小説
四杯目



 菫を伴い、大通り近くの駐車場へ向かえば、四季に気付いたかスキンヘッドの男が運転する車がすぐに出てきた。
 程近くに停まった車の運転席から降りた男は計ったような角度で四季に礼をして、すぐに後部席のドアを開ける。礼も言わずに乗り込んだ四季は、手を伸ばして菫から手提げを受け取ってやった。

「ありがとうございます」

 四季と、男に対して菫は礼を言う。ささやかな事柄であっても、菫の感謝には心が篭っている、と四季は思う。それは「礼を言う」という行為が反射や、習慣からくる言動ではないからだろう。
 うれしいと思ったから、助かったと思ったから、菫は礼を言う。
 軽度の知能障害を持つ菫は、与えられる言葉を十全に受け取れずに育ってきた。結果、菫の心は実年齢よりもずっと幼い。

(今年で二十六には見えねえよな……)

 よくよく自分の周りには年齢不詳が集まるものだ、と自分自身も立派な年齢不詳者である四季は肩を竦め、行き先を訊ねる運転手に夾士郎のマンションを告げる。

「お家ではないのですか?」

 一拍二拍、車が走り出してからようやく菫が四季に問う。

「悪いな、藤代はもう少し忙しいんで、一人で家にいるよりはって思ったんだが」
「一人じゃないですよ? 尾崎さんがいます」

 世話役の名に「そうだったな」と返し、四季はあひる口を僅かに尖らせる。
 常の面差しを上品な人形と称される四季だが、いま隣に座る少女を見てそういう者はいないだろう。
 菫こそ精巧な人形、精緻に創り上げられた芸術、表情をなくせばたちまちに生きた人間とは別のものとされるが、ひと度微笑めば、左右対称を僅かにでも崩せば、途端彼女は絶世の美少女である。世に得がたき生きた人形である。
 菫の類稀な容姿に求める手は多い。静馬も、と四季はほんの僅か危機感を抱いたのだが、どういうわけか静馬は四季の関係者であるという以上に菫へ興味を持っていなかった。内心でガッツポーズをとっていた四季ではあるが、疑問は残る。

(美女だの美少女だのいたら多少は口説くなりするだろ)

 世の中、それが許される人間と許されない人間いる、これを顔面格差社会というのだが、そういうものと知ってはいても実感はしていない四季はぴんとこない。もっとも、口に出して妙な意識を持たれてもまずいので訊ねるつもりはないが、訊ねた瞬間秀麗な顔面を大きく腫らすことになるので正解である。

「叶さん」
「うん?」
「鏡一さんは元気ですか?」
「あー、まあ。それなりに。一応家には帰ってるだろ?」
「私、あまり遅くまで起きていられません。鏡一さんのお顔を見ていないの」

 藤代鏡一、菫の夫であり、久巳組若頭である。
 上司である四季は、菫にそのつもりなくとも責められているように感じ、口元を引き攣らせる。
「貫之のためにももう少しがんばってもらおうかな!」と考えていた四季は、脳内で目まぐるしくスケジュールを確認し、その厳しさにうんざりした。

(……いまならジジイにも縋れそうだぞ……)

 年齢不詳通り越し、もはや化け物の粋である人物を思い出し、四季は魂が篭ったようなため息を吐く。

「叶さんは元気ではないのですね」
「いや、だいじょーぶ、問題ないぞ」
「でも、さっきよりもしょんぼりしてしまったみたい。お店にいたときの叶さんは、とてもうれしそうでした」

 直情的にものをいう、と四季は苦笑いしながら、足を組みかえる。頬杖をつきながら窓を見れば、うっすら写った自分の顔を、菫がじっと見ていた。

「菫が藤代に会ったときと同じだぞ」
「叶さんはあのひとが大好きなのね」
「……ああ、大好きだぞ」
「あのひとも、叶さんに少しうれしそうなお顔してました」

 それは四季も瞠目したあの微笑のことだろう。
 蛇蝎の如く嫌われている四季にとっては、心のアルバム一冊丸々埋めてもまだ足りないほどのものだ。
 好きなひとにわらってほしい。
 当たり前の願いを四季も持っているが、四季が四季ゆえにそれは中々叶わないなか、あの笑顔は希少だった。だからこそ、なぜ、と思う。なにが静馬の琴線を揺らしたのだろう。四季には分からない。
 四季と静馬、ふたりの関係の根源にして、前提が成り立たせる思考の意味を、四季は未だ理解していなかった。

「――わあ」

 四季が一瞬思考を沈めていると、菫が感嘆の声を上げた。その視線は窓の向こうに向けられており、その先には薄紅の並木道。八分咲きにもまだ届かない桜が咲いていた。

「きれいですね、叶さん。とってもきれい」
「そうだな」

 はしゃぐ菫の様子に、四季はバックミラーへ視線を飛ばす。すぐに察した運転手は車の速度を緩めた。

「そういえば、その着物気に入ったか?」
「はい、とっても素敵です!」

 桜の地紋に枝の刺繍という変わった誂えの着物は、四季が今年の季節に間に合うよう手配したものだった。
 初めは総刺繍で、と思った四季だったが、刺繍職人の方がそっぽを向いたのだ。曰く、飽きた。
 同じようなことを考える輩は多いらしく、つまらない、とのことらしい。四季も皆同じ、というのは気に入らないので、では全ておまかせで、といえばまさか織から仕立てられ、正しく世界に一点しかない着物が完成した。あの刺繍職人は四季の金払いのよさを理解し過ぎである。

(まあ、親戚っつーのもあるんだろうが……)

 ならば尚更遠慮しろ、と思わなくもないが、血のつながりしかない親戚関係よりも、客と職人、パトロンと芸術家という関係の方が強固なので仕方ない。

「叶さん、お仕事はまだまだ忙しいですか?」
「うん? そうだな、まだもう少し……」
「そうですか」
「なにかあったか?」
「いいえ」

 なにかあるんだろう。
 成熟しきらない精神を持つくせに、我慢を覚えたこどものように遠慮を知る菫。彼女の願いをできる限り叶えることは、四季の義務であり、また義理でもある。
 店のおもちゃ売り場にいるこどものような目で窓の外の桜を見つめる菫の頭を、四季はくしゃり、と撫でてやる。

「……花見までに終われなかったら、悪い」

 驚いたように顔を上げた菫は、ゆるく首を振って着物の合せを撫でる。

「いいの。お花はここにあるからいいの。衣紋掛けから広がっているとね、とってもきれいなのよ。お外の桜に負けないくらい、とってもとってもきれいなのよ」

 そうか、と頷いて、四季は車の窓を開けた。
 さあっと入ってくる風に乗り、薄紅の花びらが四季の膝に落ちてくる。
 黒紅色のスーツに花びらが浮かび、それはまるで夜桜のようだった。

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