小説
二十二



 昨今の宅配業者は優秀である。
 通販で注文した麻布は、全ての糸が仕上がる頃には届き、幸いにも玄一たちはいらぬ間をおかずに作業を進めることができた。

「ぶっちゃけ、学校休もうかと思う」

 昼休み、四人顔を突き合わせてそれぞれ弁当なりパンなりを食べているところに、彼方が妙に真面目な顔で言った。

「あー……分からなくは、ないが」
「最初からじゃなくて、せめてラストスパート入ってからにしたら?」
「最初から飛ばすと死ぬよね。目とか手とか、肩とか背中とか」

 全員が全員、どこかしら職人気質というか、学生の本分よりも趣味を優先するところがあるため、彼方の発言に「いくら発表会が授業の一環とはいえ、よくないよ」などと言う人間はいなかった。
 刺繍、それも日本刺繍というのは時間がかかる。彼方も重々承知しているので、あまりにも張り切った図案を起こしはしなかったが、それでもやはり根気がいる作業には違いない。
 文化発表会の準備期間ということで、下校時刻は早いのだが、それでも足りない気がするのは仕方がないだろう。

「お前が作業してる間、俺そっち泊まるわ」

 玄一は一瞬考える仕草をしてから、なんでもないことのように手を打った。
 さすがに宗司が「え」と声を上げるが、それよりも彼方が身振り手振りで反対する。

「いやいやいらねえしっ」
「いるだろ。絶対お前ぶっ倒れる。無茶して屍になる」
「それはありそうだね」
「確かに心配かも」

 短い付き合いであっても、彼方が夢中になったことには寝食をおろそかにしがちだということはよくよく把握されている。
 そして、玄一の口ぶりから彼方が一人暮らしをしているらしいことも。

「なんならお前がうちに来るか? まあ、モノがものだから、道具運ぶの面倒だろうが」

 刺繍台その他、大物ばかりだ。

「……いざっていうとき必要なものが手に届かないのはやだ」
「自分の作業場って、結局自分に一番やりやすいように物配置してるからね」

 うんうん頷く駿に玄一は肩を竦める。

「じゃあ、やっぱり俺がそっちに行く」
「いーらーなーい! 玄ちゃんようやく終わったばっかじゃん、俺の世話続けてとか必要ねえもん」

 ぷい、と横を向いてパンをむしゃむしゃ頬張り出した彼方に、宗司が噴出す。

「好かれてるね、玄一」
「それでこいつがどうこうなるほうが厄介なんだがな……」
「まあね。協力し合って一つの作品をっていうのに間違いはないけど……」
「学校側が求めてるグループ作業って、こういうのじゃないだろうね」

 協力して一つの作品を作っていることに間違いはないが、それぞれの作業があまりにも単独作業過ぎるので「なんか違う」ということになる。
 しかしながら、全員いちいち「これどうする?」などと話し合うよりも「これ任せた」と餅は餅屋の方が都合がいいことを分かっている。

「ねえ、彼方。グループ協力らしさを出すためにも、玄一の出張って大事だと思うんだ」
「出張ってなんだよ……カナ、後々どうにかなっても困るだろ。意地張るな」
「秋田は飯田橋の世話できてれば安心なんだから、心配かけないためにも頷いたほうがいいよ」

 三人に言われ、彼方は口をひん曲げる。
 玄一ひとりでもこういう場面では弱いのに、賛同者がつくとはどういうことか。
 不満をありありと見せる彼方の口に、玄一は自分の弁当から卵焼きを押し付けた。

「これやるから大人しく言うことを聞け」

 吐き出すわけにもいかず咀嚼した卵焼きは、玄一の弁当のおかずとは思えないような甘さで、彼方はごくん、と飲み込んでから「玄ちゃんに似合わねーの」と悪態を吐いた。

「いいんだよ、お前が食うんだから」

 ひどい甘やかしを聞いて、彼方はとうとう黙り込んだ。
 短い反抗期をどうにか収束させた彼方に、宗司は玄一に向かってぐっと親指をたてる。

「さすが、お母さん」

 玄一は宗司の頭を引っ叩いた。


 彼方は一週間でなんとかする、と言い張ったが、恐らくそれは難しいだろう、というのが玄一たちの見解だった。休日もあるとはいえ、平日の朝から夕方近くは授業がある。一週間で切り上げるとしたら、彼方はそうとう根を詰めなければならなくなるだろう。それを阻止するために玄一がいるのだ。
 かといって、時間は無限にあるわけではない。準備期間は限られていて、いくら残る作業が早く終わると言っても、余裕があるに越したことはないのだ。
 最終的に十日間ということで決着がついた。

「十日も玄ちゃんと一緒かよ」
「うれしくて涙が出るだろ」
「……玄ちゃん口煩えもん」

 拗ねた顔をする彼方の両頬を片手でむにっと押して、玄一は鼻で哂う。
 彼方がぐずぐずと駄々を捏ね続けようが、すでにことは決まってしまったのだ。しかも、玄一は彼方たちの前で文江に連絡し、彼方の家に泊まる旨を告げている。
「あまりご迷惑かけちゃ駄目よ」と息子の急な外泊を文江は窘めたが、大仰に反対することもなく、玄一に彼方と代わるようにいい「よろしくね、なにかあったら言ってちょうだい。お仕置きするから」と伝えた。彼方に退路はない。
 早速今日から、ということで、玄一は帰宅後荷物をまとめて彼方の家に向かう。宗司も一端帰宅してから、途中で待ち合わせだ。

「ぼくも行きたいけど、用事があるんだ。明日行ってもいい?」

 きゅ、と眉を寄せた顔は不機嫌そうに見えるが、ただ残念に思っているだけらしい。彼方は駿の伺いに唇をひよこのように尖らせてから「お構いもできませんが!」と拙い口調で了承した。実際、刺繍に没頭すればお構いもなにもあったものではない。玄一が湯のみを多く用意するくらいだ。祖母と共に暮らしていたからだろう。彼方の家には来客用の湯のみに事欠かない。

「ところで、お前もう布確認してんのか?」
「当たり前でしょー。うん、思ってたのより感じがいいよ。多分、実際に使うときは予定より明るく仕上がるかもね」

 帰り道、分かれ道で手を振った宗司と駿に背を向けた玄一は、隣を歩く彼方に問いかけた。未だ唇が尖っていた彼方だが、刺繍の話を振ればすぐにその顔はぱっと輝き、鼻歌でも唄いそうな調子だ。

「……言っとくが、お前に普段やってるような糸ってわけじゃねえぞ」

 試し染めとはいえ、彼方に玄一が分けているのは文江たちが、専門の職人が染めているものだ。玄一の付け焼刃とは比べ物にならない。

「んー? プロと比べて心配すんなんて、らしくねーの。玄ちゃんが染めた糸でしょ? 俺が張り切らない理由がないね!」

 にしし、と刃を見せて笑った彼方に、玄一は虚をつかれたような面持ちをしてから、ゆっくり顔を片手で覆う。

「カナ、あんま喜ばせんな」
「あ、玄ちゃんの耳まっかっかー!」
「うるせえっ」

 照れ隠しに上げた手をひょいっと避けて、彼方は跳ねるように走る。

「待て、コルァっ」
「こっこまっでおーいでー」

 追いかけっこを開始するふたりの後ろ、どこまでも長い影が伸び、やはり楽しそうにじゃれていた。

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あきゅろす。
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