小説
18ラウンド
ふつう、連絡がたった二日以上つかないだけで、ここまで荒れないだろう。
しかし、自分の幼馴染は少し「ふつう」から外れていることを、千鳥は知っている。その原因も、根本も。
千鳥は死屍累々といった有様を興味薄く眺める。
新総長、つくもの携帯電話から電源が切られた。前後のメールからいつ連絡がつくとも分からない。たったこれだけの理由で隼が荒れた。殺伐した精神が肉体にもろに出ているらしく、表情は荒み、血走った目の下には薄い隈がある。
始業式の日、通学中に絡んできた普段は視界にもいれないような連中を、路地裏の地面に転がすほど荒れた。うめき声はきいていて楽しいBGMではない。
「じゅーん、落ち着きなよう」
「落ち着いてる。機嫌が悪いだけだ」
「それ落ち着いてないから。それに遅刻するよ」
「どうせ式なんざ面倒なだけだろ。遅れても問題ねえよ」
「あっそう……」
呆れてため息を吐きたいが、いまの隼を刺激してもろくなことにならないだろう。
(あーもう、今すぐ総長がメールのひとつもくれればいいのに)
隼がこれでは教室についたとき、クラスメイトは戦々恐々だろう。もっとも、千鳥にとってそんな他人はどうでもいいのだが。
「やり過ぎても手ぇいためるだけだよ、隼」
「ああ、そうなったら掌底使えばいいんだろ――総長みたいに」
千鳥は今度こそため息を吐いた。
(わーい、幼馴染が完全に宗教に嵌った狂信者だーい)
されど、千鳥に教祖を恨む気持ちはない。
「隼」
「ああ?」
「まだ――が怖いの? ここまできても、安心できない?」
飛んできた拳は以前なら喰らっただろうか。
たった一度教えてもらっただけだけれど、つくもの動きや敗北した事実を前に鍛えなおした千鳥は、なんとか隼の拳を掌で受けて流した。それに一瞬目を見開いた隼が、次いで泣きそうに顔を歪める。
「痕跡はあんのになあ……」
いたという気配があるのに、本人がどこにもいない
嘆く隼に、千鳥は哀しげに目を伏せた。
(そうちょーのばか。ひとの幼馴染のトラウマ抉んないでよ)
恨み言を聞いてくれるひとは、いまどこにいるのだろう。
留紺のブレザーに袖を通した白は、いつもより薄い色のサングラスの下に遮光コンタクトをつけて、洗面所の大きな鏡の前に立った。
手に持った黒緑のネクタイは、さてどう結ぼうか。つい、悪戯心が湧いてしまったが、大人しくハーフウィンザーノットにしておく。
白い髪はつい一昨日までトップにボリュームがあったのでいじるのも楽しかったのだが、鏡に映っているのはすっきりと頭のラインがきれいに見える短髪だ。少しだけ長いサイドをちょい、と引っ張り、ついでに前髪は一部横に流した。
「……こんなもんか」
頷き、白は家を出た。
丁度隣から出てきたお隣さんは、いつもならば鉢合わせる度に硬直するか震えるのに、まるでその場に白がいないかのように何事もない顔をしていて、それは白とエレベーターの中でふたりきりになっても同じだった。
「すみません、転入生の織部ですが」
まるで誰もが白をいないもののように過ぎていく道を歩きながら、白は今日から通うことになる浅実高等学校の門をくぐり、事務室へと向かった。
僅かに空いたガラス窓の向こうへ声をかければ、まるで幽霊に話しかけられたように事務員の男が素っ頓狂な声を上げた。
「うわっ、びっくりした。すみません、気付かなくって……ええっと、転入生ね……ああ、はい。織部……つくもくん、ですね?」
「はい、織部白です。今日からよろしくお願い致します」
「こちらこそ。ようこそ浅実高校へ。こちら簡易ですが校内の案内図です。まずは職員室へ向かってください。忍足という先生がいるので、あとは彼の指示に従ってください」
「分かりました。ありがとうございます」
白は会釈して、その場を立ち去った。
「すみません、忍足先生はいらっしゃいますか?」
「俺やけど……んー? きみ、ひょっとして織部くんか?」
案内図に従いやってきた職員室に声をかければ、数人がきょろきょろと首を巡らせたあと、ようやく見つけた、とばかりにひとりの男性が入り口のそばに立つ白に近づいてきた。彼が忍足らしい。始業式だからか、上着は脱いでいるものの、ぴっしりしたスーツ姿が軽やかな口調に反して真面目に見える。
「はい、織部白です。今日からよろしくお願い致します」
「おお、よく来たなー。俺、忍足正宗。織部くんの担任な。ええっと、ちょいこっちきてー」
ちょいちょい手招かれるままに忍足へついていけば、それなりに片付いたデスクから忍足は何枚かのプリントを取り出した。
「はいよ、こっちは確認な。住所とか変更ない? あ、こっちはお知らせとかね」
「はい、ありがとうございます」
「はいはい。んで、織部くんのクラスやけど、二年A組。あ、式の間は俺の横にいてやー。式終ったらそのままクラス案内して、新しいお友達ですーって流れな」
「はい、分かりました」
「ん。じゃ、それまでっちゅうてもそんな時間ないし、このままこっちいてもらえる?」
「はい」
「ありがとね」
にっと笑った忍足は白の頭を撫でようとして、きょとん、とした。
「なんや、織部くんめっちゃ背ぇ高いやん……あれ、全然気付かんかった……」
「俺、気配薄いんで」
「自分で言うなや。まあ、確かに最初どこにいるか気付かんかったけど!」
忍足がからから笑い、白も控えめに笑った。
結局、隼は式に間に合わなかった。
ぞろぞろと移動する生徒になんでもないように混じるが、どうしても目立つ赤い髪と、隼や千鳥自身が有名なため、生徒達はさりげなく距離をとる。隼の機嫌があからさまに悪いので、なおさらだ。
だが、そんなものに隼も千鳥も興味がない。歩きやすくて楽なくらいだ。
自分達がやってきたことでざわめいた教室が一瞬静まり返っても、気にせず机にどっかり座り込む。
「おっしー早く来るといいね。早く帰りたーい。ってか、なんで今日俺ら来たの? 意味なくね?」
「逆に今日くらいは、じゃなかったか。もう忘れた」
「そだねー」
最低限の出席日数と、一定以上の成績を収めれば教師も黙る。それが進学校浅実高等学校の実態だ。
隼が口端を皮肉に歪めたところで、がらっと教室の前のドアが開いた。ひょっこり顔を出したのは、数週間前に見た担任、忍足だ。隼や千鳥などの問題児を抱えても調子を崩さぬ教師で、だからこそふたりを押し付けられたのだろう。
「よーう、お前ら久しぶりやんねえ。元気にしとったー?」
気安い忍足の声に、クラスのお調子者が「してたー!」と声を上げる。それに忍足はうんうん頷き、突然ぱん、と手を叩いた。
「さて、ここで重大ニュースやで! なんと今日、うちのクラスに新しい仲間がやってくんねん! ほら、織部くん入ってきて」
転入生の噂など聞いたことなかったが、随分と急な話だったようだ。隼は千鳥に視線をやり、千鳥が肩を竦めるとふん、と鼻を鳴らす。
(さっさと帰りたいのに面倒くせえ)
机蹴り上げて不安一杯の高校生活の始まりにしてやろうかと隼が小さいことを考えたところで再びドアが開き、ちら、と視線をやった隼は目を見開いた。千鳥も一瞬眉を寄せたが、すぐにはっとした顔をする。
「どうもー、遠い県からやってきた織部つくたわばあああああああ先生すんまっせんお腹痛いんでちょっと俺早退しますわー」
「――総長ッ!!!」
教室に入ってきて生徒のほうをちらっと見てすぐに回れ右しようとした転入生は、紛れもなくつくもであった。
やけに気配が薄いが、隼がつくもを見間違えるはずもなく、たとえ「なんでこのひと制服着てんの」という疑問が頭の片隅を過ぎっても、いまはそんなこと関係なかった。
なにがなんだか分からない忍足と「総長」という単語に硬直したクラスメイトを放置して、隼はぴしゃ、とドアを閉めたつくもを追いかけるべく立ち上がった。
その手に机の端を掴んで。
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