小説
八杯目



 千歳が母屋に帰って暫く、四季と貫之はいつもよりひとの出入りが多く、騒がしい母屋へきていた。
 普段、禁じられているわけではないが、千歳が呼ばなければ母屋へ来ることのないふたりに驚いた顔や戸惑う顔を向けられるが、構わずに目指すのは千歳のいる部屋だ。声もかけず障子に手をかけた四季をさすがに誰かが止めようとしたが、障子を引くほうが早い。

「……何しにきた。いまは忙しい」

 丁度電話を終えたところだったのか、座椅子の背凭れに身を任せていた千歳は受話器を置き、いつもより厳しい顔と声を向ける。
 くだらない用件ならば聞かないと全身で言う千歳に臆すことなく四季はずかずかと千歳の前まで歩み寄り、貫之は後ろで正座した。

「薫さんが死んだ」
「ああ。お前もその場にいたんだったな。怪我がなくてなによりだ」
「報復はいつだ。当然やるんだろ?」

 開け放したままの障子から冷たい風が吹き込む。

「…………あ?」

 千歳の目が吊り上がる。

「ああ、ああ、ああ……血讐か? なら無理だ。この状況で俺は動けない。抗争自体、落としどころを決めるとこだ」

 先ほどの電話が手打ちに関する連絡の一端なのだろう。

「薫さんが殺されたのに?」
「だから、なんだ?」

 笑いながら千歳は立ち上がる。
 立ったままの四季を見上げるように目の前でしゃがみ込んだ千歳は、にこにこと笑顔という表情で造られた人形のような顔をして見てくる。

「四季いぃぃ、哀しいなあ、辛いなあ。でも、どうしようもねえんだわ。中途半端に摘んだって雑草は生えてくる。きりがない。後になにも残さないようするなら根絶やしにしねえと。
 ――久巳組には私憤であちらさん根絶やしにする力がねえよ」
「私憤……」
「面子かかってんなら『応援』はあるかもしれねえが、私憤じゃヤクザは動けねえなあ。辛い、つらい。ああ、悲しい! 悔しいなあ!! でも飲み込め。飲み込んで歯ぁ食い縛って堪えろ。そんでもってガキはとっとと寝ろ」

 がしがしと千歳に頭を撫でられた四季はそのままボールのように払う手のせいでよろけたが、ぐ、と足に力をいれて踏み堪える。

「面子はかかってるぞ」
「……はぁ? お前、話聞いてたか?」
「聞いた上で言ってるぞ」

 ひくひくと引き攣る顔に息を呑みかけた瞬間、四季は立ち上がった千歳に頬を張られて畳の上に転がった。
 開け放たれたままの障子の向こうにも派手な音は聞こえたのだろう。気配がざわめいている。
 四季は切れた唇を舐め、首まで痛くなりそうな平手を受けた頬を押さえることもせず立ち上がった。
 すかさずもう一発見舞われる。今度は堪えた。

「っざけたこと抜かしてんじゃねえぞクソガキがあぁッ!!」

 部屋全体を振るわせるような怒号を上げる千歳に胸倉を掴まれて、四季の踵が畳から浮く。

「てめえのママ殺された仇を討てもしねえガキが一丁前な口で仇討ちのおねだりしてんじゃねえよッ、てめえがいくらママ恋しくたって久巳組んなかじゃ部外者なんだよ!」

 がくがく揺さぶられながら怒鳴られ、四季は畳にぶん投げられた。
 一瞬詰まった息も眩暈がしそうな頭も無視して、四季は千歳を睨みつける。こどものしていい目ではない。こどもにさせていい目でもない。
 再び四季は立ち上がり、怒鳴るように叫ぶ。

「殺されたのは俺たちの母親じゃねえ『久巳の姐』だ!!!」

 千歳が目を見開く。
 四季は千歳に背を向けて、片側だけ開いていた障子を全て乱暴に引く。様子を覗っていた組員たちが一斉に硬直する。

「久巳組において薫さん以外に、以上に姐の役割担っていたひとがいたか! 薫さん差し置いて姐と呼べる奴がお前らいるのか!! いまこの瞬間、薫さんのほかに姐と呼ぶやつがいるなら連れて来てみろ!!!」

 四季の大喝に組員は震える。そしてぐっと唇を結び、拳をぶるぶると震わせる。
 荒い足取りで四季は廊下に出て、近くにいた組員のネクタイを乱暴に引っ張る。

「お前はいるのか」
「は……」
「薫さん以外に姐がいるのかって訊いてんだぞ」
「………ぇ……ん」
「聞こえねえっ」
「いいえ、いません!」

 四季はネクタイを放し、別の組員の襟を引っつかむ。

「お前は」
「いま、せん」
「はっきり言え!」
「いません!!」

 襟を放し、四季は真剣な表情を向けてくる組員全員をぐるりと見渡す。

「薫さんを姐だと認めない奴は前へ出ろ」

 返事は沈黙だった。
 四季は静かな足音をたてて部屋へ戻る。
 形容しがたい表情で千歳は震えていた。
 造られたようなものではない。ただただ直情的ではいられない感情が混ぜ合わさった人間そのものの顔で、千歳が立っていた。

「聞いただろ『親父』」

 四季は哂う。

「――姐を殺されて黙る程度の面子なら、最初から掲げてんじゃねえぞ」

 長い沈黙が降りる。
 深いふかいため息がそれを裂いた。

「四季と貫之以外下がれ」

 ひらひら千歳が手を振れば、組員達の気配が遠ざかっていく。
 全員いなくなった頃、一気に老け込んだような顔でその場へ座り込んだ千歳は、額に手をやりながら問いかけた。

「貫之、お前か」
「なんのことでしょう」
「ませたガキだが、ガキはガキ。ここまでのこと思いつきゃしねえし、できもしねえよ。お前が仕込んだのか」

 四季は貫之に視線をやる。

「いいえ」
「……はっ、こんだけ啖呵切っちまって、お前らどうすんだ。後はお任せしますなんて許されねえぞ。鉄砲玉でもやって死ぬか」

 貫之が口を開く気配に、四季は座って目を閉じる。

「組長は仰いましたね、久巳組に相手を根絶やしにする力はない、と」
「ああ」
「それは今ある手段だけを選んだ場合でしょう」
「違う方法があるってか」
「はい」
「どんな」

 四季は目を開けて千歳の顔を見つめる。
 貫之が再び口を開いた瞬間、驚愕に染まるのをよく見るためだ。

「それは――」

 貫之の話す方法は、まさしくヤクザ世界に革新をもたらすものだった。

 今日、この瞬間を切欠に、久巳組は最初の経済ヤクザ、インテリヤクザと呼ばれることとなる。

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