を浮かべ、すん、と鼻を啜りながら頭を下げた。

 これは泣くほどの事態だったのか。

 理解できない道ゆえに深刻さも理解できない生徒達は、いつもほにゃほにゃした笑顔の猫田が泣いたことに驚愕する。
 思わず教授へ向けた視線に、訴えるような懇願を込めた。
 その視線に応えたわけではないだろうが、教授はすんすん鼻を鳴らしながら立ち去ろうとした猫田の腕をとって引きとめた。

「へ?」

 教授は赤くなった猫田の鼻や目、全体的に情けなくくしゃくしゃな顔をじっと見つめて、ひとつ頷いた。

「君は、私に所謂『ご主人様』になって欲しいのかね?」

 この期に及んでこの教授、なにを抜かし始めるのだろうか。

 こくこく頷く猫田に複雑な顔をした教授だが、一言「いいだろう」と呟く。

「悪いが私は上下関係ならともかく、主従関係というのは築いたことがないし、築くつもりもない。
 だが、君が私と恋人関係になってくれるなら、私は『恋人のおねだり』を全力で叶えるだけの甲斐性は見せよう」
「本当ですか!」

 猫田は歓喜の表情でいうが、見守っていた生徒は「本気ですか」と叫びたかった。

「俺、おれ……ず、ずっと教授が好きで……好きなひとに甚振ってもらえたらって……」

 猫田のカミングアウトにノーマルの教授は苦笑いするが、どこか嬉しそうでもある。

「では、私と恋人になってくれるかね?」
「喜んで!」
「ありがとう。では、一週間ほど待っていてくれ」
「え?」

 教授はふう、と遠い目をする。

「兄に、ドS調教を施してもらってくる」

 一週間後、休みをとって実家に帰っていた教授は、学園に戻ってから出迎えに抱きついてきた猫田を「はしたない」と言って引っ叩いた。





「ドMに調教するのは簡単だよう。でも、ドSに仕立て上げるのも楽しいんだよ? おどおどしてた子が普通に人間椅子に座るようになるところとか、良い仕事したなーって思うもん。
 まあ、さすがに実の弟が『一人前のご主人様にしてくれ』とか言ってきた時は驚いたね。でも、身内だから余計に気合が入っちゃった!」
「おい、外道。俺の耳が穢れる話をするんじゃねえ」
「なにさ、お前が『一体なにをしてくれた』って怒鳴り込んできたんじゃない」

 学園で風紀委員長を任せられている青年は、初等部に入学したての頃に出会った当時初等部最高学年の先輩である教授の兄に、電話越しの舌打ちを贈った。
 たった一年で終わるはずの付き合いだったのに、中等部、高等部へ進んでからもしょっちゅう離れた校舎に足を運んで構い倒してくれた先輩とは、社会人となっても頻繁にやりとりをしている。

 今回の用件は、先輩の弟が起こす校内暴力についてである。
 暴力といっても、突然抱きついてきた特定生徒を平手で打つとか、放課後に忘れ物をとりにきた生徒が四つん這いの特定生徒を踏みつける彼を目撃したとかで、頭痛を覚えながらも風紀委員会室へ呼び出せば、彼と特定生徒はこう答える。

「ひとつの愛の形です」

 彼にいたっては、無駄に立つ弁舌を駆使してこちらをやり込める始末だ。
 委員長は「プレイは寮の部屋だけにしろ」というのが精一杯だった。
「躾はその場でするのがベストなのに」とかいう呟きは黙殺した。

 この学園が誇る優等生の変貌に、先輩と長い付き合いの委員長は嫌でも事態を把握してしまい、先輩へ電話で苦情を申し立てているのだが、案の定、やらかしていた先輩はまったく悪びれた様子を見せない。

「あんたの弟なのに、なんて真っ当な奴だろうかと感動していた俺をどうしてくれるんだ? 返せよ、在りし日のあいつを返せよ」
「自分の願望をひとに押し付けちゃだーめ。あいつは望んでああなったんだから」

 けらけら笑う本人が目の前にいたなら、委員長は即座に拳を顔面へ叩き込んでいただろう。プレイでも愛でもなく、純粋な怒りでもって。

「んで、用件それだけ?」
「ああ、それだけだよこんちくしょう」
「そかそか、あのさー、今度の日曜日に飯食いにいかない?」
「飯ぃ?」
「そそ、いいとこ発見しちゃった!」

 弾む声すらいらっとして、断ってやろうかと考えたものの、先輩の舌は確かだ。美味しいものを食べることを至福とする委員長は、久々のご馳走の気配に数秒黙り込む。

「どーする?」
「……行く」
「あいあい、ドレスコードはないけど、お洒落してきてネ!」
「はいよ」

 あとはだらだら雑談をして、電話は切れた。

「あのひと、社会人にもなってこんなガキに構ってていいんかね?」

 沈黙する携帯電話を暫く睨んで、委員長はベッドにそれを放り投げた。
 気まぐれだかなんだか知らないが、そのおかげで自分は美味しいものにありつけるのだ。

「和食かねえ、洋食かねえ。いっそ、マニアックなとこ突いてくるかもなー」

 なんやかんや楽しみにしている委員長は知らない。
 自分が先輩に関わった人間で唯一「調教」されていない人間で、委員長を誘うためだけに先輩が「美味い店」を探し、忙しい仕事に無理やり暇を作っていることを。


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