小説
19ラウンド
転校初日から威圧してぼっちになりたくなかった白は、あまりとりたくない手段だったが「気配を半殺し」にしていた。
正直、とても疲れる。
ただ殺すのではない。それならばまだ山での暮らしで慣れていた。しかし、今回は半殺しである。
「あいつ影薄くね?」とか「ああ、お前いたの?」くらいの絶妙な加減を調節しているのである。少しずつ加減を緩めるつもりだが、面倒くさくなって式の間は完全に気配を殺した。忍足も常時白を気にかけているわけではないので問題ない。振り返られたときに「いなくなった」と思われないように気配を出せばいいだけだ。
どこでも変わらない校長の長い話を聞き流し、注意事項を耳半分に聞き、解散、というところで白はため息を吐く。
「織部くん疲れたかー?」
「いえ、大丈夫です」
「そかそか。んじゃ、ちょっと職員室寄ってからクラス行こか」
「はい」
ぞろぞろ出て行く生徒たちを見送りながら、白は頷いた。
呼ぶまで教室の前で待っていろ、と言われた白は自己紹介について考える。
まさかHortensiaでやったような自己紹介はまずいだろう。あれは基本滑る。白のような人間がやっても反応に困ります、というものだ。Hortensiaでは反応に困らせて「こいつ駄目じゃね?」という方向に持っていきたかったのだが、結果はご存知の通りだ。belovedマジスルースキル高い。
(ぼくの名前は織部白。地元じゃ名の知れた不良殺し……俺は織部白、浅実高校に通う二年せ……皆の衆! 今日からっ……落ち着け。クールダウンだ)
地元よりもよっぽど寒い地方にも関わらず、有名校の予算は伊達じゃないのか、廊下はそこまで寒くない。だからといって温かいわけでもないのに、白の脳みそは煮える一方だ。
結局、自己紹介文が浮かばないまま忍足に呼ばれ、白はドアに手をかけた。
(担任があの調子なんだ、ここは気軽にいこう)
白は深呼吸する。
「どうも、遠い県からやってきた織部つくたわばあああああ」
さっとドアを開けると同時、まるでお昼のバラエティ番組の司会挨拶が如き登場をしようとした白だったが、視線を向けた教室にまさかの知り合いふたりを見つけて噴いた。
(え、なんでいるの。なんで、え? ちょっ)
思わず回れ右してドアを閉めた白だが、鼓膜にはここ数日で聞きなれてしまった声が「総長」と叫ぶのと荒い足音が聞こえていた。
(俺の高校ライフ終了したあいつマジ許さない。隼と千鳥を許さないことをここに宣言するのと同時、彼奴らを必ずやパロスペシャルの刑に処すことを誓います!!)
そうと決まれば戦争だ。
途端、血湧き肉躍るような心地、まさしく脳内麻薬による中毒症状を起こした白は打って変わってノリノリでドアに手をかけた。
躊躇なく開け放ったドア。
目前に迫る机。
白は現実が理解できなかった。
「ほわっつ?」
何故か生徒が教科書広げたりしまったりするべき机が、ご丁寧に白へ四脚を向けて迫っていた。
反射的に白は足の一本を掴んで退けようとしたが、如何せん、白の片手はドアにかけたまま。その状態で行うにはいささか無理があった。掴んだほうの腕側に薙いでも反対側の脚二本が白の胸骨にぶち当たるし、それは上下でも負傷部位が変わるだけ。反対側へは腕を伸ばしている都合上、逸らす分だけのリーチが足りない。ましてや教室前の廊下ではバックステップも高が知れている。
結果、白は脚を掴んだ机に押される形で無理な後退を強いられ、さすがに踏鞴を踏んだところでもう一押しとばかりに机の勢いが増して、白はさながら刺又で御用と相成った犯人が如く顔と脇の下左右を机の脚で囲われた。
「……殺す気か」
戦争に赴かんとしていた男の台詞とは思えないが、脳内麻薬も完全に抜けたのか、いっそ恐ろしいほど平坦な声だった。
白は掴んで押されるうちに滑っていった手を机の脚から離し、だらり、と下ろす。
机の裏という日常では意識しない、したところで大したものもなく、精々思春期の秘密が落書きされているだけであろうものを三秒ほど眺めた白は、そのまま視線を下に向ける。上履きを履いた足が一つ。
(……思い切り踏み込みやがったな)
怪我をしていない現状が奇跡だ。
さて、こんなことをした悪い子は「どっち」だ、と白は興奮もなにもかもぶっ飛んで疲労だけを覚えながら、机を軽く叩く。
「おい、邪魔だ。下ろせ」
机は一瞬ずず、と下がったが、すぐに白の肩へ脚があたった。ほんの少し視界が開いただけだが、白にはよく見えた。上半身を倒すように押し出したのだろう背中と、そこに流れる赤い髪。そういえば、襟足だけ長かったなあ、と思い返し「ヴィジュアル系イケメンかくそが」と白は内心で悪態を吐く。
「隼、下ろせ」
視界から机が退き、今度は俯く隼と教室から出ず、戸口でこちらを窺う千鳥の苦笑い、その後ろ、微かに時が止まったような教室が見えた。
(ああ、ちくしょう。完璧おじゃんだ。終った。始まる前に終った)
がしがしと頭をかいて、白は苛立たしげにため息を吐く。それに怯えたのか、隼の肩が跳ねた。
「仕置きに怯えるくらいなら初めから馬鹿やるんじゃねえ」
「……う」
「あ?」
「そうちょう」
俯いたまま、隼の腕が伸ばされる。片手に机を持ったまま求められるというのは、大変シュールだ。恐喝で訴えられるんじゃねえの、と白は一瞬考える。
「そうちょう」
ひとに机で襲い掛かった人間とは思えない弱弱しく、拙い声音に、白は「どっちが被害者だ」と怒鳴りたくなる。
(またこれかっ、また俺が加害者ですかっ)
正当防衛が過剰防衛にしか見てもらえない白は、被害者加害者の立場逆転が大嫌いである。
増していく苛立ちに、ほんとうに早退するべきか、と白が思案したとき、隼の手が白の真新しい制服の袖を摘んだ。
範囲はとても狭いのに、込められた必死さが寄る皺に現れ、小刻みな振動に現れる。
「まだ……」
「……まだ、なんだ」
伝わる振動に苛立ちがふるい落とされていくような錯覚を覚えながら、白は先ほどよりも落ち着きを取り戻した声で促す。
「まだ、行かないでください」
弱いのだ。自覚したはずだった。
「まだ、置いていかないでください」
一番言いたかったであろう言葉が、一番不明瞭になってしまうところに哀れを感じた。
黙り込む隼は俯いたまま、旋毛を白に見せている。そのきれいな渦を乱すように、白はぐしゃぐしゃと隼の頭を撫でた。
「お前、泣き虫だなあ」
つい三日ほど前に見た涙とは違う、今度は諦めきれないという涙を流す隼の頭を肩口に引き寄せて、白はこどもをあやすように背中を叩いてやる。
「千鳥、友人の具合が悪いんで、付き添いで一緒に早退するって忍足先生に言っとけ」
「了解、総長。それ、飼い主不在で情緒不安定なんでよろしくー」
ひらひら振られた手に白は口端をひん曲げるが、小さく頷いて諾を返す。
少し声を大きくすれば本人に聞こえる言葉を、あえて千鳥を介して伝えさせる意味を分からず言った白ではない。
仕方がない。当初の計画は頓挫も頓挫、犯人に推理、動機を全て明かしてから演じるミステリーより性質が悪い状況、いかに白が抗おうとしたとて、抗いようのない現状。ならば仕方がない。
せめて、泣く子をあやすくらいしか救いがないのだから、仕方がない。
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