小説
四杯目



 幼稚園から帰ってきても、四季は公園へ遊びに外へ飛び出していくということをしない。
 ヤクザの子と遊びたがる子も、遊ばせたがる親もいない。
 そうと分かって近づくのは腹の中になにかしら抱えている連中だと、四季は幼くとも理解していた。いや、千歳が言い聞かせていたのだ。

「甘い言葉を信用するな。まず疑え。まず探れ。いいか『お前』に近づく人間は全て、まず目的を調べろ」

 凡そこどもに言うべきではないことでも、叶四季には必要だったし、こども通して余計な虫を身中に潜り込ませないため千歳にも必要なことだったのだ。
 叶千歳は実の子の親である前に、久巳組の親なのだから。
 それを貫之は不憫がったが、薫はただ一人遊びや、貫之や自分とできる遊びを教えてやった。そんな遊びを夢中になってやることを知らなかった貫之では、教えられないことだった。
 その日興じたのはじじ抜きである。
 少人数でやるならばば抜きよりも楽しめるゲームを、四季は初めてやった。
 以前、四季の面倒を見ていた部屋住みはもっと年嵩で、四季なりに気を使っていたためにあまり遊ぶ機会がなかったのだ。
 博徒の本拠であるため「札」には事欠かず、いま三人が手にしているトランプも実はカジノなどで愛用される信頼ある老舗会社のものだ。当然紙製で、プラスチックの特徴を利用したイカサマなどできない。
 初めのうちはただ楽しい遊びも次第に真剣味をおび始め、負けず嫌いが同じなのか四季と貫之は口数が減っている。
 四季は自分が山へ捨てたカードを覚えていた。
 いくら「じじ」が分からぬといっても少人数、最初は数字を上に捨てられていたカードも今は伏せられて見えない。
 ふたりの手元になにがあるか、山へなにを捨てたか、四季には分からないがこのカードがいっている可能性は低い、などと予測することはできた。
 この頃既に、四季は数学的な打ち方の片鱗を見せていた。数字に基づいた確率論による安定性。そこに相手との駆け引き、そうと決めた瞬間の度胸が加われば、もはや恐ろしいというほかない。だが、四季にはいま一歩「勘」がなかった。才能がなかった。数学は四季の致命傷を覆うために磨かれた危機察知能力だ。博打に夢や誇りなどを持ち込めば破滅する。ただ勝つために。生きて稼ぐために。命をかければ本末転倒。その姿を博徒ではない、勝負師ではないと謗られても、四季が見込みのない「勝負」に自ら挑んだのは生涯で一度だけである。
 そんな己の将来を知らず、四季は組み合わさったカードを山へ捨てて、薫に手札を向ける。にこにこ楽しそうに抜いたカードを薫もまた組にして山へと捨て、貫之へ手札を差し出す。カードを抜く貫之は睫毛ひとつ震わせない。
 手札も少なくなってきた何順目か、山へ捨てるカードがないときも貫之は知らぬ顔だった。つい、どのカードが、と顔を覗ってしまうと四季は後悔する。どれに指をかけても全く変わらぬ顔と、力の変わらぬ手。貫之は四季がいくら迷っても急かす言葉ひとつ吐かなかった。
 妙な不安がえいや、と抜いたカードが組になったことで拭われても、貫之の何事もなかった顔を見れば次の番が怖くなるのだからたまらない。
 しかし、一番怖いのは薫かもしれない。
 薫の笑顔は貫之との緊張感を宥めてくれる。ほっと息が吐ける。
 冷静であることと、緊張感がないのは別である。
 保護者のもたらす安心感は心地よいが、こうしてゲームに興じている間の薫は味方ではない。相手を油断させる薫は曲者だった。

「あらあら、また回ってきちゃったわ」

 さして困った風でなくもなく言って、しゃかしゃかとてきとうに混ぜた手札を差し出されると、貫之も一瞬だけ遣り辛そうにする。
 その調子で、薫はあがった。
「どれかしらねえ」と首を傾げたくせに最初から狙っていたような正確さで四季からカードを抜き、山へとそのまま手札と合わせて捨てる。

「そろそろお夕飯の準備しなくちゃね?」

 時計を見れば、確かにそんな時間。
 まさか、計って、狙っていたのか。
 唖然とする四季と貫之に、薫はただ「うふふ」と笑った。
 後日、四季が千歳を捉まえて問いかけるが、千歳は大人の顔で「男とオンナの嘘、あいつは両方知ってるからな」と答えるだけで、幼い四季には意味が分からなかった。

「さ、私は抜けるわね」
「……きょ、今日のご飯はなんですか」

 呆然としながら訊いた四季に、立ち上がった薫は戸口で振り返りながら答える。

「エビフライよ。ひとり二本」

 しずしずと廊下を行った薫を見送って、四季は貫之と視線を合わせる。

「にーに、エビフライ一本賭けないか」
「小さいうちから賭け事なんて嘆かわしい。その勝負のった」
「今回は負けられないぞ」
「負けていい勝負なんてないわ、かかってらっしゃい」

 ここから薫が呼びに来るまで「じじ」が行ったり来たりの終わらない応酬が始まる。

「ご飯だって言ってるでしょ!!」
「ごめんなさい」
「すみませんでした」

「もうちょっと」「もう少し」の言い訳を切り捨てる薫はとても怖くて、ふたりは並んで正座した。

 しかし、始めた勝負をそのままにできないふたりが一度で懲りることはなかった。

「始めたことはきっちり始末をつけなくてはいけないけど、優先順位を間違えてはいけないわ?」

 似たようなことが三回目、薫はそれぞれに分厚い本を差し出しながらにっこりと微笑んだ。

「三回読んで感想文を書いていらっしゃい」

 学術書の類ではないが、四季は年齢的に、貫之は環境的に本を読みなれていないので、これは中々辛い罰だった。
 本を手に項垂れたふたりへ釘刺すように、薫は重ねる。

「次があったら、四回読んでね? その次があれば五回よ?」

 四季も貫之も、それ以降「いったん休憩」を覚え、同時に知識の発展を目覚ましくする。

 薫がそれぞれ選んだ本は、ふたりを本嫌いにさせないほど趣味に合うものだったのだ。

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あきゅろす。
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