小説
五十三話



 朱熹は物言いたげな視線を朝烏へ向けながら、大盛りのサラダを食べていた。ドレッシングもかかっていない、瑞々しいばかりのサラダだ。散らされたサラミの塩気が朱熹の食欲を増させる。
 古代種の血が薄い朱熹は、花の蜜だけでは生きていくことはできない。無論、人間のように短期間で餓死することはないが、健康状態を保つには野菜や果物、少しの肉を必要としている。
 対して、朱熹の向かいにいる朝烏は蜂蜜増々の牛乳を飲んでいた。

「それにしても、宮様はどちらにおられるのでしょう」

 サラダをむしゃむしゃ食べながら、朱熹は困り果てたように眉を下げる。
 今はこうしてサラダをお替りして三回目だが、朱熹とて一刻も早く五十鈴を探し出して、彼の父であり自分たち東方のドラゴンを統べる輝月ノ皇のもとへお帰り願いたいのだ。
 朱熹は輝月ノ皇の命で五十鈴を探しにやってきた。一度目は失敗して、二度目の今回は五十鈴の許嫁でもある朝烏がいるので間違いないと思ったけれど、五十鈴は何故か人間の雄を連れて身を隠してしまう。
 朱熹には五十鈴が人間の巣窟になど身を置く理由がさっぱり分からなかった。
 輝月ノ皇のもとにいた頃、朱熹は五十鈴の世話係の一人で、いまとなっては唯一の世話係である。他にいた数名のドラゴンはどういった理由かは分からないけれど、五十鈴によって殺されてしまった。五十鈴は朱熹のこともよく嬲り殺しにしかけたけれど、ぎりぎり殺さないでいてくれる。
 故に、朱熹は自分が少なからず五十鈴に受け入れられているものと思っていたのだけれど、五十鈴が東方から姿を消してしまってからはその自信もしおしおと萎れかけている。

「朝烏様、宮様はご洋行ではなく、家出をなさっているのでしょうか……なにか、ご不満が……あったのでしょうか……」

 俯き、新鮮なレタスをしゃくしゃく食べる朱熹は気づかなかったが、陰鬱さと退屈さを混じり合わせていた朝烏の表情が一瞬「マジかよこいつ」と言わんばかりに引き攣った。
 朱熹はこの期に及んで尚、五十鈴が促せば父親のもとへ帰ると信じている。
 朝烏が「間男に許嫁を寝取られた」というに等しいことを呟いても、相手が人間だから、見下している、同等などには決して置かない種族だから、逆にその重大性を理解していないのだ。
 そも、五十鈴は自らの置かれた環境に辟易していた。それは許嫁でありながら交流の少ない朝烏でさえ理解していることだ。
 朝烏は理解しながらも五十鈴を慮りはしないが、朱熹は理解を欠片もしないまま見当外れな方向に五十鈴を慮る。
 朱熹が五十鈴に生かされているのは、ここまで阿呆だからである。小賢しい連中を周囲に置かれるよりも、徹底的に使えない朱熹ならばいざというときにいくらでも転がせると思っているからだ。
 そして、なによりも朱熹の兄の存在がある。
 蒼雲と云う彼は、不出来な弟とは反対に輝月ノ皇の懐刀とされるほどに有能だ。更にいえば、朱熹のように純血の古代種である五十鈴を神聖視もしていない。あくまで蒼雲が仕えているのは輝月ノ皇であり、彼が朱熹と同様の命を蒼雲に与えれば、蒼雲は五十鈴の手足を引き千切ってでも東方に連れて帰るであろう。

「あんまり遅いと、ほんとうに彼が来るかもしれないなあ」
「ふぁい?」
「食べてていいよ。というか、朱熹……金銭は持ってるの?」

 朱熹がきょとん、とするので朝烏は「……なんでもないよ」と呟いて沈痛な面持ちになる。飯屋で食事ができることは知っていても、対価に人間の間で流通している金銭が必要なことは頭から抜けている朱熹の分の支払いくらい、朝烏はできる。
 朝烏はドラゴンのなかでも人間の営みに詳しく、五十鈴が人間たちに混じって隠れていることを聞いた際には一通りの知識を頭に叩き込み、準備も済ませていた。

「朝烏様、ひょっとして宮様はマリッジブルーというものなのでしょうか」

 朱熹はサラダを食べる手を止めて、思いついたとばかりにはっとした顔になる。
 朝烏は鮮やかに牛乳を噴き出した。

「わわ、どうなさったのですか! 貴方様らしくもない」
「あんまりにもくだらな……突飛なことを聞いたものだから」

 布巾で牛乳を拭った朝烏は、今度こそ隠しもせずに阿呆の仔を見る目で朱熹を見やるが、朱熹は朝烏の視線の意味に気づかず、自らのひらめきの続きを話す。

「朝烏様との御婚礼が近い宮様は、これまで外界に出たことがありません。御婚礼を迎えれば仔を成され、お育てになられます。その前に少しだけ外を見たいと思われたのかもしれません!」
「…………大筋は外れてないね」
「そうであれば、朝烏様が深い愛情を示されれば、きっと宮様もお心慰められお帰りになられるはず!」
「朱熹、私が許嫁殿に嫌われているのは知っているよね?」
「今まではそう思っておりました。ですが、そうです。分かったのです。きっと、宮様は照れ隠しに朝烏様へ辛く当たられていたのですよ! それが朝烏様への甘え方だったのです!」

 朱熹の言葉通りだとすれば五十鈴は朝烏の愛情を確かめるために浮気した頭も尻も軽い淫売になるのだが、朱熹に自らの主人を迂遠に貶めた自覚はない。
 朝烏はもはや付き合ってられないと片手で目を覆い、脳裏に五十鈴の姿を浮かべた。
 ──まだ小さかった。
 あそこまで小さな気配であれば、朝烏でも気づけなかったはずだが、それでも引っ掛かりを覚えたのはカレイセルで喰らった便利な眼のおかげか。

(許嫁殿は、孕んでる)

 産まれる前に腹から仔を引きずり出さなければ、朝烏の欲しいものは、純血の古代種の血を引いたドラゴンは手に入らない。
 でも。

(今まで成功例のない、人間との混血種が産まれるのだとすれば……?)

 その存在は、ひどく朝烏の興味を引いた。

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あきゅろす。
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