小説
15ラウンド



 隼のいう曲がり道というのは存外細く、その先にひっそりと佇む店は隠れ家のようで、内装も落ち着いていて、どこか古い絵本を思わせるような静かな店だった。

「いい店だな」
「店長に教えてもらったんすけど、ここのパイ関係は全部当たりですよ。俺は甘いのよりミートパイとかポテトパイの方が食べること多いんすけど、かぼちゃパイがすっげえ美味かったんでおすすめです」

 席は客が自由に選んでいいらしく、優美な曲線を描くあめ色のニスが塗られた背凭れを隼が引いた。
 窓際だが、鉄細工の窓枠で飾られた窓ガラスはセピア基調のステンドグラスで、外からの視線など煩わしく思うことがある白にはうれしかった。

「どうぞ、コート邪魔なら預かります」
「ご丁寧にどーも。お前もジャケットあるだろ。気にすんな」

 甲斐甲斐しい隼にもはや諦めのようなものを覚えつつ、白が引かれた椅子にそのまま腰掛ければ、隼はジャケットを脱ぎながら向かいの椅子へ座り、ふと視線を上げて白をしげしげと見つめ出した。

「なんだ、視姦か。やめろ」
「いやいやいや、そういうんじゃないですよ。ただ、兄貴がいつもより薄着なんで……」

 白いシャツの下は、濃いグレーのタンクトップ一枚である。コートを着ていたので分からないが、白の格好は季節柄寒々しいことこの上ない。

「おいおい、俺の魅惑のボディラインに興味を示すな」
「すいません。あれでもまだ着痩せしてる方なのかと思ってたんで、予想より細いのが意外で」

 細いといっても、思ったより、であって、白の逞しさは平均を余裕で超えている。ただ、身長がとても高いので、その分細いと認識されても不思議ではない。

「あー、俺そこまでムキムキじゃねえからな。屈筋より伸筋重視だし。お前なんか屈筋の方鍛えてるよな」

 腕を伸ばしてぺちぺちと隼の肩近くを触れば、白の予想に違わず隆起してとても硬い。

「兄貴どんなんすか」
「こんなん」

 隼の肩から手を離し、肘までシャツを捲った腕を軽く曲げれば、同じようにしてみせた順に比べて筋肉の隆起は浅い。というよりも、根本的に筋肉がついている場所が違った。

「え、なんでこんな違うんすか」
「そりゃ鍛えてる場所違うんだから当たり前だろ」
「そういや千鳥みてやったんすよね……俺にも教えてくださいよ」
「えー、めんどーい……つか、そろそろそんな暇なくなるし」
「え」

 白は咄嗟に口を抑えそうになった手を根性で留めた。滑った口はどうにもならないが、こちらを凝視してくる隼の一人や二人どうにかなるはずだ、と気合をいれ、なんでもないように頬杖をつく。

「っつかメニュー決めてない。パイか、パイだったか。林檎とかぼちゃのパイとか豪華過ぎだろ。へえ、ここカクテルも扱ってるのかー」
「兄貴、忙しくなるんすか?」

 さすがにここで流されるとは思っていないが、流されとけよ、と思わなくもない。
 白は「俺これね」と林檎かぼちゃパイを示しながら、隼のほうへメニューを向けてやる。

「忙しくなるのはお前ってか、お前らもだろ。世間的には冬休みそろそろ終了じゃね?」
「あ、あー……」

 そういやそうだ、と隼は面倒くさそうな顔をしながら「とりあえず注文しますね」とふたりを窺っていた店員に向かって片手を上げて注文を済ませた。隼はポットパイを頼むついでに「練乳ってカップ一杯温めてもらえますか?」と律儀にきいて店員をドン引きさせた。ちなみにメニューにないそうだ。

「俺ら……あー、千鳥と因幡、日和なんかは同校なんすけど、ああ……もう五日もすりゃ始業式っすね……」
「へえ。俺も丁度そのくらいから忙しいわ」

 途端、隼が淋しげな顔をした。白は嫌な予感がした。

「総長」
(おい、今まで兄貴だったのに何故いま総長と呼んだ)

 白は背中にだらだらと冷や汗を流しながら、ステンドグラスへ視線を飛ばす。

「総長、聞きたいことがあるんです」
(見ちゃ駄目だ。振り返っちゃ駄目だ)

 白は短い期間だが十分理解していた。
 どうにもこうにも「落ち込んだ犬」に弱い、と。正確には、初っ端ひとをまんまとはめて「総長」に祭り上げたくせに、まるで置いていかれそうな犬の如く必死に追いかけてくる隼に弱いのだ。
 譲らない部分は譲らないようにしているが、今まで隼の第一要求は全て呑んでいる。
 連絡先をくれといわれれば教えたし、会いたいといわれれば会ったし、いつから自身はここまでちょろくなったのかと白は頭をテーブルに打ち付けたくなる。

「……総長、総長はbelovedに……」
「ご注文の品をお持ちしました」
(ナイスタイミング店員よくやったああああああ!!)

 ほかほかしたパイがテーブルに並べられ、白はテーブルの下で片手をぐ、と握った。

「わー、おいしそー。あ、すいませーん、追加でカフェオレもらえますー? ねえねえ隼くんはなににするー?」
「あ、珈琲で」
「かしこまりました」

 下がっていく店員に会釈して、白は「あったいうちに食べよーね!」と話が進展しないための一手を打った。

「で、総長。お聞きしたいんですが」

 悪手でさえない、完全に意味のない一手だったようだ。

「セコンドピアットまで仕事の話はしない」
「イタリア料理のフルコースじゃないんでセコンドピアットはいくら待っても出ません」
「……依頼は賛美歌十三番を……」
「総長の容姿的に洒落になりません」

 白は軽く頭を振る。
 分かっていた。なにを言っても無駄なんて。
 分かっていた。問題を先送りにしているだけだって。
 こうして聞きたくないと耳を塞いでも問題は解決しないし、パイは冷めていく。美味しい美味しいパイの魅力が半減してしまう。
 白は一瞬目を閉じ、軽くサングラスを上げた。
 光度の低い店内なので、眇めさえすれば直に隼の顔を見たとしても白に苦痛は少ない。ただ、目が血走るだけだ。
 恐ろしい視線に隼の喉仏が上下するのを見て、白はうっそりと哂う。

「言えよ、隼。お前は俺になにを聞き……」
「カフェオレと珈琲お持ちしました」
「あ、あざーっす」

 白は「これ食べ終わるまで待ってね」と言って、林檎かぼちゃパイに取り掛かった。

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