小説
二十九




 坂枝高校の文化発表会は決して大々的なものではないが、保護者にプリントが配られ、生徒の作品を見に来ることができる。
 また、学校側の判断で優秀作品は他校のものと合わせて、市内にある駅のギャラリースペースへと展示される。
 しかし、坂枝高校にそこまでの熱意があるものは滅多におらず、坂枝高校からの作品といえば、大抵が美術部が描いた絵や、書道部による書などなので、今年は学校側も大層驚いたことだろう。
 まさか、刺繍糸から染めて作った、麻の「刺繍のれん」などという大物をやらかす連中がいるなどと、考えもつかなかったはずだ。
 その熱意だけでも担任教師は口をぱかん、と開け、校長は大いに感激したが、なによりもその出来栄えである。
 薄ら灰がかった淡い灰黄緑色の麻に、古代紫、暗紅色など紫基調のアヤメと杜若が絡み合うでもなく交差し、鉄媒染による発色で、どこか墨絵を思わせる葉が唐草のように半円をつくっている。
 のれんが風に煽られる様は、まさに花が風に揺れるが如しで、なんともいえぬ優美さと上品さがあった。
 決して派手ではないし、圧倒されるような華美でもない。しかし、風に吹かれる様が視界に入ればふと目で追って、しん、と見入ってしまうような引き込む魅力があった。
 今年の優秀作品として、満場一致で選ばれるに十分なものである。
 しかし、名誉な知らせに四人の反応はといえば――

「……うれしいけどさ」
「惜しいよね」
「来月頭までだから、いいんじゃねえか」
「でも、一番いい時期に持ってかれるんだってさー」

 文化発表会が終われば即じゃんけん大会開催を予定していた四人は、アヤメと杜若という題材にもっとも相応しい時期に手元から離れるという事態に、ひどく複雑な顔をしていた。

「しかも駅のって、あれ硝子ケースだしな」
「さあっと揺れるのがいいのに……」
「ぼくのレポートは写真と文章抜粋方〜。あんなにがんばったのにぃ……」
「碓井のがんばりは俺らがよく覚えてるし!」

「分かってねえな」と舌打ちまでする始末の四人は、のれんがとうとう自分達の誰かの家に落ち着くことなく、校長室へご招待される未来をまだ知らない。

「でも、思ってた以上のができたと思うんだけど、どうかな?」

 宗司が残念そうな顔から一転、晴れやかな面持ちで伺えば、全員が似たような顔で頷く。

「次があればもっと大物に挑戦したいかも。今度はもう少し期限長く見て、さ」
「今度こそ着物とかやりたい!」
「俺も、今度は精錬からできるように頑張るわ」

 それぞれが当たり前のように「次」を思い描く。

「まあ、もうすぐ受験で忙しくなるんだよねえ。ぼく、経済のほう進む予定。みんなは?」
「僕は専門」
「俺もだな」
「俺もだけど、どっかの工房に弟子入りっていうのも憧れる」

 為しえたいと努力する。

「あ、明日休みだよね、打ち上げじゃないけど、この前のカフェ行かない?」
「前回ゆっくりできなかったしね」
「いいんじゃねえかってぶえっくしょいっ」
「玄ちゃん、この前からくしゃみしてるけど、風邪?」
「いや、そんなこ……うぃっきしっ」
「……葱と梅干買って帰るー!」
「おおっとー、息子さんが親孝行に張り切ってますよ、お母さん」
「孝行息子をもってよかったね、お母さん」
「ふぇっくしっ、誰がお母さんだ、おいクソカナ、待てっ」
「まーたなーいもーん!」

 足の羽が生えたように軽々と、少年達は未来へ向かって走り出す。
 その姿はいっそ眩しいほどで、暗雲迫るときがあったとて、きっと糧になるだろう。
 前を向くための夢があり、ともに志す仲間がいて、常に寄り添い支えあうひとがいる。
 いつか、いつか、いつか。
 いつかはいずれ、今日へと代わるだろう。

「いつか」夢に追いつく、その瞬間に――





 駅の改札口を降りた和装の男は、ふとその駅にギャラリーがあることに気付き、腕時計に目を落とす。時間には余裕があった。
 男の足はギャラリーへと向かい、ひともまばらな硝子ケースのなか、ひとつの作品に目を奪われる。

「…………なんと、まあ……」

 複数の展示品のなか、ほぼメインの扱いで展示されていたのは麻のれん。男はそののれんに刺された刺繍に思わず声を落とす。
 まだまだ荒削り、きちんと教えた師匠がいなかったのか、直したほうがよい部分もあるが、男はのれんの傍に掲載された解説を読んで、老いの伺える目を見開く。
 図案も刺したのも、ひとりの高校生だという。
 この年でこれだけのものができるなら、この高校生の将来性はいかほどか。
 男は唇をきゅっと結ぶ。
 散々周囲に言われてきた。
 弟子はとらないのか、自分の腕をそのまま失わせるのか。
 文化や伝統が失われるのは哀しいことだが、それを受け継ぐ人間がいないのもまた確か。男とて、ただ失うのを待つばかりの現実を、唯々諾々に善しと思っていたわけではない。

「そうさね……もし、もし……」

 この高校生が――
 男は最後まで言葉にすることなく、ゆるり、と首を振る。
 それは低い確率だ。本人にどれほど才能があろうと、若い頃に嵌った趣味で終わらせ、安定した職を目指すのが普通だろう。それを他人がいくら惜しんでも、当人の人生であるならば、挟む嘴などあろうはずもない。
 男はもう一度しっかりと硝子ケースの向こうへ視線を焼付けて、そっと背を向けた。
 入れ違いに、仕立てのいいイタリアスーツを着た男が、先ほどまで和装の男が立っていた場所にやって来る。

「へえ、いいじゃねえか」

 目を留めるのはやはり麻のれん。
 しげしげと見遣ってから、男は製作者の名前に目を向ける。
 高校の名前はうっすらとしか記憶にないが、複数いるらしい製作者のひとり、どうやら刺繍を担当したらしい高校生の名前にふと引っかかり、上品な人形のような顔に手をあてて考える。

「…………確か、そんな名前のが……」

 考え、男ははっとして腕時計に目を落とす。これ以上のんびりしていれば「兄」にどやされるだろう。
 男は一瞬だけ硝子ケースを振り返り、その場を急ぎ足で立ち去った。

 ――縁は知らぬところで交差し、それを織り成していく。

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