小説
二杯目



 すっかり春めいて日差しが温かくなった頃、ここ暫くはまた忙しいらしく顔を出さない四季に静馬の心も今日の青空のように晴れ渡っていた。

「いやあ、いいね。店んなか空っぽでもヤクザがいないってのはいいね」

 四季がいなければぽっかりと時間の空白のように一足が絶えるテッセンの昼下がり、営業者としてはどうなのかと思われる呟きを上機嫌に落としながら、静馬は自分用のカフェ・ラッテを淹れる。
 ふんわりと香ばしくも甘い香りが立ち込める店内で穏やかな一服を、と思った静馬だったが、不意打ちのようになったベルに手元のマグに落としていた顔を顰める。

(野郎……)

 どうしてひとがいい気分になっていると来るのだろうか、と舌打ちをしたくなりながら、静馬はむっつりと引き結んだ唇のまま顔を上げた。
 が、そこにいたのは静馬では早々着ることのできないイタリアスーツを当たり前に着こなした四十路ヤクザではなく、着物姿の少女だった。
 生成り色をした繻子の着物は淡い虹色がかかり、枝だけが絹鼠色で刺繍されているなか、光の加減で桜の花びらの地紋が浮かんでいる。帯は灰桜の綴と全体的に淡い色合いだが、帯揚げは麹塵、帯紐は岩井茶、羽織は黒橡と引き締まっていた。少女が着るには潔すぎる組み合わせかもしれない。着物に見慣れぬ静馬だが、少女がまとう着物が素晴らしいものだと分かり、思わず感嘆のため息を吐く。
 なにより、着ている少女自身が素晴らしい。
 少女、という印象をまず抱いた静馬だが、よくよく見ても容姿から少女の年齢を窺うことができない。十代と言われても二十代といわれても通じるだろうが、年齢をうかがうよりもまず、その整った造詣に目を奪われるだろう。

(……あ?)

 静馬は既視感を感じる。
 少女の美しい容姿を形容する言葉が見つからない。どれほどの賛辞を連ねても追いつかない。あどけない「表情」を浮かべていなければ、少女はそのまま日本人形よりも無機質だろう。
 ――少し歪んでようやくその美しさを他者に強制認識させる。
 そんなひとを静馬は知っていた。

「あの」
「あ、いらっしゃいませ。お好きなところへどうぞ」

 どれほど上質な銀で作った鈴であろうと、少女の呟きひとつに敵うことはないだろう。
 はっと我に返った静馬は、さっと手で店内を示し、少女は迷うように視線を巡らせたあと、カウンター席の端に更紗の手提げを置き、ちんまりと腰掛けた。脱いだ羽織をどうしようと白い手がさまようので、静馬は「空いてるところにおいて大丈夫ですよ」と促す。少女は小さく笑って軽く畳んだ羽織を隣のスツールへと置いた。

「ありがとう」
「いえ。メニューこちらです」
「……たくさん、ね」

 少女の少し困ったような声音に、静馬は曖昧な笑みを浮かべる。
 確かに珈琲や紅茶は種類がいくつかあるし、そのほかのメニューもあるのだが、困るほどたくさんと思ったことはなかった。
 少女は暫くメニューをじっと見ていたが、不意にはっとしたように手提げから分厚い手帳を取り出した。
 ぱらぱらとページを捲り、目当てを見つけたのかぱっと春の日差しよりも麗らかな顔で再びメニューに目を向ける。

「あったかいのだから、ジュースはだめ。甘いのがいいから、珈琲もだめ。お家にないから……シナモンミルクティーくださいな」

 指折り選択肢を狭めていく姿は、外見よりもずっと幼く、先ほどメモでなにかしらを確認していた姿から静馬は「そういうひと」と察した。

「かしこまりました」

 少女はにこにことうれしそうで、その天使もかくやという表情を見て、愛されるために生まれてきた、という表現は彼女のためにあるのだろうな、と静馬は思う。思いはするが、顔面偏差値に差がありすぎるともはや別世界の住人と切り離して考える静馬なので、目と鼻の先に美少女がいるとは思えないほど内心は平淡だ。
 慣れた手際で準備を始めると、先ほど聞こえたばかりのベルが再び鳴り、静馬は動かしていた手をとめる。

「よう、マスター」
「……いらっしゃいませ」

 何故いる、と思った静馬だが「普段」であれば、少女がいることの方が珍しいのだ、と気付いてしまい、咄嗟に舌を打ちそうになる。いや、それにしても他の客がいるときに四季が躊躇なく来店することも珍しい。四季なりの線引きか、こうしてたまに先客がいるときは、足を運んでも引き返しているようなのに。
 静馬の疑問は、四季が気安い態度で少女の頭に手を置いたことで解ける。

「久しぶりだな、菫」
「叶さん、こんにちは」

 まるで気の好い小父さんのような四季と、あどけない笑顔で挨拶を返す少女。知り合いであることは間違いないだろう。

「ひとりか?」
「はい」
「ちゃんと言ってきたか?」
「尾崎さんに行ってきますって、言いました」
「ここ来るっていうのは?」
「どちらへ行かれるんですかってきかれたから、テッセンに行きますって言いました」
「……この店はどこで知ったんだ? この辺こないだろ?」
「インターネットです」

 四季は頭が痛そうな顔をする。

「調べ方覚えました! 地名とね、お店の種類を入力するんです。たくさん出てきたから、ちゃんといつもみたいに『しょーきょほう』で選びました!」
「……そうか、すごいな。がんばったな」
「はい!」

 褒められてうれしいという顔の菫に対し、四季は遠い目をしている。
 静馬は知り合いとはいえ、菫の来店が四季の意図したものではないと察し、こっそりため息を吐く。これでは四季を蹴り飛ばせない。
 それにしても、と静馬は菫の言葉を思い返す。
 ありとあらゆる情報が簡単に手に入る世の中というのは分かっていたが、自身の店の名がネットに出回っているというのは考えたことがなかった。そういえば、地域に溶け込んでいるとはいえ、立地的には目立たないのに、時折地元で見かけたことのない部類の客が訪れることがあった。きっと、菫のようにネットで知ってやってきたのだろう。
 便利な世の中だと思う。しかし、祖父は面倒くさがっただろうな、と静馬は苦笑いしながらシナモンスティックを用意して、ソーサーに添えながら菫の前へ置く。

「お待たせしました」
「わあ!」

 甘い香りに菫はぱっと顔を輝かせる。それだけで四方を照らすような美しさで、静馬は織田信長の妹にそういう呼び名のひとがいたな、などと思いながら四季へ視線を向ける。

「ご注文は」
「いつもので」

 菫がいなければ岩塩をぶつけていた。

「…………エスプレッソでよろしいでしょうか」
「よろしいぞ!」

 菫がいなければウインクしていない方の目を突いていた。
 運のいい奴め、と内心で悪態を吐きながら、静馬は恐らくもっとも慣れているであろう作業を始めた。

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あきゅろす。
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