小説
29ラウンド
何気なさを装い、人通りの少ない空きビルに囲まれた路地へ出れば、さすがに誘われたことに気付いたのだろう、白と拓馬をつけていた若者たちはずらり、とその姿を現した。数にして十人ほどだろうか。
「belovedだな」
リーダー格らしい唇にピアスをした青年が、がっちりとした体躯を揺らしながら言う。
(隼くらいありそうだが、あーあー、あれ実用じゃねえなあ……筋トレの賜物とは別物だっつーに)
かふ、と欠伸をしながら一瞥を寄越した白に、青年は剣呑な顔をする。明らかに舐められていることに、後ろに控えた若者たちも殺気立ち始めた。
「んー? 人違いなんじゃないですかあ?」
「そんなわけあるかよ。belovedの新しい総長が白髪野郎なのは知れ渡ってんだ」
「おい、誰がシラガだこの野郎。ハクハツと言え。てめえの下の毛に速乾ペンキぶっかけてその後『ぶっかけだいしゅき』の書き文字つけた写真を出会い系サイトに貼り付けられたいのか」
大概酷い文句をヤクザ丸出しの顔で言えば、青年は顔を強張らせたが、むしろそれを恥じたのか、ずい、と一歩前に出てくる。
「因幡の奴もいるみてえだが、丁度今日はいい面子が揃ってんでな。潰させてもらうぜ」
(なんでこういう奴って今時不良漫画でも言わないのを平然と口に出すんだろう。現実とアニメの区別がついていないのか、はたまた単純に頭の年齢が……)
「やっちまえっ」
白がつらつらと考え事をしている間に、青年は若者達に号令をかけた。
迫ってくる青年の蹴りを難なく避けながら、白はちらり、と拓馬に視線をやる。
拓馬は白たちから距離をとり、携帯電話を向けていた。カメラの傍のランプが光っている。
「総長ー、がんばってくださーい!」
「おい、てめえ」
ぶんぶんと手を振り応援する姿は、どこかアイドルの追っかけを思い出すが、白にとっては苛立たしい限りなので、殴りかかってきた若者の腕をとり、そのまま拓馬に向かって払い投げる。拓馬はきれいに回転して足元へ落ちた若者を、躊躇なく蹴り飛ばした。
「総長撮るのに邪魔だ」
吐き捨てる拓馬に激昂し、白へ向かっていた何人かが拓馬の方へ襲い掛かるが、拓馬は携帯電話の向きを白に固定したまま軽くあしらう。
「ムービーなんざ撮ったら職質されたときに一発アウトだろうが」と日頃から国家権力に絡まれる白は若者たちをてきとうにいなしながら怒鳴るのだが、拓馬は明るい声で「終わったらすぐ転送して削除しますからー」と答えるだけだ。
「ちくしょう、ふざけやがってっ」
どこまでも舐めた調子のふたりにキレたのか、青年が捨て身ともいえる勢いづけたタックルで白に迫った。
巨体が砲弾のように迫る様は息を呑むような迫力があるものの、白にとってはむしろ卸し易いことこの上ない。
とん、と白は立ち位置を変え、上体を低く、肩を向けて迫ってくる青年の胸の下近くへと足を振り上げた。
ただ、前へ力を飛ばす蹴りではない。青年の体が足に乗るような位置へ迫った瞬間、白の足は軌道を変える。青年が前へ進む勢いに乗せてその体を一瞬蹴り浮かせると、そのまま踊るように軸足を変えて、その流れ半円を描く。
無防備になった青年の体は、リフティングのあとシュートを決められたボールのように転がっていった。
ずしゃ、と音がして青年がうつ伏せの大の字に転がると、空気があからさまに凍る。
「う、うそだろ……」
「あいつ、75キロ以上あるのに」
青年に続こうとしていた若者二人が硬直し、呆然と呟く。見回せば、残りは彼らのみのようだ。
曲芸染みた動きの直後とは思えない足取りで、白は二人の前に立つ。
「どうするんだ?」
「ひっ」
無表情に首を傾げてやれば、引き攣った悲鳴を上げて二人は後ずさる。白は後ずさった分だけ詰め寄った。
「どうするんだ?」
「ご、ごめなさ……」
「どうするんだ?」
「ゆ、るしっ」
「どうするんだ?」
真っ青になり、目に涙をためる二人の襟首を掴み、白は思い切り引き寄せる。
「――どうするんだよ、なあ?」
うっそりと耳元で囁かれた声に、二人はつんざくような悲鳴を上げて白を振り払った。
あっさりとふたりを解放し、白は梟のようにがくん、と首を傾げた。異様な動きに後ずさった二人は周囲の倒れた仲間を見渡し、彼らから背を向けて走り出す。
「『いい面子』ってなんなんだ?」
呟き、白はうめき声を上げる青年の顔近くまで歩み寄ると、青年を見下ろすようにしゃがみ込んだ。
「なあ、いい面子ってなによ」
青年は苦しげな顔を上げるが、口を開く様子さえない。
白はサングラスにかかった髪を指先で払い、猛禽類のような目をきゅ、と細める。
「答えられないなら、そんなものは最初から存在していなかったんだろ。夢を見るのは寝ているだけにしろよ? 現実に夢を持ち込んだって……」
ぽん、と青年の肩に手を置き、白は至近距離から青年の顔を覗きこむ。
「こうやって駆逐されるだけだぞ?」
「やーべ、総長マジかっけ」
テンションが上がりすぎてにやける顔を必死に堪えながら、拓馬は撮り終わった動画を「総長が喧嘩なう」という件名のメールに添付して、belovedメンバーに送信する。
携帯電話の動画は荒いので、白の動きの詳細は伝わり辛いと思われるが、行動と結果だけでも十分驚きに値するはずだ。拓馬はこの感動を分かち合いたくて仕方がなかった。
「拓馬」
「うぇっはい!」
「……パン屋のセールとやらはまだ間に合うか?」
「え、ええと、あ、はい。軽く走ればなんとか!」
「ふうん。じゃあ、ちょっくら急ぐか。あとよろしく」
頷き、まるで映画の逃走劇のように走り出した白の背中に見惚れた拓馬は、その背中が見えなくなるとほう、とため息をついて手に持ったままの携帯電話をしまう。
充足した気分のまま倒れ伏す若者達を見回して、拓馬は歯をむき出すようにして笑った。
「じゃ、身分証明押さえるか」
何度も立ち上がる雑魚は、ゲームのなかで十分だ。
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