小説
五十六話
宿の寝台の上、仰向けになって考え込むジェイドの上に乗りながら、五十鈴はなんとか自身に関心を向けられないかと頬へ口づけたり顎を食んだり、服を寛げたりしていたが、尽く頭を撫でられたり抱擁という名の拘束を受けたりしてそれ以上の行動に至れないでいた。
「むう……含んでしまえば流石の御前も思考に没頭などしておれぬはずなのに……」
「いまの台詞で思考が一気に吹っ飛んだよ。なに考えてんだ」
「御前に構っていただく方法ぞ」
五十鈴はようやくジェイドの関心がこちらへ向いた、とにこにこして口づけをねだる。
ジェイドは仕方ないと思いつつも五十鈴への愛しさを隠しきれぬ様子で唇を合わせ、積極的に舌を絡ませてくる五十鈴に応えてやる。
口づけながら耳を擽ってやれば心地よさそうに五十鈴が身を震わせ、解けた拘束に片手をジェイドの下肢に──
「待て待て待て妊夫。なにをどこまでする気だ」
「ほう、敢えて言わせようとは、言葉責めというやつであろうか……」
「違うよ?」
もじもじする五十鈴の言葉をジェイドは一刀両断に切り捨てる。不満そうな五十鈴にジェイドは頭痛を覚える。
上体を起こし背面に五十鈴を膝へ座らせたジェイドは、五十鈴の腹へ腕を回し、薄っぺらいその腹をそっと撫でた。
五十鈴の体に現れた変化でしか、いまのところその存在の証明のならぬ腹の仔に、ジェイドは無事育ってほしいと思う。
自分が父親になる予定などちっともなかった……ひょっとしたらどこかの娼婦が、というのはあったかもしれないが、そういうことがないようにジェイドは高級娼婦にしか手を出していないし、少なくとも自らが妻子を持って幸せな家庭を築くというのは人生設計において下書き程度にもなかったことなのだ。
何故ならば、ジェイドは冒険者である。
冒険者以外に、できることがない。
そして、冒険者として活動するには、人間の肉体は限りがある。
その限りを迎えたときは、いままで貯めてきた金で余生を過ごせばいいだろうが、できることもなくただ家にいるだけの旦那というものが世間的にどう思われるかくらい、知らぬジェイドではない。たとえ、どれだけ財産があろうとも。いや、あるからこそ今度は嫁が陰口の対象になりかねない。
武闘家として門戸を開けばいい?
実践慣れしすぎたジェイドの体術も剣術も、いまさら型に嵌め直すことはできないし、体型だつことは難しい。
ジェイドはほんとうに、冒険者でしかいることができないのだ。
冒険者として現役のうちはいつ死ぬとも知れず、冒険者として現役を引退すれば殆ど家にいなかったのに今更身の置き場を家庭に探すのも難しいだろうし、これで家庭を築こうと思うほうがおかしい。
故に、ジェイドは腕のなかにいる五十鈴と、五十鈴の腹のなかにいる我が子の存在が不思議で、とても愛おしい。
もともと愛情深い男であった。
愛する妻との間の子を愛しく思わぬはずがなく、慈しまぬはずがなく、健やかな成長を祈らないはずがない。
五十鈴は薄っぺらい腹を撫で続けるジェイドの穏やかな表情を見上げて、内心でなんともいえない気持ちになる。
嬉しいはうれしい。
ジェイドがそれだけ自分との仔に執着してくれるのだ。自分が思った以上の縛りになったと五十鈴はほくそ笑む。
腹立たしいは腹立たしい。
自分はたくさん考え、たくさん行動して、ようやっとジェイドに娶られたというのに、たかが腹に宿ったというだけでジェイドの愛情を勝ち取る腹の仔に何様だと思う。
だが、ジェイドの仔だ。
ジェイドに似るはずのジェイドに似てもらわねば困るジェイドに似ているに決まっている仔だ。
(だが……御前ではない……むう……いや、吾がこうして悋気を起こすことで御前が妹背としての意識を強めてくださると思えば……ふむ)
五十鈴は腹を撫でるジェイドの手に自らの手を重ね、態とジェイドに向かって体重をかける。ほんの少し。
「どうした?」
「腹の仔ばかりではなく、吾も構っていただきたい」
拗ねた顔も声も隠さず言えば、ジェイドは苦笑を浮かべて何度も額へ口づけて、手を重ね直してぎゅっと握りしめる。
「愛してるよ、奥」
「吾もお慕いしておる」
何度も何度も口づけを交わして、五十鈴はそっとジェイドの服を寛げようとしたが、再びそれは阻止される。
「何故!」
「だから、お前妊夫……」
「腹の仔も御前に触れ合いたいと言っておる!」
「物理的にもほどがあるだろ!! どんだけ胎教に悪い触れ合いだよ!!」
「吾が慈悲を乞うても肉路を貫き胎を揺さぶり続けた御前はどこへ行ってしまったのだ!!」
「その節は申し訳ございませんでしたねえ!!」
うーうー! と五十鈴はぐずる幼児のように不満を訴えるが、ジェイドには常識も良識もある。妊夫への無体など許せるはずがない。
「あー……欲求不満なのか?」
思い返せば、程度はどうであれ触れない日のほうが少なかった日々から、孕んでいる可能性判明から一切の交歓がない。
娼館から出禁を喰らい、事情を知らない装身具屋の店主にまで絶倫野郎と呼ばれ、とどめにドラゴンさえ音を上げさせるジェイドに仕込まれ続けた五十鈴の身が疼くのも仕方ないのかもしれない。
ジェイドが己の所業に深く反省していると、五十鈴がそうではないと蛾眉を寄せる。
「吾は御前に触れられたいし、触れたいのだ。生きているその熱を感じたいのだ」
切々と訴える五十鈴に、ジェイドは胸が痛んだ。
感じるのは寿命の差。
触れ合える期間は、ジェイドが五十鈴に熱を与えられる期間は、あまりにも短い。
「……分かった」
頷いたジェイドに無邪気に輝く五十鈴の目。
「奥、膝立ちになって裾を咥えろ」
据わったジェイドの目に見つめられ、五十鈴の体がぴっと跳ねて固まった。
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