小説
あなやといいけれど、
・ネタのヤクザのおいちゃんと中学生
刈谷は某広域暴力団の三次団体の組で、若頭の役についている。
ヤクザというのはどういうわけか「分かりやすい」のが大好きで、金無垢の時計だとか、エナメルの靴だとか、派手なシャツやネクタイを組み合わせたがる。むしろ、それが制服と化してしまっているので、刈谷の趣味がどうであれ、示威行為としてそれらを身に着けざるを得ないときがあるのだ。
その日も、刈谷はそれはもう分かりやすい見た目をしていた。ひと目で触れるな危険、その筋のひとという威圧感たっぷりの格好で歩いていた。
車を回してもよかったのだが、入り組んだ道では逆に不便で、刈谷は周囲のひとを無駄に威圧しながら歩いている。
「今日の昼なに食うかな」
蕎麦かカツどんか、事務所近くの出前はなかなか美味い。
刈谷は金時計を確認しながら呟いた。
文字盤にダイヤがついていたりして、成金くさくて趣味の悪い時計だが、日常的に身につけて馴染ませてしまえば、それはもうしっくりと刈谷の腕に納まっている。
刈谷が時計に目を落として前方不注意になっていると、不意に軽い衝撃がした。
「あ」
「あ?」
小さな声に、どうしても柄が悪い声を刈谷が出して顔を上げれば、自分の横、ごく至近距離に小柄な少年がいた。中学生ほどだろうか、片手にアイスのコーンらしきものは持っているが、肝心のアイスの姿がコーンの上にない。
刈谷はふと自身のスーツの腕あたりを見る。
ぺったりとピンク色のクリームがついている。そのまま視線を地面に落とす。ピンクのアイスがぺっちゃりとひしゃげていて、その隣には空色、生成り色のアイスが転がっていた。トリプルとは中々の贅沢。
(ぶつかっちまったのか)
スーツを汚されて怒る人間も多いだろうが、刈谷はヤクザなんて商売をしている割には中々心が広かった。むしろ、ヤクザなんて商売をしているから広かった。ヤクザは格好付けなのだ。こんな年端も行かない少年の粗相に一々腹を立てるなんて、その方が格好悪い。度量の広い男はこんなことは笑って流すのだ。
「坊主、わる……」
悪かったな、今度はこれでもっとたくさんの買えや、と小遣いのひとつも渡そうと思った刈谷だが、呆然とアイスを見下ろしていた少年が顔を上げたことで、思わず言葉を途切れさせた。
少年は鼻の頭を赤くして、妙に円らな目を潤ませていた。
(あー、そうだよな、ショックだよな)
シングルならまだしも、トリプル。この少年にとっては中々思い切った買い物だったのではないだろうか。
苦笑いした刈谷が言葉を再開させようとしたとき、少年が口を開いた。
「――いと憎し」
刈谷は少年、押多連と公園のベンチに並んでいた。近くには移動アイスクリーム屋の車が止まっていて、押多連が先ほど殆ど食べることなく失ったアイスもそこで買ったらしい。トリプルアイスを買った少年が、今度は明らかにその筋のひとにクインティプルのアイスを奢ってもらいにきたことで、店員はびくっと一瞬硬直していた。
ストロベリー、バニラ、チョコミント、キャラメル、マシュマロチョコの豪勢なアイスを、今度こそ落とさないよう慎重に持ちながら、ようやくベンチに落ち着けた押多連はうれしそうだった。
「いと憎し」と「私はあなたが物凄く憎い」とヤクザのおっさんに向かって言ったとは思えないほど無邪気な笑顔で、何度も刈谷に「かしこし」と感謝するのだが、生憎刈谷は「かしこし」がどういう意味を持つのかわからず、曖昧に笑った。
「美味いか?」
溶けないうちに一生懸命食べる押多連に声をかければ、こくこくとおもちゃのように首を上下させて、にこにこと笑っている。
たかがアイス、されどアイス。アイスでここまで幸せそうな押多連に、刈谷はなんだか少年時代が懐かしくなる。刈谷の幼少期は貧しく、親はろくでなし、満足に食事もなかったので、こっそりジャムを舐められたときは押多連のように、くしゃくしゃな顔で笑ったものだ。
ふふ、と思わず漏れた笑い声に押多連は不思議そうな顔をしたが、刈谷が「垂れるぞ」とチョコミントを侵食するバニラを指摘してやれば、すぐにバニラ攻略にかかる。
(あー、なんか子犬みてえだなあ。痩せっぽちだし、ちゃんと飯食ってんのかよ)
クリームのついた押多連の指は細く、それを舐め取ろうと寄せて傾げられた首も折れそうだ。そういうところを見ると、どうにも刈谷は心配になってしまう。組に入ったばかりの若いのにもそうだが、飯を食わせたくなるのだ。
「なあ、坊主」
「ん?」
円らな目が先ほどとは違い、きらきら輝きながら見上げてくる。
「アイスもいいが、飯はちゃんと食ってるか?」
「あした、いおをたぶ」
刈谷は曖昧な笑みで一瞬固まる。
それが面白いと気に入ったのだが、なぜか押多連の言語は古い。正直なにを言っているのか分からない。これが突然「いまはむかし、たけとりのおきなといふもの」云々、古典の例文ならまだ理解できるが、そっくりそのまま覚えればいい例文ではなく、単語で持ち出してくるものだから難解だった。
刈谷は教育を受けなかったので、自力でどうにかした口だが、逆に押多連はどういった教育を受けたのだろうか。
もの言いたげな刈谷の視線に、数回ぱちぱちとまばたきをした押多連は、垂れたチョコミントを舐め上げてから「ああ」となにかに納得したような声を落とし、考え込むように数回頷いたあと刈谷に向かって口を開いた。
「今朝、お魚食べました」
刈谷は柄にもなくきょとん、とした顔をした。それに押多連もきょとん、とする。
ふたりがきょとん、としたまま数瞬、刈谷は噴出した。
膝を叩いて笑う刈谷に押多連は驚いたようだったが、ただでさえ攻略に時間のかかるクインティプル。下の段は輪郭も危うくなっていることに気付き、押多連はすぐアイスに集中した。その様子に、刈谷はさらにおかしくなる。
「お前、ふっつーに話せるのかよ」
けらけら笑う刈谷がなにをそんなに面白がっているのか分からず「あやなし」と呟く押多連に、さらに笑いがこみ上げてくる刈谷だったが、なんとかそれを抑える。
「坊主」
「ん?」
「美味いか?」
「あらまほし!」
「そうかそうか」
正確な意味はやはり分からないが、表情がなによりも雄弁で、刈谷はうんうんと頷いた。
「ゆっくり食えよ」
「ん」
自分のほうがうれしそうな顔の刈谷に見守られながら、なんとか無事にコーンまでさくさく食べ終えた押多連は、手持ちのウェットティッシュで手や口を拭うと、細っこい首を刈谷に向かってかくん、と下げた。
「かしこ……ありがとう!」
「かしこし」は感謝の言葉だったらしい。
刈谷はベンチから立ち上がりながら「どういたしまして」と言い、押多連の髪をくしゃくしゃに撫でた。
その様子にただでさえヤクザ者と少年の組み合わせにあらぬ疑いを持っていたアイス屋の店員はもちろん、偶然公園を訪れた人々がぎょっとしたけれど、くすぐったそうに首を竦める押多連がやはり子犬のようで、刈谷はさらに押多連の髪をくしゃくしゃにする。
「次会うことあったら、また美味いもん奢ってやるよ」
「ほんと?」
「嘘つかねーよ」
別れ際に約束すれば無邪気に喜ぶ押多連に、実際あまり高い確率ではないだろうけど、と思った刈谷だが、ふたりが思いがけずばったりと顔を合わせるのは早く、その偶然が回数を重ねる内にお互いの連絡先を交わし合うようになることを、まだ知らない。
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