小説
33ラウンド



 学期末テストの日まで、白はいつも通りの姿勢を崩さなかった。Hortensiaで呑んだり、酔っ払いの勢いに流されて王様ゲームをした結果ぱっつんぱっつんのナースになったり、ゲーセンでガンシューティングのスコアを総塗り替えして本職の方という通称ができたり、目の前を横切った黒猫が車に轢かれそうになったのを助けたり、露店で買った怪しげな絵柄のタロットカードで自分を占った結果三日後に死ぬと出て発狂したり、その結果お隣さんがすすり泣いたり、三日後打倒belovedを掲げた不良に単独行動中を狙われ捨て身の体当たりをかわすも何故か落ちていたバナナの皮に足をとられて道路側へ倒れかけたと思いきやその場で一回転皮一枚の差で背後をダンプカーが通り過ぎたり、ジャージとスニーカーを揃えて土手ランナーの仲間入りを果たそうと第一歩を踏み出した瞬間に靴紐が切れて立ち止まった足先に鳥の糞が落ちたりと、まったくもってどうということもない日常である。

「やべえ、超眠い」

 目の下に隈をこさえた白の姿は、テスト当日の生徒としては珍しいものではないが、風体は明らかに出所直後で反省も後悔もしていない殺人鬼である。

「総長、一夜漬けタイプですか?」

 朝、着席して早々にぐらぐらと頭を揺らす白を心配そうに見遣りながら隼が問えば、白はがくん、と舟を漕いでるんだか頷いてるんだかわからない動作をした。

「総プレイ時間50時間のシミュゲやってた。エンディングはもう幾つか見たが、一押しキャラが病んでてどうしようかと思った」

 まいったよ……とサングラスを外して目元をぐしぐしと擦る白に、隼はなんと声をかけていいか分からない。

「……兄貴もギャルゲーやるんですね」

 どうにか搾り出した言葉はいっそ絞らないほうが云倍もマシなもので、直後に隼は自分が大嫌いになった。

「ギャルゲーじゃない。断じてギャルゲーじゃない。攻略キャラは老若男女合わせて水滸伝かってくらいいて、エンディングも複数。おまけにそれぞれの背景は単体で攻略しただけでは全貌を明かされないという……まさかの主人公悪堕ちもあると聞いたが、そこまではまだ到っていない。帰ったら即行プレイだと思うと辛いな……」
「一応言いますが、テスト期間中ですよ」

 目を隠したまま白は隼のほうを向く。
 鋭い眼光が手で隠されると、輪郭やパーツの配置、その形が整っていることが分かって、隼は思わず白の顔をまじまじと見つめた。

「だからなにと言いたいところだが、なんで俺ガン見されてんの」
「目隠ししても分かりますか?」
「どんなに気配を殺せても、視線というのは隠すのが至難だよ」
「どうしたら隠せますか」
「見なければいい」
「見ない?」

 白は俯き、素早くサングラスをつけて何度かまばたきをして、体ごと隼のほうを向く。

「興信所だの探偵だのの連中は、ガラスドアやらショーウィンドウに映った対象を見ながら尾行する。まあ、それが叶わない場所なんていくらでもあるな。
 見ないっていうのは、相手を見ないということだ。ただ、視界の中に収めてやればいい。空模様を見る視界のなかに対象がいたり、ってな。対象が振り向いたときに視線が合わなければ、気に留められることなんて殆どない」
「……経験があるんですか?」
「まさか」

 白は体を前へ戻し、時計をちらりと見る。もうすぐ始業ベルが鳴る。がらり、と音をたてて開いたドアから千鳥が入ってきた。

「そんなまだるっこしいこと、誰がするか」

 ひらひら手を振る千鳥に振り返す白を見ながら、隼は物思い顔で唇をやんわりと食んだ。

「おはよ、なんの話?」

 鞄を机に置いた千鳥を見上げ、隼はゆるく首を振る。

「総長はわけがわからねえって話」

 底が見えないかと思えば、嘘の固まりすぎて嘘にならない語句を並べて「ほんとう」を露顕させ、真面目なことを言ったと思えば、結論は今までの全てをくだらないと一蹴してしまう。

「俺はあなたが常識はずれに強いということしか分かりませんよ」

 嘆くような口調の隼に、白は投げやりに答えた。

「それだけで十分なんだろう」

 噛み殺し損ねた欠伸が、白の唇を歪ませた。



 テスト期間中は自身のことで手一杯だったのか、名倉が絡みにくることはなかった。絡んだとしても白が白たる所以ゆえにストレスを溜める結果にしかならないので、勉強に打ち込んでいたのは正解だ。
 しかし、テスト期間が過ぎてしまえば、以前よりも粘着質な視線を送ってくるようになり、口を開けば今回の手ごたえに自信があるという白相手でなければ圧力になり得るだろう自慢を並べ立て、大変、非常に、面倒くさい人間になっていた。とはいえ、成績トップの実力は本物、家の背景も美味しければ、名倉に追従するものも多い。

「ねえ、総長、潰しましょうよ、ねえ、いいでしょう? やっちゃいましょう? ねえ、そうちょうー」

 ぴーちくぱーちく囀りすずめの煩さには、白よりも隼の方が苛々していた。自身にも経験がある分、へたに手を出すほうが面倒くさいと分かっているものの、自分に利く我慢が白には利かないらしい。

「残念だが百八十オーバーの野郎にねだられたところでこれっぽっちも心が動かない」

 前髪をピンで留めて、サロンエプロンを巻いた姿でにんじんを手早く切る白の今日の晩御飯は、ミルクリゾットである。駄々を捏ねる甘ったれ坊主のような口調の隼は、その隣で玉葱を刻んでいる。時折すん、と鼻を鳴らす隼の目は赤い。凍らせても完全に沁みなくなるわけではないのだ。
 当たり前のように並んで食事を作っているふたりだが、これは料理を教えて欲しいという隼の粘り勝ちによる結果である。

「……総長って変なところで平等ですよね」
「変なとこってなんだ」
「名倉が不良だったら、容赦していないでしょう?」

 切り終わった玉葱を笊にあけ、隼は次にさやえんどうを切り始める。最初は野菜の前に肉を切ることもあったが、教えたことをきっちり覚えているようで白の目頭が熱くなる。そばで玉葱を切られたせいだろう。

「逆に、加虐してくる連中に容赦する必要性が分からない。まるで分からない」

 むしろ、分かりたくないとばかりに言うカウンター式デストロイヤーは、鶏肉をスパスパと切っている。愛包丁につけた名前は村正。夜中に砥いでいると無性に笑いがこみ上げてくるが、時間を考慮して我慢している。結果、不気味な含み笑いにお隣さんが布団を引っかぶって震えている。匿名で防音シートが贈られる日も近いだろう。

「正当防衛は少なからずダメージを受けなくては成立しない。あ、いや、日本警察は国民のそういった自立を認めたくないから、正当防衛成立はそもそも確立が低いか」
「それにしても、散々罵倒されていますが」
「もっと激しくてもイイくらいだ!」

 包丁を置いて、白はフライパンを火にかける。

「まあ、冗談だ」
「その割りに切実さが滲んでいましたが」
「気のせいだろう。大体、あんなものは痛痒すら感じない。態々なにかと、それも自分と比較して貶めようとしたところで、なあ? 本当に他者を貶めたいなら、そいつの欠点を抉るべきだろう。的確な人格否定もできない相手に俺がときめくと思うなよ。あ、隼ちゃん牛乳にコンソメ溶いて」
「総長、時々……でもなくマゾっぽいこと言いますね。
 名倉のことを相手にしていないのは分かりましたけど、やっぱり俺は腹が立ちますよ。あのクソ野郎になんだって総長が……」

 コンソメは作るのが面倒くさいので、用意されているのは市販の顆粒コンソメだ。それを牛乳に溶かしながらぶちぶちと隼が言えば、オリーブオイルで鶏肉を炒める白が油の跳ねる音に隠れるほどの小ささで言う。

「踊ってる奴が踊らされてるって気付いた瞬間ほど笑えるものはないだろう」

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