小説
五十八話



 ギルドの営業時間終了が迫ったぎりぎりの時刻に、朝烏はやってきた。朱熹はリシャールでとった宿に留守番だ。人間の巣だなんて、と不満そうな朱熹であったが、朝烏が平然と主導してしまえば文句を言える立場ではない。
 ギルドにはもう冒険者の姿はなく、他の職員も先に帰ったのだろう、クリンスマンが受付に座しているばかりだ。
 朝烏は受付の前に立ち、クリンスマンに向かって「いいかな?」と声をかける。

「ご用件をどうぞ」
「先日の依頼なのだけど、自分でアルターを発見してしまってね」

 一旦切り、朝烏は揺らがぬクリンスマンの目を見つめる。
 硝子を隔てても力強いアンバーの目だ。瞳孔は、丸い。

「確認のために立ち会いって頼めるのかな? ほら、私はギルド証というものがないわけだし」
「依頼破棄をなされば事は簡単ですが」
「私は確信が欲しくてね」
「承知致しました。目撃場所と日時を」

 朝烏は受付のカウンターテーブルへ手を突く。

「目撃場所は此処。私の眼の前。日時はいまこの瞬間も」

 クリンスマンは平然と書類にペンを走らせる。
 走らせ、走らせ終わった瞬間、かちん、と大きくなった時計の針。
 ギルドの営業時間終了を告げる鐘が鳴る。

「──まったく、東方の古龍が来たと思えばぞろぞろと……ひとの静かな生活に波風を立てるのはやめてもらいたいものだ」

 仕事は終わりという意味だろう。
 眼鏡を外し、襟元のネクタイを緩めたクリンスマンは露骨に不機嫌な表情を浮かべて立ち上がる。

「したいのは話か? それとも領土争いか? 前者なら少し待て。後者なら私では大した実りになる立場にないぞ」
「前者だよ」
「ふん」

 尊大に鼻を鳴らし、クリンスマンは受付のカーテンを閉める。
 この場にいれば邪魔になるだろうという判断のできる朝烏は言われるより先にギルドから出て、ぼんやりと星空を眺めながらクリンスマンを待った。

「古龍、か」

 朝烏が、朝烏たちが西方ドラゴンの古代種をアルターと呼ぶように、西方ドラゴンは東方ドラゴンの古代種を古龍と呼ぶ。人間たちには通じない、ドラゴンの間での慣例。
 クリンスマンに隠す気はないらしい。
 口振りからすれば、吹聴されても面白くないようだけれど。

「待ってなくても良かったが、やっぱりいるのか」

 気配もなくギルドからクリンスマンが出てきた。流れるようにギルドへ施錠して、鍵をポーチのなかにしまう。
 朝烏は鴉のような印象を深める黒い外套の隠しに両手を入れたまま振り返り「うん」と言葉ばかりは稚く頷く。

「往来でしたい話でもないんだろう」
「私は構わないけどね」
「私は面白くないことになりそうだ」

 ついてこいとも言わずに歩きだしたクリンスマンは、ギルドでやりとりしたときの慇懃さがまるでない。眼鏡も外したままだ。それはそうだろう、目の悪いドラゴンなど、人間として生活するのに支障があるほど目の悪いドラゴンなど、眼球そのものを潰してでもいない限りありえない。アルターであれば尚更。
 クリンスマンが朝烏を連れてきたのは、一軒のこぢんまりした家だ。

「クリンスマンの家かい」
「ローデリヒの家だな」
「そこは分けるんだ。人間のなかで生活してる割には意外だね」

 ローデリヒはドラゴン個体の識別名称で、クリンスマンは血統の名。西方ドラゴンのなかで血統の名は重要だという。
 東方ドラゴンは個体の識別名称……名前こそが重要になる。重要すぎて、真名を呼ぶことを許す相手が限られるくらいに。それは、古代種の血が濃ければ濃いほどに厳密になる。 
 朝烏の名も、本来は朝烏自身のものではない。朝烏の血統は代々祖の名を受け継ぎ、自身のみの名は伴侶にしか呼ばせない。親でさえ名を継ぐまでの通称で呼ぶのだ。

「茶は飲むか? それとも蜂蜜入りのミルク?」
「蜂蜜が入っていればどちらでも嬉しいよ」

 ローデリヒの家に入り、朝烏は促されるままに二脚あるうちの一脚の椅子へ腰掛ける。
 人の気配の薄い家だ。
 人が住むのに必要なものと、人が住んでいる形跡はあるのに、人の家だと思えない。
 人間の家を模していても、此処は紛れもなくドラゴンの巣であった。
 程なく、椅子の間にあるテーブルへ茶を置かれ、朝烏はローデリヒに礼を言う。

「で、どんな話がしたいんだ?」
「話らしい話はないんだよね」
「なら帰れ」
「私は好奇心が旺盛らしくて、まさか会えると思わなかったアルターにはしゃいでいるんだ」
「陰鬱な面をしてよく言う」
「皆それをよく言うんだけど、そんなに根暗そうかな」

 隈のある目元に青白い肌、退屈そうで陰鬱そうな表情は、朝烏を投げやりに見せている。

「まあ、完全に話題がないわけじゃないよ」
「なら、それを話してとっとと帰れ」
「東方ドラゴンの古代種は、その血を継ぐものは長命だ。だが、繁殖力が低い」

 朝烏は茶を飲む。
 花茶らしい。蜂蜜がなくても飲みやすい茶を淹れてくれたことに、朝烏は些か意外な気持ちになりながら話を続ける。

「西方ドラゴンは古代種であっても東方ドラゴンより寿命において劣る。だが、繁殖力は東方ドラゴンの完敗だ」
「それで?」
「私が思うに、西方ドラゴンは魔力の分散に長け、東方ドラゴンは魔力の継承に長けているのではないだろうか」

 東方ドラゴンでは考えられないことだが、西方ドラゴンでは双子、三つ子が珍しくないという。

「…………なにが目的だ?」
「単独では古代種の魔力に潰される仔を、分裂させることができたら?」
「私はそういった方面に興味がない」
「だが、たったいま可能性を知った」

 ローデリヒの眉間に皺が寄るのを見て、このドラゴンは人間のなかで暮らして長いのだと朝烏はしみじみ思う。

「『百鶴宮』は輝月ノ皇の唯一の仔だ。古代種の末だ。それがいま、人間の仔を孕んでいる。そして──なにがなんでも産む気だ」
「……彼の子息には許嫁がいなかったか? それを……お前」

 知ったら死ぬ情報であることをローデリヒがしっかりと理解していることに朝烏は僅かに目を細める。生きることに疲れたような笑みだ。

「ローデリヒ、きみがアルターであることを『百鶴宮』は気づいているだろうさ。そして、私が話した可能性を知ったら、あれは手段を選ばないよ」
「…………東方ドラゴンであるお前が何故、古代種の末に人間の仔を産ませることを許す」
「欲しいからさ。その仔を。純血の古代種の血を引いて、更には不可能とされた人間との混血だって? 喉から手が出るほど欲しい」

 個体が一体しかないのであれば五十鈴も手放さないだろうが、二体であれば、一体は融通してくれる可能性がある。それで、朝烏が手を引くと、一切自分から興味を失くすと分かっているから。
 朝烏はローデリヒに「頼むよ」と乞う。
 ため息を吐いたローデリヒは重たく口を開き──

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