小説
四杯目



「ヤクザと外国人の小競り合いですって。怖いわあ。
 ――店長さんは巻き込まれたり、しなかった?」

 小首を傾げる客に、先ほどから脳裏をぱちりぱちりと弾けたものの正体を知り、静馬は強張りそうになる表情筋を必死に緩めた。

「騒がしいな、とは思いましたが、その頃はもう店仕舞いの準備で忙しかったので」
「そうなの」

 水辺の砂は、どんなに乾いていても、踏みしめれば水が染み出してくる場所がある。
 唐突に思えるほどひたひたと湧き出した警戒心に、静馬は脳裏で舌を出す若作りの四十路へ悪態を吐く。四季は不在であってなお、静馬に厄介ごとを運んでくるようだ。
 この客が四季絡みで自分を探っているらしいことを察した静馬だが、かといって客の正体がわかるわけでもない。
 そもそも、昨夜の騒ぎがどういったものかすら把握していないのだから、客の真意や目的を推測できるわけもなかった。
 こんな状況になりたくないから、四季との関わりを歓迎していないのだが、こんな状況になってしまったのなら情報不足はまったくもって厄介だった。
 重くはないが、ぴん、と一本緊張の糸が張られた沈黙のなか、客がティーカップを置く音が響く。

「ヤクザといえば、この辺って事務所でもあるのかしら」
「さあ? そういう話はあまり……」
「いまネットも発達してるじゃない? この辺って久巳組関係者の目撃情報けっこうあるっぽいのよね」
「へえ……やっぱり有名な組だと、こんなとこもシマだったりするんですかね」

 客の真っ赤な唇が意味深に吊りあがるが、嘘は言っていない。
 静馬は久巳組の事務所に強制的に連れて行かれた経験はあるものの、悲嘆に暮れるのと四季を罵倒するのに忙しく、ろくな地理を覚えていなかったし、わざわざ車で移動したくらいなのだから「この辺」という距離に事務所はないだろう。
 また、裏社会の事情など進んで耳をふさいでいるため、四季という真っ黒くろ助な男と客と店長という付き合いがあっても、勢力図なんてものはさっぱりだ。
 静馬は嘘が得意なわけではないが「本当ではないこと」「嘘ではないこと」の使い分けができるくらいには「大人」だった。
 客がどういう意図でこんな話題を振っているのか分からない以上、静馬は「知らない」というスタンスをとるしかない。

(くそが、なにを探ってるんだ)

 昨夜のことそのものか、四季との関係か。
 そもそも、この客は「何者」なのか。
 ちら、と向けた目が、客の無邪気に輝く目とかち合った。

「なあに?」
「いいえ、お代わりは?」
「魅力的ね! でも、この後も忙しくて、これ以上はゆっくりできそうにないのよね」

 残念、と肩を竦めた客は、腕時計を確認するとティーカップを傾けた。

「ごちそうさま、美味しかったわ!」
「ありがとうございます」
「お釣りは結構よ」

 ぴ、と千円札をピン札で置いた客は、ジャケットを腕に引っ掛けると颯爽とドアに向かった。

「また、来るわ!」
「お待ちしております……」

 ぶんぶんと手を振って、客はドアの向こうに消えた。
 その背中を見送った静馬は、盛大なため息をついて、その場にしゃがみこむ。
 平和ボケした日本人である静馬は、こんな緊張感に慣れていないし、慣れたいとも思っていない。

「ったく、なんだってんだ」

 痛くない腹を探るな、とはいえない。正しくは痛い腹を探ってくれるな、である。
 昨夜の一件は間違いなく突かれたくも、探られたくもない事柄だからだ。
 四季については、ただの客です、と言い切れなくもない。
 いくら静馬がそう主張したとしても、十人に聞いて九人が「ヤクザと関わりがあるなんて」という態度をとるのが間違いないので、やはり探ってほしくないのだが。ちなみに十人のうちの一人は静馬である。
 静馬はカラン、と鳴ったベルの音にはっとして、慌てて立ち上がる。
 昼下がり、恐らく休憩時間に訪れているのであろう常連のひとりの姿に、日常が戻ったような安堵を覚え、静馬はほっと息を吐いた。

「いらっしゃいませ」



 四季は部下からの報告に、上品な人形のような顔をまさに人形のように生気を感じさせない無表情にして、重厚な椅子の背凭れに寄りかかった。

「あのクソカマ野郎が、マスターに、ねえ。まあ、辿り着かないわけねえよな。ああ、それはいい、それはいいぞ。タイミングが最悪だが。
 いいや、今までは見逃されてただけか。ああ、まったく、最悪だ……最悪だぞ」

 物に当たるのは美学に反する。だから四季はその激情を露にしたりはしないが、内心では「クソカマ野郎」をありとあらゆる方法で惨殺していた。
 無表情は静けさすら感じさせるが、四季のこめかみには本当に青筋が浮かび上がり、緩く組んだように見せかけて、絡み合った両手は白くなるほどの力が込められている。
 ぐつぐつと煮えくり返るマグマが渦を撒いているのを四季の背後に錯覚したか、報告した部下が思わず後ずさりしたいのを懸命に堪えた。

「あんなド三流を使うなんて冗談じゃなかったんだ。それをあの古狸がいらん横槍いれるからこんなことになるんだぞ。ああ、これも含めてあの狸には隠居してもらうぞ。こっちが立ててやってりゃ図に乗りやがって。
 ついでに大陸の奴らもだ。どこにでも涌くとはいえご丁寧にうちのシマでごたごた起こしやがってからに、新大陸の連中といい大陸の奴らは揃いそろって礼儀を知らねえ。ヨーロッパの連中は『歴史』がある分まだマシだぞ」

 デリケートな部分を抉る四季の怨嗟に冷や汗を流す部下は、前触れもなく寄越された視線に背筋をぴん、と伸ばした。

「貫之、は……あいつのことだから分かってんだろうなあ。あーあ、あとが煩そうだぞ……おい、藤代に大掃除の連絡いれとけ」
「はい!」

 これ幸いとばかりに素早く出て行く部下の背中にため息を吐き、四季はデスクにぐったりと寝そべった。

「珈琲が飲みてえ」

[*前へ][小説一覧][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!