小説
こんな出会い



 さなえは基本的に週休二日である。
 普段の仕事は一般で考えれば膨大(どころの話ではないほど)で、それを単身こなすさなえであるから、休日出勤という言葉とは無縁だ。
 なので、さなえは金曜日の定時になると、そそくさと職場を後にして、月曜日まで学園から出て行く。
 学園外で働く恋人に会いに行くためだ。

「もしもし、さなえ君?」

 学園を出てすぐ、タイミングよくかかってきた電話に出ると、浮かれた調子の声が聞こえて、さなえは無意識に微笑んだ。

「こんばんは、礼一さん」
「こんばんは! さなえ君、もう学園出た?」
「はい、いまバス停です」
「そかそか。じゃあ迎えに行くから、駅についたら連絡ちょうだい」
「え、礼一さん忙しいんじゃ……」
「木曜日から金曜午前の僕は、秘書がドン引きするくらい仕事熱心だよ! 今日から日曜までの仕事はパーペキ! 休日邪魔しようなんて輩がいたら、打ち殺してやりたくなるからね!」

 パーペキとは随分懐かしいフレーズだと思いながら、さなえは自惚れではなく自分のために時間をつくってくれた恋人に、顔が熱くなるのを感じた。

「えと、じゃあ、駅についたら、また」
「うんうん、待ってるよ!」

 ぎこちないさなえの返事にも、礼一は嬉しそうだった。
 通話の切れた携帯電話を握り締めて、さなえはしゃがみ込んだ。
 恋愛に淡白だったはずのさなえだが、礼一のストレートな感情には毎回くすぐったくなる。

「思春期かっての……」

 さなえの呟きに被さるように、バスの走行音が聞こえた。



 礼一の愛しい恋人は、随分と年下の青年だ。
 三十の時に亡くなった父親を継いで、礼一は忙しく駆けずり回っていた。
 使えないわけではないが、いまいち足りない弟や、一人娘ということで両親が少々甘やかしてしまった妹は自主性や行動性に乏しく、役に立たない。結果、父の遺したあれこれの管理や整理など、礼一に負担がいった。
 なんといっても「遺産の分配は長男礼一に任せる」等という目を疑うような父の遺言が弁護士に預けられていたのだ。礼一は弁護士や主治医に晩年の父の正気を尋ねたが、彼らは一様ににんまり笑顔で「お父上から、可愛い長男へ最後の愛の鞭だそうです」と答えた。目をかけられていた自覚はあるが、大事な相手こそ愛の鞭、という父の方針に、礼一は目が潤むのを感じた。もちろん「ありがた迷惑じゃけえ」という意味で。
 会社など任せてコケられたら、こちらにまで洒落にならない負担ができるため、ほぼ理事長の椅子に座っているだけでいい学園を弟に任せ、妹にはマンションの収入で生活してもらうよう手配した。
 やっと一息ついたと思った頃には三十半ばが近づき、今度は親戚一同から齎される見合い話に疲弊した。
 どこまで自分は一族のために、人生奔走しなきゃならないのかと。
 長期休暇が欲しいが、そんな暇はない。
 ならば、会社への通勤が楽という理由で、親戚連中集う実家から離れることにした。今まで散々お抱え運転手の車で送り迎えされてなにを、という空気だったが、なんとか言い包めた。
 学生時代に寮生活はしたが、一人暮らしは三十五歳にして初めてである。
 家事一切を自分の手でやるのは不安だが、疲れきった礼一は家政婦と関わるのすら億劫だった。
 思えば、人間嫌い一歩手前だったのだろう。

 住まいに決めたマンションは、そこまで広いものではなかった。
 まともにやるか不明だが、掃除をするのに広大な部屋は礼一からなけなしのやる気を奪うこと必至だったからだ。
 近くに高校があるらしく、引越し中にも何人か見かけた。
 業者が荷物を運び入れるのを外廊下で待ちながら、ふと眺めた地上で目立つ金色が目に入り、礼一は思わずそれを注視した。
 確か高校の制服である黒いホックタイプの学ランを、かっちりとまではいかないが目立った着崩しもせずにまとった少年は、その形に反して髪を見事な金髪に染め上げていた。
 なんとなくぼうっと見ていると、少年が不意に顔を上げて驚いた。少年の方も遠くて分かり辛いが、きょとん、としているようだ。といっても、薄く色の付いた眼鏡のせいで、顔立ちは定かではない。

「竹中さん、運び入れ終わりました。細かい内装は別のものが担当ですので」
「え、あ、ああ。ありがとうございます、お世話になりました」
 目を逸らすのも怪しいかと戸惑っていたところに、業者が作業終了を告げて、礼一はほっとした。
 短いやりとりを終えて、もう一度地上に目をやったが、少年の姿は既になかった。



 一人暮らしを始めて一週間、半ば予想していたことだが、礼一は家事を放棄した。
 掃除こそ、散らかさなければ適当に掃除機をかけたりするだけでいいと気づいたため、なんとか自分でやっているが、食事は外食、ケータリング、出前。洗濯はクリーニングの配送サービスを利用している。
 別に、いまさら自立が云々のために、一人暮らしを始めたわけではない。だから、この状態が悪いわけではないが、平穏というか、安らぎを求めた心は満たされない。精々、実家にいるより静かでいい、というくらいだ。

「つかれたー……今日も外食にしよーかなー。あー、手料理に憧れる気持ちがわかっちゃーう……」

 いつもより早い帰宅時間だが、蓄積した疲労は礼一に重くのしかかる。
 マンションのエレベーターから降りる際、深いため息をつき、情けない呟きを落とした礼一は、落ちた視線にローファーが映っているのに気づき、顔を上げた。
 きょとん、とこちらを見る金髪の少年。
 少年の両手に下げられたビニール袋の片方から、大根がはみ出している。

(あれ、ひょっとして……)

 眼鏡がないので違うかもしれないが、引っ越した当日に見たあの子だろうか。
 このマンションに住んでいたのか、という感想と共に、少年が立っているのが自分の部屋の隣の部屋の前ということに驚いた。

「……こんばんは」
「あ、こんばんは……」

 昨今にしては律儀らしい少年は、なんとなく見つめ合ってしまった後、ぺこ、と頭を下げた。つられて礼一も会釈した。

「えっと、俺は竹中礼一っていうんだけど、ひょっとして、お隣さん?」
「ご丁寧にどうも。竹中さんが706号室なら、そうですね。705号室の沖田です」
「そっか。お隣さんと初めて会ったよ」

 きっと、自分の生活時間は、このフロアの住民とずれているんだろう。
 ひとり納得していると、少年が手持ち無沙汰にしているのに気づき、礼一は慌てて少年を促した。

「なんか、引き止めちゃってごめんね」
「いえ、大丈夫です。それじゃ」
「うん、おやす……」

 こんな時に腹の虫が鳴くなんてのは、フィクションの世界だけだと信じていた礼一だった。
 挨拶を遮った腹の虫に、礼一は俯いた。こんな羞恥は早々味わえるものではない。
 居た堪れない気持ちでいると「くっ」と思わず、といった笑い声がした。

「わらわないでー……食べる暇惜しんで働いてきたんだよー」
「ああ、すみません」

 謝るが、まだ少年の顔は笑っている。
 三十路がなにやってんだ、と秘書に冷たい視線を送られることしばしばだが、つい癖で礼一は口を尖らせた。

「すみませんってば……ああ、よかったら、うちで飯食って行きますか?」
「へっ?」

 少年の思いも寄らない提案に、礼一は秀麗とも称賛される顔を間抜けなものにした。

「手料理恋しいんでしょう?」

 先ほどの独り言を持ち出して、少年は微笑む。
 お隣さんとはいえ、知らない大人を家にいれるなんて無用心じゃないか、とか、赤の他人の料理振舞うなんて大胆な性格だな、とか色々思ったが、少年の微笑みに誘われるように、礼一は頷いていた。


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