小説
あなたを愛し、あなたを否定します(前)〈ライナス〉



 緒方紅葉の愛は狂気的だ。その愛に慣らされた保高峰継もまた、正気ではあるまい。
 ふたりを傍観、あるいは観測し続けた伏佐間祐司は、とうとう迎えたその瞬間に目を伏せる。

 任期満了、引継ぎ完了。

 保高峰継を会長に戴いた時代が終わった。同時に、親衛隊も解散する。
 祐司は壇上に立つ峰継を、老成したような目で見上げた。
 昨日までの熱意と反するように、親衛隊の面差しは静かだ。それは、この学園における風潮が、ほんとうに一時の熱病でしかないことの証明のようで、祐司は口元の刷いた笑みを深くする。
 暗黙の了解で、元会長に花束を贈呈するのは親衛隊長と決まっている。
 祐司の手にも、歴代と変わらず豪華な花束があり、その香りに噎せ返りそうだ。
 この花束を渡せば、ほんとうに終わり。
 振り返る三年間は、どろどろと薄暗く汚泥のような部分もあったけれど、同時に夢を見ていたようでもあり、とうとう現実に帰る日がきたのだと思えば、祐司は喉から漏れる笑いを堪えるのが大変だった。

「生徒代表から花束を」

 副会長の進行に、祐司はパイプ椅子から立ち上がる。
 姫などと称された容姿の自分が花束を持つ姿は、それはもう絵にしたいほどだろう、と祐司は知っている。ほんとうに姫だというならば、花束は贈るのではなく贈られる側だろうけれど、祐司は花束など貰ってもうれしくない。男に贈るのだって、面白くない。
 結局、祐司はただ成り行きと暇つぶしで、親衛隊長になどなったのだ。
 熱病に冒されることも、行過ぎた敬愛も、愛情そのものすら、花束を贈呈する相手に抱くことはなかった。

 場違いだ。

 祐司はわらう。
 花束を持つのも、贈るのも、自分では相応しくない。
 どうせ、最後だった。夢は終わる。舞台は幕引きだ。
 祐司はわらう。
 喜劇が好きだった。楽しいことが好きだった。けらけら笑い、腹を抱えて七転八倒するのが好きだった。容姿が台無しだと頭を抱える周囲など知ったことではない。
 祐司は花束を抱えて歩く。
 戸惑いにざわめく生徒や教師を無視して、祐司は歩く。

「行っておいで、紅葉」

 差し出した花束は、誰よりも壇上の彼を愛した子に。
 誰より峰継を愛し、支え、峰継からもっとも信頼された紅葉に。

「これは歴代親衛隊長が、との暗黙で、もはや様式美といってもいい決まりですが。僕がやらかしたら……」
「いいから。保高峰継親衛隊、緒方紅葉に親衛隊長伏佐間祐司から最後の命令だよ」

 ぐだぐだ言い募るのを遮り、祐司は紅葉に花束を押し付け、いつかは痣だらけになったことすらある腕を引いて椅子から立たせる。空いた椅子には自分が座った。

「行っておいで、紅葉」

 ふてぶてしくも足を組み、腕を組んで椅子に深く腰掛ける祐司に紅葉はやれやれとばかりに首を振り、壇上へと顔を向けた。
 歩き出した紅葉にざわめく声も、何故、とばかりに向けられる視線も、当事者にとってはどうでもいいことだ。
 紅葉は最後まで親衛隊として峰継に尽くすことしか知らなかったし、峰継も――

(見せてほしい)

 壇上へと上った紅葉の背中、紅葉を待つ峰継の横顔、全てを目に焼き付けて祐司は待つ。
 知っていた。必要以上にまとめられた紅葉の荷物を。
 知っていた。誰よりも峰継を知り尽くしているからこそ、懸念して峰継が配備した網は空振るだろうことを。

(愉快で楽しいきみたちの結末を、最高のコメディを見せて欲しい)

 ピリオドもなく、役者失踪で劇が終わるなど、祐司は許さない。



 峰継は祐司が壇上に向かわなかった時点で、その足がどちらへ向かうかなど分かっていた。
 決して使い勝手がいいわけではないし、個人としての付き合いは信頼に足る人物ではなかったが、祐司もまた親衛隊だったか、と峰継は内心で苦笑いする。
 動機がなんであれ、祐司の行動は峰継にとってありがたいものだったのだから。
 小さな体がゆっくりと壇上に上ってくるのを待ちながら、峰継は一瞬だけ祐司に視線を送る。
 母親似の美しい顔で、祐司は華やかに笑った。美姫の如き唇が分かりやすいように音のない伝言を送ってきて、峰継は舌打ちしたくなる。

「期待しています」

 なにを、などと、祐司の人柄を知っていれば問うまでもない。

「花束贈呈」

 峰継の前に紅葉が立ち、副会長が戸惑いを滲ませながらも進行を続ける。
 差し出された大きな花束を峰継が受け取れば、紅葉は猫のような目をくすぐったそうに細めた。

「ありがとう、ございました」

 下げられた頭、旋毛がどちらに巻いているか、峰継は知っていた。
 きっと、壇上を降りてしまえば、紅葉は見せるつもりはないのだろうことも。
 紅葉の頭が上がる。
 別れの言葉などなく、壇上を去るべく紅葉の視線が峰継から外れる刹那、峰継は花束から胡蝶蘭を引き抜いた。たかが生徒会長のために随分と豪勢な花束を作ったものだ、と唇を皮肉に歪めながらも、恐らく花選びに一役買っただろう祐司に内心で喝采を送る。
 壇上にいくつか花が散り「え」と誰かが声を上げるのも構わず、峰継は暗闇に佇む猫のように目をまん丸にする紅葉の胸ポケットへ胡蝶蘭をねじ込んだ。

 ブートニア。

 男性が求婚の際に花束を差し出し、受け入れる場合に女性が花束から花を抜いて、男性の胸に指したことに由来する。
 奇しくも、とはいえないだろう。
 この状況を狙って花を選んだ人物がいる。その狙いを違わず読み取った人物がいる。
 ふたりの共謀者により、端役のまま姿を消さんとした紅葉は主役として舞台の真ん中へ立たされた。

「かい、ちょう……」
「もう会長じゃねえ」
「あ、なたは少々、強引なところがありましたが、こんな、公の場で、なんという……」

 紅葉はあえぐような声を搾り出し、蒼白になった顔で峰継を見上げる。
 誰も彼もが保高峰継の夢から覚めたいま、熱病を引き摺ることを許されないいま、峰継の振る舞いは冗談では済まない。
 らしからず、周囲の目を気にして振り返りたいだろうに、紅葉の目は峰継に「なぜ」と責めるように向けられている。
 紅葉にとっては耐え難いことだろう。一番恐れていたことかもしれない。
 自分のせいで、峰継の今後に影が差すなどと。

「緒方紅葉を愛している」

 峰継が断言するように言い切った瞬間、紅葉は胸元の胡蝶蘭を押さえて泣き崩れた。

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あきゅろす。
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