小説
雨と氷菓〈絲し〉
 咲いたハナミズキも叩き落とすような雨であった。
「あーあー……裾びちゃびちゃなんだけど」
 そんな雨のなか、アイスが食べたいと言って出掛けて行った彼方は案の定あちこちを濡らしながら帰ってきた。
 がさがさと音を立てるビニール袋も水滴をまとっており、彼方が鬱陶しそうに靴を脱ぐ間にも上り框にぽたぽたと雫を落としている。
「おい、クソカナ。そのまま上がるんじゃねえぞ」
 玄一からタオルを叩きつけられ間抜けな声を上げた彼方が唇を尖らせるのを見て、昔から変わらぬ仕草に玄一は彼の中身がいつまでも若いことを感じる。いい歳をした人間がいつまでも少年と呼ばれるのは幼稚さへの指摘でもあるが、彼方は他者へ幼い横暴を振り回しているわけではない。いや、玄一には突然「フルーチェ食べたい!」と買い物に手を引っ張ることもあるのだが。アイスを買いに行く際も誘われたが、泥をも跳ね上げる雨である。玄一は丁重にお断りした。
「玄ちゃん、ピノと雪見だいふくどっちがいい?」
「お前が好きなほう選べ。っつか、体冷えてねえのか……」
「冬場でもアイス美味しいのに、雨くらいで挫けるわけないっしょ!」
 多少は挫けたほうがいいのではないかと玄一は思う。雨どころか夏場にもアイスを食べすぎて腹を冷やしているのを、彼方は毎年忘れているのだ。
「んー……玄ちゃんは雪見だいふくね」
「おう」
 玄関から上がってすらいないのに、彼方は袋から出したアイスを玄一に渡してくる。慣れているので玄一はアイス片手に茶の間へ向かった。足裏を拭きながらついてくる彼方は、行き帰りの道で見つけたものを取り留めなく話し、彼もまた慣れているので玄一の雑な相槌に文句も言わない。今回は。慣れていても結構な頻度で文句を言うのが彼方である。
 のしっと畳の上に腰を落ち着ければ、彼方は玄一よりもだらしない格好で座卓に両肘を突いてピノの箱をべりべり開けた。玄一の雪見だいふくは座卓の上に置かれている。餅はまだ、かちかちの気配がしていた。
「あ!」
 星が落ちたような声を上げ、彼方が「玄ちゃん玄ちゃん!」とピノの箱を突き出してくる。
「おい、零れる。落ちるぞ」
「いいから見て! 落ちる前に見て!」
 ぐいぐいと突き出される箱からピノが落ちないうちに、一体なにを騒いでいるのかと玄一を首を伸ばした。
「星ピノか」
「めっちゃ運良くない?」
「良かったな」
 星ピノは嬉しいものだ。玄一も素直にそう思う。
「でしょー。ふふん……玄ちゃんにあげよっか?」
「いや、カナが食えよ」
 言って、玄一は眉間に皺を寄せる。
 彼方は星ピノを善意で玄一によこすような性格をしていない。長年の付き合いで玄一はよおぉく分かっている。
「星ピノだからね……特別だからね──雪見だいふく一つと交換したげる」
「吹っかけてんじゃねえぞ」
「えー! 星ピノだし! 雪見だいふく一つ分の価値あるし!」
「雪見だいふくは二つしかねえんだよ」
「星ピノなのに!」
「じゃあ、自分で食えよ!」
 ぎゃあぎゃあといい歳した男ふたりがアイスを巡って騒ぎ出す。
 終わる頃には雪見だいふくが食べ頃になっていることだろう。

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あきゅろす。
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