小説
10ラウンド



 なんやかんや、白はHortensiaで夕飯まで済ませてから帰宅した。
 送ると言ってきかない隼の両肩をぐっと掴みながら「Нет」と重々しくいえば、隼は大人しくなったのだが、しかし今度は「連絡くださいね」と言い始めるのだからかなわない。

「あいつは俺がそんなにコミュ力溢れてるとでも思ってんのか」

 一日で一気に充実した携帯電話のアドレス帳を無意味に開きながら、白は一つひとつの名前を読み上げ、顔を思い浮かべる。全員分の記憶に問題はないようだった。
 ぱちん、と携帯電話を閉じた白は、脱いだジャケットをてきとうに放り投げ、とりあゑず置き場からサングラスを掴んで洗面所へ向かう。
 鏡に映った白の目は充血していて、人相と相俟りひと仕事終えたシリアルキラーに見えなくもない。

「あー、疲れた」

 予定ではもっと早く戻るつもりだったので、目薬などを忘れてしまい、ずっと遮光コンタクトをつけたままだった目が疲れて仕方ない。
 外したコンタクトを始末して、洗面所に常備している目薬を差したあと、サングラスをつければ、ようやく人心地ついた。
 鼈甲飴色の目を、ほぼ一日ひと目に晒したのは初めてかもしれない。
 千鳥はカラコン愛好者らしく、隼も赤髪と派手なので、今更白が外見でなにかを言われることはなかった。あったとすれば人相と目付きくらいなものだが、それすら総長の箔とでもいうつもりか、マイナス方面として見られることはなかった。
 迂闊に目を晒せば光物大好きな鴉の畜生に狙われたことすらある白としては、他人のなかで珍しく鬱陶しさを感じずに済んでなによりだ。

(総長、ねえ……)

「総長、総長」と子犬がじゃれつくように呼び慕ってきた顔を思い出し、白は頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
 無邪気な好意なんて、血縁以外では実家の金魚くらいからしか向けられたことはない。もっとも、金魚の好意すら「お前、俺のことが好きだろ?」と一方的に白が愛を囁いただけで、白と金魚の間にはガラス的な意味で越えられない壁と、水温的な意味で冷たい隔たりがあったのだが。金魚にとって白は給餌係でしかなかっただろう。餌の切れ目が縁の切れ目だ。
 金魚と同列に思い返されていることなどまさか隼は想像もしないだろうが、知ったとしたらそれなりにショックを受けたあと「総長、ですから……」と出逢って約二日とは思えない理解力を発揮するかもしれない。
 そもそも、不良と縁切るために引っ越したはずなのだが、一体全体どうしてこうなってしまったのだろうか。
 いや、まだ取り返しはつくはずだ、と白は思いなおす。
 現在は冬休み真っ最中だが、白の転入先である学校は進学校と名高い高校だ。
 がり勉とインテリしかいないとは思わないが、少なくとも不良がわんさと湧いて出ることはないはず、と白は思っている。
 隼たちが白の実年齢を知らないのをいいことに、冬休み終了と同時に「忙しくなるから」とでも言っておけば、疎遠になることも可能だろう。
 そこまで考えたところで、携帯電話が鳴った。
 引っつかんでディスプレイを確認すれば、祖母からだった。
 最先端のデコメ仕様で綴られているのは、夫である祖父のスーツにキャバクラの名刺を仕込み、それを発見して慌てふためく様が面白かったという鬼畜な内容で、白は「次はソープのマッチで」と返しておいた。
 生真面目な性格の祖父は、覚えのない風俗の痕跡にさぞかし狼狽することだろう。マジ笑える、と白は無表情に布団をばんばん、と叩いた。
 ひとしきり笑ってから、階下の住人を考慮して白が手をとめたところで、携帯電話が再び鳴った。また祖母か、と思えば、今度は違った。
 隼からだった。

「次空いてる日はありますかって……毎日空いてるんですけど」

 暇人故に。
 ぼっちだからとは言わない。まだ引っ越したばかりで知り合いが少ないだけだ。地元じゃ毎日引っ張りだこだった。主に不良に。時々ヤクザからも勧誘された。
 現状がまったく変わっていないことに軽い絶望を覚えつつ、白はさも「俺は暇じゃねえんだ」とばかりに「三日後の午後あたりなら少し時間とれる」と返した。少しどころか丸々三日間、二十四時間体勢で空いているにも関わらず。
 隼の返信は早かった。
 まるで受付開始直後のクリニックに予約をいれる患者が如き勢いで「よければ、食事に行きませんか」と誘ってくる。
 白はこれに、丸一日空いてますと言えば、食事では済まず、一日どこかへ遊びに連れ出されるのだろうなあ、と想像して、ふと気付く。

「……遊ぶって、なにすんの」

 缶蹴り? と頭にクエスチョンマークを浮かべながら、白は了承した。
 ちなみに、白は缶蹴りで鬼になった際、無敗を誇る。ただ缶のそばで腕を組みながら仁王立ちしているだけで、誰も近寄らないのだ。あとはほんとうに鷹の目だったのか、という調子でその場から動かないまま隠れている人間を次々と見つければ白の缶蹴りは終了した。あとで「織部くんと遊んでもつまんない」といわれるに足る所業である。
 誰かが見聞きしていれば、思わず目頭を押さえそうな白の思考はさておき、更なる返信で食べたいものを聞かれた白は「甘いものがあればどこでも」という大雑把過ぎて逆に困る返事をする。言葉のキャッチボールに容赦ない変化球、剛速球、魔球を繰り出す辺り、いかに白がコミュ障を患っているかが伺える。いや、ただ他人を省みない性格をしているだけなのだが、こうして交友関係を築こうとするとコミュ障にしか見えないのだ。
 基本的に他者を必要としないくせに「一般的な交友関係」に憧憬染みたものを抱くところが笑止千万極まりない。
 自身の矛盾に気付きながら、白は硬い表情筋を皮肉に歪める。
 日にちまでに店を決めておくことと、待ち合わせ場所、時間、必要なら迎えを寄越すというメールに「了解。迎えはいらない」と端的に打ち込み、少し考えてから白は「もう寝る」と付け加えた。
「楽しみにしてます! おやすみなさい」と返ってきたメールを確認してから、白は携帯電話の電源を落とす。
 慣れないことの連続で、少しばかり気疲れしたのかもしれない。
 転がっているうちに着替えもシャワーも億劫になってしまい、全部明日に押し付けて眠りたくなった。

「…………いやいやいや、虫歯は寝ている間になるんだよヴァカヤロウ」

 うっかり眠ってもいいかな、と目を閉じようとしたが、白は跳ね起きて洗面所へ向かった。
 なんかセンチメンタルを気取ったような気がしたが、恐らくは幻覚だろう。
 白にそんな繊細な機微は備わっていないのだ。

 結局シャワーも浴びてクラシックな囚人服を思わせる縞々パジャマに着替えた白は、翌日やはり昼過ぎまで死んだように眠ったが、起きても予定がないのをいいことに夕方まで二度寝した。
 三年後やる気出す、という甚だ信憑性に欠ける言葉を建前に生きて十数年、白にとってタイムイズマネーなどという金言は、掛け軸に書いて飾ったとしても鼻をかんで捨てる程度の価値しかなかった。

[*前へ][小説一覧][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!