小説
五十五話
意気揚々とピアスを着けたカールは、これからリシャールのほうへ戻るという。
もっとも、正確にはリシャールそのものではなく、その近辺をうろうろするのだとか。
なにか採取系の用事でもあるのかとジェイドが問えば、剣呑な顔で「お礼参り」という返事があった。
「……モツが出たとか言ったが、ひょっとして相手人間か?」
ジェイドはカールの実力を知っている。
パーティを組んだ頃に扱いてやったのもあり、早々簡単に死ぬような目に遭う筈がないが、いつもの調子でSランク冒険者にでも喧嘩吹っかけたのならばありえなくもない。ただ、どれだけ相手を怒らせれば臓物ぶち撒けるような事態になるのか。常識人のジェイドにはちょっと想像ができなかった。
「んーにゃ、人間じゃないっすよ」
カールは何故か五十鈴へと視線を向けた。
直感。
──あの下等生物おかしいですううう!
あの夜、朝烏との戦闘中に乱入してきた赤い髪の少年が叫んでいた言葉が、ジェイドの耳によみがえる。
ジェイドが口を開くより早く、カールの口角が吊り上がった。
「なあ、百鶴宮。あんたさぁ──ドラゴンだろ」
潜められた声はしかし、ジェイドと五十鈴の耳にはしっかりと届く。
五十鈴の爪が閃くも、カールは風よりも早く後退してその爪を避けた。
「このピアス、マジすっげ」
「カール、どこでそれを知った」
「あは、やーっぱジェイドさんも分かってたんだ」
おどけるカールに五十鈴が苛立たしげに「早に答えよ」と言う。
「カールくんは百鶴宮サンのお身内にボコられたんですけどぉ、これって慰謝料請求していいの?」
ジェイドが舌打ちをする。
予想通り、カールは朝烏の連れらしき少年と接触した際、彼がドラゴンであると、五十鈴に繋がるものだと知ったらしい。
「それで、それを吾に告げたということは、死ぬる覚悟があるということでよいな?」
「奥……」
「御前……吾は恐ろしいのだ。御前との平穏が引き裂かれるやもしれぬと思えば、夜も眠れぬ」
哀れな風情で震えてみせて、五十鈴はジェイドに縋る。
だからといって、ジェイドははいそうですかとカールを、カールの命を差し出そうとは思えない。
苦い表情でジェイドはカールに向かい「目的はなんだ」と問い質す。
カールは頭が良いわけではないが、あからさまな馬鹿ではない。多分。
ドラゴンという最上位種の魔物、それも人型をとる未知のドラゴンを前にその正体を口にする危険性を、分かっていないはずがない。多分。
「目的? そんなん一つっしょ」
カールの表情が凶相に変わる。
獣のような唸り声で五十鈴に向けて発したのは、どこまでも激しい怒り。
「百鶴宮、朝烏の居場所を教えろ」
カールは朝烏の存在をも知っていたらしい。
この激怒の様から察するに、カールの臓物をぶち撒けたのは朝烏なのだろう。
ジェイドは無茶だ、とカールを止めたかったけれど、その言葉が逆効果になることを経験から知っていた。
「あの野郎のモツを掻き出して、俺にしたみたいに顔面へぶち撒けてやる」
「……お前、そこまでされてどうやって生き残った」
呆然とジェイドが問えば、カールはあっけらかんとした様子で答える。
「一緒にいた雑魚いチビの肉食い千切ってやったんすよ。そうしたらぞるぞる腹ん中にモツが戻ってきて、このとーり」
カールは嘲笑う。
「ドラゴンの肉って、便利なんすね」
それは遠回しな脅迫であった。
朝烏に関する情報を教えないのであれば、カールは五十鈴に関する情報をばら撒くだろう。喰らえば凄まじい再生力を得られる、最高の「素材」であるとして。
「カール……!」
「俺は俺のされたことをやり返してやりたいだけっすよ」
それが無茶だと、死にに行くようなものだと、ジェイドは止めたい。止めたいけれど、止めればカールは五十鈴を危機に追いやる。それは認められない。許すことなんてできない。
ジェイドは葛藤したが、その隣で俯く五十鈴は、俯いて表情を隠す五十鈴は、勝手に上がる口角を戻せないでいた。
ジェイドがここまで目をかける鬱陶しい小童を、自らの手を汚すこともなく始末できる大義名分ができたのだ。
五十鈴はジェイドと違ってカールが朝烏に殺されても、忌々しいあやつも偶には役に立つくらいにしか思わない。
(死んでしまえば良い。小童風情がいつまでも御前の関心を買うなど、分不相応と知れ)
カールは朝烏の居場所を要求している。
ジェイドも五十鈴もそれは分からない。
だが、五十鈴は遺憾ながら朝烏の性格を知っている。
端的にいえば、珍しい物好き。
だから、朝烏の居場所の検討はつくのだ。
「リシャールに戻りやれ」
「奥ッ?」
「案じ召されるな、御前。吾とて詳細な位置は分からぬが、それではこの小童が納得せぬであろ? 朝烏とはリシャールにほど近い場所を最後にした。なれば、あれはきっとリシャールへ向かう」
「……なんでそんなこと分かんだよ。いい加減なこと言ってっとぶっ殺すぞ」
「やれるものならやってみるがいい。まあ、そう逸るな。リシャールには朝烏の興味を引くものがあるのだ」
五十鈴はこてん、とジェイドの肩に頭を乗せる。
「ギルドに眼鏡をかけた職員がおったであろ? あのものにアルターを探している依頼人について尋ねれば良い」
「アルター……?」
「ふふ……我らの間であれば通じる言葉故、それをリシャールで用いたとすれば朝烏以外におらぬよ」
五十鈴はすっかり豊かになった表情で、カールへ笑いかける。
(死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね──死んで朽ちろ)
途端、ジェイドが短い悲鳴を上げて頭を押さえた。
「御前ッ?」
「ぐ……大丈夫だ……なんか、急に……」
顔を強く顰めるジェイドを見つめ、五十鈴は顔色を変える。
ジェイドには自身の思考が、強い思考が流れることがあるようになった。
先程の思考が、負の念が流れ込んだのだとすれば、それは凄まじい負荷となっただろう。
五十鈴の唇が震え、ジェイドを抱き締める。
ジェイドは五十鈴の様子に妻が再びなにかを隠したことを察したが、カールもいる場では問い詰めようとは思わなかった。
「…………小童」
「なんだよ。ジェイドさん、大丈夫なのか」
「吾がおって御前が無事にならぬはずがない。癪ではあるがこれをくれてやる。再び無様を晒した際には食らうがいい」
五十鈴はカールの顔を見ないまま、彼に向かってなにかを投げつける。
ぱし、と掴み取ったものを手のひら広げて確認したカールは、琥珀の欠片のようなものに首を傾げるが、五十鈴の口振りとその正体から大凡のものを察した。
「ふうん……ありがと。じゃあ、俺行くわ」
「カール! あいつは……危険なんだぞ」
ジェイドが絞り出すようにして引き止めるが、カールはぎらぎらと眼を輝かせて言った。
「そんなの……最高じゃん」
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