小説
八杯目
「なぜ、あなたが此処にいるのですか。
――四課の古雅雪総警部」
警部。
静馬は愕然とした顔で男、雪総を見上げると同時に納得した。四季絡みで自分をマークしていたのは、後ろ暗い連中だけではなかったらしい。
雪総は嫣然とした笑みで静馬の頬を撫でると、空になった湯のみをテーブルに置く。
「んー? だってえ、アタシ中華が大好きなんだもん! 蟹さん食べたいなーって思ったら、知り合いの声がするじゃない? 挨拶するのが社会人でしょ!」
「ほう、お仕事でいらしたのでは?」
「違うわよ?」
「では、こちらも私事なので……」
「プライベートだから、古雅雪総が個人的にどう動こうが、どうにでもできるのよ?」
「……お仕事中のあなたとは中々仲良くなれませんが、私事でも仲良くなれない、嫌われてしまったら、私は国の者に白い目で見られます」
「あら、そーお? ところで、アタシね、いまとっても紅茶が飲みたいの! 店長さんが淹れてくれた紅茶がとっても美味しくて、また飲みたいなーって思ったらばったりでしょ? ねえねえ、お話終ったら彼を連れていってもいいわよね!」
静馬は見ていなかったが、雲飛の口元はひくひくと痙攣していた。
きゃは! と笑う雪総に、雲飛は引き攣りきった笑顔でゆっくりと頷く。
「ええ、ええ、ええ……静馬とは先ほどお話を終えました。彼にはもう、用がない。どうぞ、お連れください」
「そうなの。ありがと! 行きましょ、店長さん」
「え、ちょっ」
ぐい、と腕をとられ、静馬は椅子から転げ落ちそうなのをなんとか堪える。
戸惑いながら振り返れば、雲飛は疲れた顔で静馬を見送っていた。
「まさか、静馬が彼だけではなく、古雅警部とも関係があるとは思いませんでした。
あなたに手を出した時点で、私はこの辺りでの商売を諦めるべきでしたね。
さようなら、もうお会いすることはないでしょう」
ひらひらとおざなりに振った手でグラスにがんがん細かい氷砂糖を入れて、紹興酒を注いだ雲飛はこれから自棄酒らしい。
雪総の肩書きはおろか、名前すらこの場で知ったとは、言わないほうがいいのだろう。
静馬は口を引き結び、雪総に引かれるまで店の外へ出た。
冷たい風に静馬は身を竦ませるが、雪総の足は止まらなかった。
「寒い? 駐車場まで我慢してね」
「駐車場って……」
「アタシ車で来てるのよ。送ってあげる」
先ほどまでのコンクリートに叩き付けたスーパーボールのように弾んだ調子ではないものの、雪総の機嫌はどこか良いように見える。
静馬は言いたいこと、聞きたいことがあったのだが、それを口に出していいのか戸惑い、口を開けては閉める。
そうしている内に駐車場に着き、雪総の足は黒いアウディの前で停まった。
「乗って」
「あー……」
さっきの今ので殆ど知らない他人の車に乗り込むには抵抗があるが、それは抵抗できる、という余裕があるおかげだろう。
静馬の躊躇いに雪総は嫌な顔もせず、スーツの隠しから取り出した折りたたみ式のカードケースのようなものを翳す。所謂、警察手帳だ。手帳とつくものの、デザインが変わって久しく、現在は手帳機能を取り払われている。
「本物の警察よん。髪は染めてないわ。クォーターなの。外国の血が入っていても、国籍が日本なら公的機関に就職するのも問題ないとされているわ。
頭の固い連中は多いけど、家柄学力も花まるなら、つけられるのはいちゃもんくらいね」
容姿でどうこう言われるのは慣れているのだろうが、雪総は気にした様子もない。
しかし、静馬が気になったのは年齢だった。
四季という例外がいるせいか、見かけで年齢を判断できないと思っていたが、雪総は特に若作りというわけではなかったらしい。
「俺とあんま変わらないのに、警部……」
キャリアか、と静馬は察して、唖然と雪総を見た。
年齢的にキャリア街道を歩んできたらしい。
「ほらほら、寒いでしょ。納得したら早く乗ってちょうだい!」
「ちょっ、助手席のドアを団扇煽ぐみたいに開閉すんな。壊れるぞ」
「壊れたら直せばいいじゃない!」
「分かった、乗る、乗ります!」
壊れかけの車なんて乗りたくもない。
渋々助手席に座った静馬ににっこりと笑い、雪総は運転席のドアを開けた。
「シートベルトしてね。さーて、しゅっぱつしんこーう!」
片腕をぐ、と上に上げて、雪総はエンジンをかけた。
一瞬、眇めた目でバックミラーを見ながら。
とあるビルのなか、自身の執務室でパソコンとにらみ合っていた四季は、突然鳴った携帯電話に形のいい眉を跳ね上げた。
「――そうか、あのクソカマ野郎がか。犬の監視もたまには役に立つもんだ。
ああ、いや、そのまま任せておいていいぞ。うん? ああ、そっちは駄目だ。ああ、俺もすーぐに行くぞ。ああ、すぐ、すぐだ」
先日の一件で、呉雲飛とその周囲には厳しく規制をかけていた。恐らくそれを打開すべく、なにかしらやらかすだろうと予想していた四季は、密かに監視を雲飛につけていたのだが、その監視役が連絡してきた内容に盛大なため息を禁じえない。
携帯電話の通話を切って、四季は部下に諸々の指示を飛ばす。
「しっかし『桐山』まで使ったのかよ。ったく……。
あー、それにしてもマスターのツンは激しすぎるぞ。少しくらい縋ってくれたっていいじゃねえか」
唇を尖らせた四季に「お車の準備が」と部下が声をかける。
椅子から立ち上がり、一歩を踏み出す。その間に四季の目は冷たく凝り、残忍な色に染まる。
「じゃ『個人的な報復』に出るとするぞ」
行儀の悪い新参者に躾けの時間だ。
そこにほんの少し私情が混じるかもしれないが、それは仕方ない。
「こっちは最悪マジでマスターに振られるかもしれねえんだ」
どんな素っ気無い言葉でも、相手をしてくれる内は、言うことが許される内は、許容範囲なのだ。
静馬は一度切ると決めたなら、気安い態度をとることも、悪態を吐くこともなくなるだろう。四季はただの風景の一部に成り下がる。路傍の石、心底どうでもいい、そんなものに成り下がる。
「テメェのミスなら自業自得だが、今回は完璧巻き込まれじゃねえか」
呪われた人形のような顔をする四季は、黒い目に遣る瀬無い色を溶かしながら夜の街を行く。
某日、ある海外企業が日本の一部地域から撤退した。
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