小説
始まりは突然に
・痴漢被害にあってる風紀委員長と居合わせた不良



 少々血の気の多い連中が多い松山高校は、少しでも校内の治安を維持しようと今時珍しい風紀委員会がある。
 秀介は風紀委員長である。乱闘に率先して突っ込んでいったり、突っ込まされたり、後始末に奔走したりと忙しい。
 今日も今日とて、捻りがないのか校舎裏でドンパチ始めやがった連中を怒鳴り蹴散らし、一般生徒よりも遅い帰宅途中だ。
 疲れた顔のサラリーマンやOL、これから遊びに繰り出すのか派手な格好の若者にみっしりと挟まれながら電車に揺られるのは、お世辞にも快適とは言い難い。
 不意に、秀介の尻を誰かが撫でた。
 これだけの乗客率だ、そういうこともある。
 秀介は冷静すぎる判断を下して、腕ひとつ満足に動けない状況、特に反応もせず欠伸をかみ殺した。
 秀介の無反応になにを思ったか、尻を撫でる手がだんだんと動きを大胆にさせていく。

「おい……」
「あ?」

 秀介が尻を撫で回されながら今日の夕飯について考えていると、耳元に潜められた声がする。僅かに首を巡らせれば、ごく近くに見知った顔があった。
 風紀委員の手を焼かせているひとりの幸太郎だ。
 幸太郎は困惑したような顰め面をしながら、重たそうな口を開く。

「お前、尻触られてるぞ……」

 秀介はぱちり、とまばたきをする。

「知っているが」
「……プレイだったら、すまん」

 恥ずかしそうに顔を伏せて、人混みに紛れようとする幸太郎を、秀介はどうにか動かした腕で捕まえる。その間も尻には誰ぞの手が這っている。

「プレイではない」
「痴漢、か?」
「痴女かもしれん」
「……どちらにせよ、性犯罪だろ」

 苦々しく吐き捨てる幸太郎の顔を意外なものを見るように凝視してから、秀介は首を振る。

「いいや? 腕が挟まってとれない人間かもしれない」
「……ちらっと見ただけだが、思い切り撫で回されてたじゃねえか。ちなみに野郎の手だった」
「そうか……まあ、よくあることだ」

 今度は幸太郎が秀介を凝視する。
 それはそうだろう。
 自分と同い年の青年が、血の気の多い連中を千切っては投げ、蹴散らしている風紀委員長が痴漢被害常連と自己申告されて「へえ、そうなんだー」で流せるほど幸太郎は達観していない。世の中がいくら広いと言っても、そんな世界を幸太郎は知らない。

「だが、痴漢も俺の尻を撫でたくて撫でているわけではあるまい」
「……撫でたくなけりゃ撫でないだろ」
「いや、この人口だからな、別の女性の尻と間違えたもの多数だ」
「統計がとれるほど被害にあってるのかよ……」
「ああ、尻の感覚なんぞとっくに遮断できる」
「マジか」
「冗談だ」

 幸太郎は複雑そうな顔をする。

「お前も冗談とか言うのかよ」
「当たり前だろう。ユーモアがなければ人生くそだ」

 会えば殴り合いをしていた相手の思いがけない性格に戸惑いながら、幸太郎は視線を落とす。秀介もいつの間にか尻から手がどけられていることに気付き、ため息にも似た長い息を吐いた。

「お前、毎回こうなのか」
「そうだな、大体こうだ」
「……壁際寄るとかよ」
「これだけ人間がいて、そんな自由に立ち居地が決められると思うのか」

 幸太郎は唸る。だが、秀介の言葉はもっともだ。

「帰りって、いつもこんな時間か」
「お前らが暴れなければもっと早く帰れる」
「……俺だって絡まれなきゃもっと早く帰れるんだよ。なあ」
「うん?」

 言い辛そうにする幸太郎に、秀介は首を傾げる。
 思えば、こんな風に会話をしたのは初めてだ。普段であれば粗暴な言動ばかりを見ているが、案外まともな会話が続くものだな、と思っていると、幸太郎が耳を赤くしながら言った。

「なんなら、俺がお前の後ろをだな……」
「狙うのか」
「狙わねえよっ」

 思わず怒鳴った幸太郎に、視線が集まったが、幸太郎が睨みをきかせると、それもまた散った。

「冗談だ」
「笑えねえんだよ……」
「なに、お前が俺の尻を守ろうとするとは青天の霹靂もいいところでな」
「別に俺はお前の尻なんてな……」
「違うのか」
「……違わねえけどよ」

 秀介はうっすらと微笑んだ。
 殴り合いをするだけでは分からない幸太郎の一面を見て、胸がほっこりしたのだ。やはり人間は言葉を使うべきだ。

「お前はいい子だったのだな」
「誰がいい子だ」
「お前はいい子だよ。反省文を出したことはないけど」
「誰が出すか」
「まあ、俺としても態々回収するのは面倒だから構わないが」

 真面目に見えて秀介は大雑把である。そんな秀介の様子に複雑そうな顔をした幸太郎は、窓の外が見慣れた景色になっていることに気付き、身じろぎをした。

「俺、次降りるわ」
「そうか、俺はその次だ」
「……何時だよ」
「二十七分かな」
「この車両に乗っててやる」

 言って、減速を始めた電車に合わせて、幸太郎はひとを割っていく。
 秀介はその背中に声をかけた。

「ありがとう、よろしく頼む」

 幸太郎は肩越しに手を振って、電車から降りていった。

 不良と風紀委員長、尻を守り守られるという奇妙な関係が始まった日の話である。

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