小説
17ラウンド



 白はコミュニケーション能力に著しい問題があるものの「他人とかどうでもいいし」「自分が世界の中心だし」「お前らが俺に合わせろし」と国語能力と合わせて目頭を抑えられるほどではない。ただ「へえ、お前らはこういくんだ。でも俺はこういくわ」と別行動、個人主義上等なだけだ。そんな我が道全力前進の白でも、新しい環境に適応しようと努力することもある。
 たとえば、引越し初日はごたごたしたので叶わなかったが、暇を見つけて突撃隣に引越し蕎麦を慣行して、お隣さんをチワワのように震え上がらせたのが良い例だ。
 白は引っ越す前は悲惨だった高校生活を、今度こそ穏便に乗り切りたいと思っている。その願いは今までどおりでは叶わないことを理解している。並々ならぬ努力があって、初めてようやくよろよろと歩き始めることができるだろう。
 当面こちらへ集中するつもりで隼にメールを出した白は、返事がくる前にうっかり飲んでいたコーラを倒して携帯電話を水死させた。携帯ショップに行けば欲しい機種は少し待たなければいけないらしい。一応祖母にはPCからメールを送ったが、それ以外は放置した。緊急なら祖母のほうから連絡がくるからだ。断じてPCに転送していないアドレス入力が面倒だったわけではない。
 現代社会必携アイテムなしのまま、白は新学期開始、つまり転入先の高校初登校を前日に控え、美容院へ向かった。
 びくびくする店員に悲惨な髪型にされるのは勘弁願いたかったので、今まで自分で適当に揃えてきたが、ここはひとつ例の小早川日名子嬢の店で整えてもらおうと思ったのだ。
 口先だけでなく、ほんとうに連絡をよこし、手土産片手に挨拶へ来てくれた彼女ならば「恩人」という利があるので、高校野球入部希望者のような頭にされることはないだろう。
 気合をいれた白の格好は、生成りのコットンシャツにベージュのニットカーディガン、茶色のストレートパンツにローファー。上から黒のダッフルコートだ。頭にはすっぽり被れるウールのソフト帽と、引っ越してからと比べて大分趣が違う。
 最大の特徴は、白い、という印象が殆どないことだろう。
 散髪するのに邪魔だという理由でサングラスではなく遮光レンズをしているが、目深に被った帽子と、それに押さえられた髪に鋭い瞳も紛れている。
 背が高すぎるものの、確実に白から距離をとったり怖がる人間は周囲から減った。引っ越して少し、既に知ってるひとは知っている白だが「あれ?」と首を傾げるひとすらいない。
 白の狙った効果は最大限に現れている。
 強く印象付けさえすれば、いざというときにその印象を隠れ蓑にできるという目論見は、見事当たったようだ。
 いっそスキップしたいほど浮かれる内心をおくびにも出さず、白は日名子に教えられた道順を思い浮かべながら道を行く。
 ついた先にある美容院は家族経営といっていただけにこじんまりしていたが、目に痛くないクリーム色基調で、かわいらしい外見だった。「KOTORI」という店名は飾り文字で「I」の字を小鳥の絵がくわえている。
 白は服の色だけでなく系統も変えた自分を讃えた。百九十センチ越えヤクザ系男子が入るにはきっつい店である。
 がくがく膝が震えるついでに目が泳ぎそうになるのを必死に押さえ、白は店のドアに手をかける。

「いらっしゃいませ!」

 真っ先に客の来店に気付いたのは、床を箒で掃いていた日名子だった。
 仕事中だからだろう。会った時は二回とも下ろしている髪をまとめていて、服装も小洒落ているが動きやすさを重視されている。

「こんにちは、小早川さん。先日はどうも」
「え?」
「ああ、失礼。織部です」
「ええっ! ご、ごめんなさい、先日と全然違うから……」
「ははは、小早川さんは先日もおきれいでしたが、今日も一段とお美しくていらっしゃる」
「やだ、からかわないでくださいよー」

 白の言動が始終こんなものだと早々に理解している日名子は、白が二重の意味で誤解されそうなこと言ってもしても「やだー」で流してしまう。これが日名子でなかったら白は極寒の瞳で見られるか、熱烈な瞳で見られるかの二択だっただろう。

「連絡なしに来てしまいまたが、大丈夫でしょうか?」
「だいじょーぶですよ! この通りいまは丁度空いている時間なんです。真ん中のお席でお待ちください。あ、コートや鞄はそちらのラックへどうぞ。いま店長を呼んできます」

 日名子はにっこり笑って、店の奥へと向かった。白は指示通りコートをラックにかけて、椅子に座った。
 鏡に映るのは冷たい風貌のぼんぼんだった。
 高い場所にいたまま育っていそうだった。
 ひとを見下すのに慣れていそうだった。

(帽子とコートってマジ重要)

 容姿を覆い隠すアイテムがどれほど役に立っていたかを痛感した白は、日名子が戻らない内にやわらかな表情を意識する。
 耐性が多少あるであろう日名子はともかく、店長とやらに手を滑らされては堪らない。

(上品かつやわらかに笑え、笑え……おいちょ、これどう見ても詐欺師がカモ見つけたときみたいじゃねえか……やわらかく、せめて優等生のように……人生の挫折味わったことのない勝ち組の嘲笑しろと誰が言った……くっ、笑顔の見本、笑顔の見本。笑顔得意でいつも笑ってるような誰かいなかったか……あ、あいつがいたわ)

 白がいいお手本を思い出したところで、二人分の気配が近づいてきた。日名子と、もう一人は少し年配の揚げチキン屋の前に立っていそうなダンディな男だった。

「初めまして、娘の恩人だそうで。私は日名子の父で小早川つぐみといいます」

 ぺこり、と頭を下げるつぐみに、白はまるで花が開いたようにふわり、と微笑んだ。

「初めまして、ぼくは織部白と申します。
 恩人などと大層なものではありませんが、不逞の輩からお嬢さんを少しでもお助けする手伝いができたのならよかった」

 満開の百合とは言わないが、白は楚々とした白百合のような上品な微笑を浮かべることに成功した。
 白はまったく動かしたことのない部分の表情筋運動で顔面引き攣りそうになったが、せめて洗髪、散髪で目を閉じる瞬間まで堪えろ、と念じる。笑顔のお手本となった人物がこの場にいたら、ガタイのいい野郎が白百合背負って微笑んでいる噴飯ものの光景に、腹を抱えてそれでも満開の百合が如く笑ったかもしれない。
 決して張り付いた笑顔とならないように全神経集中して表情筋を動かしながら小早川親子と少し雑談して、白はようやくかけられたケープにほっとした。

「では、全体的に抑え気味にそろえればいいですか?」
「はい、美容師の先生におまかせ、としたいのですが、ただでさえこの色ですから、学校生活に支障が出ても……」
「学生さんだったんですか、随分と大人びていますね。確かに目立つ色ですけど、艶があるし、見るひとは染めたものじゃないと分かると思いますよ。とてもきれいですし」
「そうですか? なんだか恥ずかしいな……」

 髪を軽くいじられながらつぐみと会話している白は、段々「なんで若々しい女性がいるのに俺はおっさんに頬赤らめてみせてるんだろう」と気が遠くなり始める。日名子はつぐみに変わって道具の準備などで店の中を動き回っていた。

「そういえば、学校はどちらへ?」
「浅実です」
「へえ! 実はうちの末っ子も――」





「ただいまー」
「ちょっと、顔出すなら裏にしなさいよ。お客様帰ったところだからいいけど、ちゃんと公私は分けなさい」
「はいはい、分かりましたあ。ひな姉うるせー」
「うるさいじゃないわよ、この不良弟!」
「こらこら、喧嘩するんじゃないよ」
「ごめんなさい、お父さん」
「ごめん、親父」
「よろしい、っと、そうだ」

 日和、おかえり――

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あきゅろす。
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