小説
二十三
彼方の家に玄一が持ち込んだ荷物は、選択して着回すこともあり、少ない衣類と最低限の日用品、それと学用品と大きめの鞄一つに納まってしまうようなものだった。
「祖母ちゃんが二泊三日の旅行に持ってく荷物より少ないんだけど」
「俺は逆に、女がなんで毎回あんな大荷物持ってんのか分からねえ」
「文江さんが出かけるとき身軽じゃん」
「あの手提げひとつがどんだけ重いと思ってる」
「ってか、碓井いつまで立ってんの、上がれば」
「お、お邪魔します」
ぽんぽん交わされるふたりの会話に挟む口もなく、玄関の入り口で靴も脱げなかった宗司は、彼方に促されてようやくそろそろと頭を下げた。
彼方の一人暮らしを察しても、まさかそこが一軒屋とは思わなかったらしく、少しだけきょろりと辺りを見渡した宗司に「とりあえずこっち」と彼方は手招く。
「玄ちゃん部屋どうするー? 大体どこでもいいけど。なんなら仏間とか」
「アホか。お前の隣空いてるか?」
「空いてるけど、明かり漏れるよ」
殆どが和室なので、部屋を仕切るのは襖だ。大げさに気にするほどではないが、明かりを点けていれば欄間などから光りが漏れる。
「神経質じゃねえからな」
「そ? んじゃ、荷物置いてきなよ。帰りにポット持ってきてー」
慣れた足取りで彼方の家を歩き回る玄一に「……ほんとに仲良しだねえ」と宗司がしみじみ呟き、居間へ案内する彼方へついて行く。
「そーよ、俺と玄ちゃん仲良しなのよー。
……だから、あんまし迷惑かけたくねーの」
唄うように言った調子と反し、最後は水に投じた石のように深く沈みこむものがあった。
「玄一は、迷惑だって思ってないと思うけど……」
「思ってないからって、寄りかかってばっかでいいわけじゃないっしょ。
玄ちゃんはねー、俺と一緒にいてくれるんだー……たぶん、ずっと。だから、俺は負担だけで埋めたくないの。頼るのと迷惑かけるのって違うっしょ。
あーあ、俺も玄ちゃんになんかしたいけど、玄ちゃん大体なんでもできるんだもんなあ。文化発表会終わったら、風邪でもひかねえかな。俺、一生懸命看病すんのに」
半ば本気の彼方に、宗司は引き攣った苦笑いをした。
「熱出たり、頭痛したりしたときは、デコに梅干乗せるといいとか、祖母ちゃんに色々教わってるんだぜ」
額に梅干乗っけて寝込む玄一を想像し、宗司は噴出した。きっと、熱にうなされる以上に顔を顰め、舌打ちするのだろう。
笑いを噛み殺しながら、宗司は居間の障子に手をかけた彼方に言った。
「彼方はお祖母ちゃんっ子なんだね」
ぴたり、と止まった手。
呼吸すら止まったような彼方に、地雷を踏んだらしいと宗司はすぐに気付いた。
「あ、ご、ごめ……」
なにを謝ればいいのかも分からないが、急ぎ口から出る謝罪はつっかえる。
ゆっくりと振り向いた彼方は、若干青い顔をしつつも微笑んでいた。
宗司は、こんなにも淋しそうな笑顔があることを、初めて知る。
「うん――俺、祖母ちゃんっ子なんだ」
吐息に掠れるような声で言った彼方は、後ろから近づいてきた足音に宗司の肩の向こうを見る。振り返り、見つけた玄一の姿に宗司は無意識に息を吐いた。
「なに屯ってんだ、お前ら」
「べっつにー。玄ちゃん、お茶をはよくりゃれ」
「何時代の人間だ……」
彼方は障子をさっと開き、ポットと盆で両手を塞ぐ玄一のために道をあけた。
「座布団隅にあるから好きに使って」
「あ、うん……」
「カナ、留守電入ってたぞ」
「マジで。めっずらしーい。ちょい行って来る!」
居間に入らぬうちに、彼方は廊下を駆け出した。途中で滑ったか、焦った声を出したが、すぐにまた慌しい足音がしたので問題ないだろう。
宗司は半ば呆然と彼方の背中を見送り、居間へと敷居を跨ぐ。玄一は手際よく茶の準備を始めていた。
「あの、玄一……」
「碓井」
「ひゃいっ」
「なんだその悲鳴。悪いが、大槻にも言っておけ」
玄一の横顔も、声音も静かだが、それが逆に宗司へ並々ならぬ緊張感をもたらす。
「あいつに家族の話し、あんまり振らないでくれ」
「家族……」
「大げさに隠す必要はないし、気ぃ使えってことでもねえ。積極的に家庭環境を聞こうとしないだけでいい」
顔を上げ、玄一はじっと宗司を見た。
睨んでいるわけではないのに、玄一の視線は強く、まるで射抜くような鋭さで宗司に向けられる。
ごくり、と喉を鳴らしながら、宗司は頷く。
「うん、分かった。駿にも伝えておく」
「ああ、ありがとな」
なにか様子が変わったわけでもないのに、重苦しさが一気に霧散したような気がして、宗司はほっと息を吐き、そのまま座り込む。直後に「入り口で落ち着くな」と玄一に咎められる。
重たい体をずりずりと膝歩きで移動させ、宗司が落ち着いたところで再び慌しい足音が戻ってきた。
「玄ちゃん、玄ちゃんっ」
「おう、どうした」
「三件入ってたけど、結局どれも用件言わないし、名乗らないし、だったら留守電発動する前に切れっつうのっ」
居間に飛び込んできた彼方は玄一に抱きつこうとしたが、その手が急須を持って湯を注いでいる最中なので諦めた。代わりにきゃあきゃあと騒ぐ。
「律儀に全部聞いたのか、ご苦労さん」
「だって、途中でなんか話すかもしれないじゃん」
「えっと、早送りしたら?」
おずおずと助言した宗司に、彼方はぱかん、と口を開けた。
「……そ、そっか……俺、留守電は流しっぱにしてた……」
「ファックス使うときもやけに慎重だが、お前、電話苦手なのか」
「家電がなんか苦手なんだよっ」
「取り説読めよ」
「とっくに捨ててあるし」
「……今度、機能説明をシールに書いて貼っといてやるよ」
可哀想なものを見るような玄一の目に、彼方はきいっと悔しそうな声を上げた。
「それぐらい自分でできますしっ、玄ちゃんはさっさとお茶を淹れたらよろしいんじゃないですこと!」
「だから、いったいどこの言葉だそりゃ。ほら、入ったぞ。碓井、そこじゃテーブル遠くね?」
「あ、ありがと」
「これ飲んだら作業開始でいいー?」
騒いでた様子をぱっと切り替えた彼方の言葉に玄一と宗司は頷き、それぞれ湯のみをとった。
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