小説
五杯目



 四季がひとりで遊びに行くことはなかったが、薫と貫之、三人で出かけることは間々あった。
 四季もそろそろ小学校に上がるという頃、学用品を揃えに行こうと言ったのは薫である。

「ランドセルと筆箱と……色々あるわね。生地を選んでくれたら、体操着袋なんかは私が縫えるけど、四季さんどうする?」
「いいの?」
「ええ、もちろん」

 微笑み、薫は四季の頭を撫でる。ぽんぽん、と二回やさしく叩いてから離れた手の温度を集めるように四季は頭を両手で押さえる。白い頬はりんご色に染まっていた。

「じゃあ、お出かけしましょうか。車お願いしてくるから、貫之を呼んできてね」
「うん!」



 組員が運転する車の後部席で薫と貫之に挟まれて座り、四季は「どういうのがいいかしら」「薫さんは上手だよ」と言われるたび「大事にする」と何度も繰り返した。
 物に不足したことはないけれど、親しさから与えられるものには縁遠く感じていた四季にとって、これは思いがけないよろこびである。
 微笑ましく見守るのは薫と貫之で、無言で運転していた青年はバックミラー越しに三人の様子を不思議そうに見た。
 青年も四季の世話を見ていた時期があったけれど、そのときの四季は今より幼いのにいまより物静かで、血気盛んな若者よりも分別があるように見えるときさえあった。
 その四季がこどものように手を叩いて笑っている。
 青年は視線を前へやりながら、ほんの少し唇を噛む。
 ほんとうは、こういう形であるべきなのだと気づいたのである。
 片手で足りる歳のこどもが、ささやかなねだりごと一つに遠慮を見せるのは本来哀しいことなのだ。
 青年は「手がかからなくて楽だ」などと暢気に構えるべきではなかった。
 己を恥じた青年は「家族」の会話に水を差さないよう、丁寧な運転で目的地へ向かう。



 道具袋、給食袋、上履き入れと体操着袋に手提げバック。好きな生地を選んでいいと言われ、四季は様々な布が並ぶ手芸コーナーを行ったり来たりした。
 人形のように愛らしい白皙の頬は林檎色に染まり、歩くたびにぱたぱた揺れる腕が四季の興奮具合をよく表している。

「貫之、四季さん見ていてね。私は他の小物見てくるから」
「はい」
「あ、籠は俺が持ちます」

 四季が選ぶのに時間がかかると見た薫はひとりその場を離れ、運転手の青年がその後を追う。
 ぴっしりと青藍色の紬に鶸色の綴帯を着こなした薫にただ歩いていても荒っぽさが滲む青年が付き従う姿は「普通」には見えないが、だからといって大げさにひとが避けて通るような物々しい雰囲気もなく、四季は手を振ってふたりを見送って布選びを再開する。

「にーに、こっちとこっちどっちがいい?」
「給食袋なんかは薄くても平気だろうけど、道具入れと手提げは丈夫なほうがいいんじゃない?」
「ん」

 素直に頷きながら四季は棚を行ったり着たりするのだが、ふと顔を上へやって立ち止まる。
 棚は高く、四季がちょっと顔を上げたくらいでは一番上がよく見えないことに気付いたのだ。きょろり、と周囲を見渡すが、踏み台は近くにない。

「気になるのあった?」

 難しい顔で立ち止まった四季に貫之が声をかける。
 四季はどうしようか悩んだが、口を開くより早く貫之は「ああ」と納得した風に棚を見上げた。

「おいで。肩車してあげる」
「でも……」
「あら、私の肩車は貴重よ?」

 茶化した物言いに気遣いを感じて、四季はなにかみながらしゃがんだ貫之の肩に座る。

「しっかり掴まって」
「うん」
「立つよ」

 ゆっくりと高くなる視界に「わあ」と四季は声を上げるが、あんまり待たせては悪いと慌てて生地の物色を始める。視線に合わせてか、下の段はこどもが好きそうなキャラクターものが多かったが、上のほうはおとなしい柄のものが多かった。その中から、四季は暗い青と紫の格子柄をしたキルト生地を選ぶ。あとは茶色に薄茶の麻の葉模様の生地をとり、貫之に「終わった」と声をかけた。

「随分早いけど、ゆっくり選んでいいよ?」
「ううん、下より上に気に入るのがあったから」
「そう。じゃあ、しゃがむよ。気をつけて」

 四季は片腕で生地を大事に抱きしめ、もう片方の手でしっかりと貫之につかまる。少しずつ下がる視界にそっと周囲を見渡せば、こちらへ向かってくる薫たちを見つけた。

「薫さん戻ってきたぞ」
「え? あ、ほんとだ。四季、見せておいで」
「うん」

 貫之から降りて駆け出そうとした四季ははっとして、貫之を振り返る。

「にーに、ありがとう」
「……どういたしまして」

 きょとん、とした貫之は、自分こそうれしそうな顔で四季の頭に手をおく。
 ぐりぐりと頭をなでられるくすぐったさから逃げて、四季は歩いてくる薫のもとへ小走りで向かった。

「慌てると転ぶわよ。いいのあった?」
「これ!」
「あら、四季さんは渋好みね」
「……だめ?」
「まさか。今からいい趣味してると思うわ。じゃあ、それ籠にいれましょうか」
「持てる」
「でも……」

 片腕で抱える四季の不自由そうな様子に薫は困った顔をしたが、四季の後ろから貫之が片方だけ生地の束を抜いた。

「あ」
「一つはかしな。それで手、つなご」

 二つとも持って手を繋げば布を落としてしまうかもしれないが、一つならば問題ない。四季は貫之とつないだ手を少しだけ恨めしそうに見る。

「早く大きくなりたい」
「いっぱい食べていっぱい寝れば、大きくなれるわよ」
「牛乳じゃなくてコーヒーもがぶがぶ飲めるようになりたい」

 幼い四季にとって珈琲は大人の飲み物だ。味もカフェイン効果も強烈で飲ませてもらえない。かろうじて飲めるのはカフェオレとは名ばかりの珈琲風味牛乳である。
 いつか当たり前に珈琲カップを傾けて、小粋なスーツでお髭のカフェ店長とお話しするのだ、と妙な夢を語った四季に薫と貫之はころころと似たような笑い声をあげる。三人の後ろを歩いていた青年も、顔を綻ばせていた。

「四季さん顔が小さいから中折れ帽なんかも似合うでしょうね。イタリアスーツなんかいいんじゃないかしら。フランスは駄目ね。どうしても『着られてやる』っていうのが出てくるから、普段から個性的であるんじゃなけりゃ浮いてしまうわ。イタリアだとラインがきれいだし、融通利かせてくれるからぐっと素敵よ。でも、靴はイタリアよりフランスが……」

 夜の店を営んでいた薫は、凜とした着物姿からは意外なほど国内外のブランドや流行に精通している。
 さり気なく千歳がスーツを着たときに使うカフスやピンが薫の選んだものだということと、それがよく似合っていることを知っている四季はふんふんと薫の話に耳を傾ける。
 こどもに聞かせても、という顔を通りすがりの他人がするけれど、大人と呼ばれるようになった頃、四季の服装は薫の話がよくよく影響されていた。

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