小説
十杯目
静馬は写真を眺めて黙り込んだ四季を前にどうしたものか、と首を捻っていた。
下手に声をかけられる雰囲気ではなし、しかしいつまでも無言で居座られても鬱陶しいと考えながらちらり、と視線をやれば、マグカップの中身は湯気もたたずすっかり冷めていた。
舌打ちしたいのを堪えながら、静馬はマグカップに手を伸ばす。
「下げるが、淹れなおすか?」
心持ち小さな声で問いかければ、四季はまるで夢から覚めたようにまばたきをして、マグカップと静馬の顔に視線を行き来させた。
「あ、いや……もったいないから飲むぞ」
「なんかもう冷たいんだが」
「悪い。飲んでる間にエスプレッソ頼むぞ」
「……大丈夫か?」
四季の顔色は来店直後よりマシになっているが、それでも常より青い。
「ああ、ちょっと白昼夢に浸ってただけだぞ」
「ひとの店で白昼夢って図太い野郎だな」
吐き捨てながらしかし、静馬は「大丈夫」となにも考えていない答えが返らなかったことに安堵する。四季相手に安堵も安心も癪な気がするのだが、そこは見ないふりでマグカップを四季の前に戻した。
「ありがとさんだぞ」
写真を大切そうにしまい、四季は冷えたマグカップを持ち上げる。
こくこく元ホットミルクを飲む四季を横目にエスプレッソの準備をしながら、静馬は何気なさを装って口を開く。
「兄弟仲、いいのか?」
「うん? まあ、良いと思うぞ。珍しいな、マスターが俺のこと訊くなんて。なんなら婚姻届にサインがてら筆跡も教えるぞ!」
「ああ、そりゃ愛人さんにでも教えてやってくれ」
「おいおいおい、散々口説いてる俺にそれは酷くねえか」
無粋だ、情緒がない、と四季がぶちぶち言う間にできあがったエスプレッソをソーサーに乗せて、静馬はカウンターへそっと置いた。
「しかし、写真見て思ったが匂坂さんといい、この前きた美少女といい、お前の周囲の顔面偏差値高すぎね?」
「類は友をだな……」
「その顔面おろし金で引っ叩くぞ」
「オーケィ、マスター。話し合おう」
とぷん、と角砂糖を一つデミタスに投入しながら、四季は考えるように目を伏せる。
「言っておくが、俺が選んで連れてきたわけじゃねえぞ。むしろ、大体は貫之……兄が引っ張り込んだ」
「ああ、あの中性的な」
「匂坂たちを繋ぎとめたのも、マスターは知らないと思うがこれまたクールビューティーな有能弁護士見つけてきたのも、どこぞのクソ犬と個人的に因縁あるのも兄だ。まあ、その兄自身は薫さん……写真の着物のひとな。あのひとに連れられてきたんだが」
どういう関係構築能力だ、と思いながら聞いていた静馬だが、四季の最後の言葉に一瞬息をつまらせた。
当たり前に兄というので実の兄弟だと思っていたが、血の繋がりはないらしい。
「あー……あの着物のひともかなりの美人だったな」
当たり障りないようなんでもない声音で言えば、四季は「そうだろう」とばかりに頷く。
「立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花のような――オカマだった」
静馬の思考が停止する。
くぴ、とエスプレッソを飲む四季はそれに気付かず、どこか懐かしむような眼差しで滔々と語り始めた。
「親父はゲイよりのバイでなあ。本命はあのひとだったがまだまだ古臭い習いの多い時代で結婚せっついてくる輩が面倒だったらしく、火傷必至の恋に押しかけてきたお嬢さんをそのまま娶って俺が生まれたわけだ。まあ、俺を産んだひとはすぐ亡くなったが。で、俺が五歳くらいの時にオカマバーのママやってたあのひとと兄が来て、なんやかんやあってあのひとが姐になったんだが……」
「ちょっと待て。オカマが姐って無茶振りじゃねえか?」
「身近で接してると性別忘れるようなひとだったが、傍からはそりゃ突っ込みどころ満載だったぞ。ごり押ししたが。でもってあのひとの影響で兄も女口調が板につくわ『こっち』絡みのクソ犬はカマ野郎だわ、身長百八十センチ近い弁護士はレディース愛用だわ、現組長も絶賛男にフォーリンラブだわ……周囲にゃ『久巳組暗黒時代』といわれてるぞ。懐やら勢力的には輝いているはずなんだが、不思議なもんだ」
しみじみと「不思議だ」とのたまう四季になんと返せばいいのか分からず、静馬は複雑な表情で黙り込む。
「……なんつうか、いや、なんつうかなあ……」
「まあ、先代という前例があるから、マスターさえ覚悟決めてくれればいつでもうちの姐になれるぞ!」
ぱちんとウインク決める四季はすっかり元の調子を取り戻していて、少しくらい殴っても大丈夫という安心感を静馬にもたらした。
「ははは、寝言は寝て言えクソヤクザ」
「おいおい、まだ昼間だっつーのにベッドへのお誘いか? マスターったら大胆でドキドキするぞ」
静馬は丸盆の裏で四季の頭を引っ叩いた。ばいんっ、と軽快な音が鳴る。
「っおい、耳がくわんくわんするぞ」
「最初から役に立ってねえ耳なら問題ねえだろ」
「ああ、恥ずかしがりやさんのマスターは俺が聞こえてないふりしないと『四季……好きだよ』なんて告白できないもんな。仕方ない仕方ない。照れ隠しを察するのも男の甲斐性だぞ」
「なあ、お前が深刻に患ってんのは耳か? それとも頭か?」
「患ってるのはマスターへの恋だぞ!」
「おい、ヤクザ。そろそろ帰る時間じゃねえのか」
静馬が時計を指差してやれば、ぼんやりとしていた分時間を食ったのだろう、針は大体四季が引き上げ始める時間を示している。
四季は掛け時計と自分の腕時計を交互に確認して、慌ててデミタスを傾ける。
「くそ、もっと味わいてえのに……マスターすまない、次はもっとゆっくりできるようにするから勘弁してくれ」
「いや、来なくていい」
「ふふ、マスターの照れ屋さんめ!」
まったくめげた様子なくつん、と静馬のほうへ指をつき、四季は諭吉を一枚カウンターに置いてドアへと向かった。釣りを渡す暇もない。
「じゃ、また来るぞ!」
「二度と来るな」
「断る。人生唯一の潤い、早々手放せるわけねえよ。
――マスターと会えてよかったぞ」
肩越し僅かに振り向き、静かな声で言った四季はドアの向こうへと姿を消す。
からんころん鳴ったベルが大人しくなれば、先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まり返り、静馬を少しだけ落ち着かない気持ちにさせる。
「……ちっ、ああいう台詞はそれこそ愛人にでも言ってろよ」
言えば、相手がその気になるような「本気の言葉」なんてあの叶四季が無差別に言うわけがないとは分かっているけれど。
静馬は唸りながらカウンター前へと回り込んで片づけを始めたが、ざらりとデミタスの底にエスプレッソと混じり溶け残った砂糖が自身の心境に重なって見えてスツールへと座り込む。
「…………次きたら殴ろう」
来るなという常の願いらしからぬ呟きは、静馬のため息とともに店内にとけた。
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