小説
五十一話



 リシャールからエリクシルまではそれなりに遠かった。一体、なにを思ってそんな場所に行ったのかと脳内のジェイドに八つ当たりしたほどに遠かった故、カールは馬を駆って時間をできるだけ短縮した。
 尻は痛くなるが、馬車とて痛くなるものは痛くなる。ならば、カールは少しでも早く到着できるほうが良かったのだ。
 エリクシルについたカールは痛くなった尻をぱんぱん叩きながら馬を預け、まずは冒険者ギルドへと向かう。
 ジェイドがそこにいなかったとしても、Sランクのなかで有名なジェイドだ、どの辺りにいるか知っている人間は必ずいるだろう。
 のしのしとギルドのドアをくぐって荒くれ共の視線へ適当に応じたカールは、誰に問うでもなく「Sのジェイド・ビッテンフェルト知らね? 頼まれごとしてんだけど」と簡潔に言う。

「ビッテンフェルトぉ? 最近こっちに来たけど……」
「あ、あんたランセルじゃん。マジでビッテンフェルトのおっかけやってんのかよ」
「おっかてねえよ、殺すぞ」

 顔を見れば挨拶をしているだけで、追っかけてはいない。
 それに、今回はジェイドの頼まれごとで態々リシャールからやってきたのだ、それを茶化されるのは腹が立つ。腹立ちついでに相手の腹でも掻っ捌いてやろうかと思うが、ギルド内でやると掃除を言いつけられるのでカールくん、我慢の子。

「ビッテンフェルトなら役所のほう行ってたぜ」
「役所ぉ? なにしに……」
「そこまでは知らねえよ。きれ──な恋人連れてたし、とうとう籍でも入れるんじゃねえの」

 カールは思わず真顔になる。
 間違いなく百鶴宮のことだ。
 しかし、百鶴宮はドラゴンで、ジェイドはそれを把握しているのだろうか。

「ありがとね」

 短く礼を行ってギルドを飛び出したカールは、勘の赴くままに役所のほうへと走りだした。



 薄紅色の用紙に互いの必要事項を書いて、身分証となるギルド証を提示すれば晴れてふたりは夫妻として公式に登録された。
 おめでとうございます、と自分こそ嬉しそうな顔で祝福してくれるのは、ぽっちゃりとした係員。ジェイドは耳まで赤くしながらぶっきらぼうに頷き、五十鈴の肩を抱いて役所を出る。

「人の世は不思議であるなあ」
「ん?」
「たった紙切れ一枚で妹背となることが叶う」
「そうだな……普通、お前を娶るのは結構大変だな」

 最初の茶番でジェイドを「花婿」としたが故に、二度目の求婚でジェイドは五十鈴に勝つことができた。
 ジェイドはこの花婿としての「下駄」がどういう仕組であるのか分からない。
 朝烏と対峙した際、五十鈴を庇う目的であっても容易に勝てる気など欠片もしなかったし、普段から以前とは比べ物にならない力が漲っているということもない。
 ジェイドは宿に戻ったら五十鈴に詳しく訊ねようと考え、ふと後ろから近づいてきた気配に振り返る。
 ぶんぶんと振られた手。
 ジェイドさぁん、と張られた声。
 カールが幾分疲れた面差しでジェイドと五十鈴の前に現れた。

「ジェイドさん、まぁじ理不尽。カールくんモツ出たりして大変だったのにお使い頼むとか、元パーティメンバーの扱い酷すぎ」
「モツ出たぁ? また格上に喧嘩売ったんだろ」
「格下と遊んでたら格上が出てきちゃったんですぅ」

 子持ちの上位種魔物とでもやり合ったのかな、とジェイドは思ったが、五十鈴はカールをじっと凝視していた。

「奥?」
「……変わったものを、食いやったの」
「分かる? 分かるんだ。さっすが」

 嘲るようなカールの表情に、五十鈴の指先がぴくりと揺れる。
 ジェイドはがし、と五十鈴の手を掴み、カールに「不用意な挑発はするな」と叱る。
 それが不満であったのだろう、パーティ時代によくしたようにジェイドの脛を何度も蹴るカールは、しかし思い立ったように両手を合わせる。

「そうそ! お届け物!」
「ああ、悪かったな」
「ジェイドさん、そう思うならお願いしますくらいつけて。大人の基本でしょ」
「お前に言われると殴りたくなるんだよなあ」
「御前、吾が代わりにするか? 一発で仕留めるぞ?」
「どうどう」

 ジェイドが五十鈴を宥めているのも他人事のように、カールは「急いできたから腹減った。奢って!」と傍若無人の限りを尽くす。
 お駄賃と思えば仕方ないなあ、とジェイドは了解したが、彼はまだ知らない。高ランク素材と高度魔法を惜しげもなく敷いた装備をカールが自分名義で注文したことを。そのお会計額を。

「甘いものある店どこだったかな」
「ジェイドさん、甘いもん食わないじゃん」
「奥が食べるんだよ」
「奥、ねぇ……ねぇ、ジェイドさん」

 ジェイドへ呼びかけながら、カールの視線はひたりと五十鈴を捉えている。

「ほんとうにこのひとと結婚するの?」

 きっと、それは元パーティメンバーとしての、弟子のように息子のように弟のように接してくれたジェイドへの労りの気持ちから来ていたけれど、ジェイドは言葉のままの質問として受け取り、なんの含みもないままに答えるのだ。

「もう結婚した。さっき役所で手続きも終えたからな」
「ふふ、晴れて堂々と我らは妹背ぞ!」

 幽玄な佳人がどこか勝ち誇ったような笑みをカールへ向けて、ジェイドと腕を組む。その指には輝く指輪。頭上には被衣を押さえる鳥を模した装飾品。どれもこれもが美しく五十鈴を飾り立てている。

「…………ジェイドさん、幸せなの。それでいいの。独身の頃みたいに好き勝手娼館行けないよぉ。あ、出禁喰らってたっけ!」
「行かねえよ!」
「吾の体が保たぬ、ご満足いただけぬようであれば、遊ぶ金を用立てるが」
「やめて?」

 ジェイドはカールに余計なことを言うな、と苦い顔をして、五十鈴を口説いている。傍目には口説いているようにしか見えない。

「百鶴宮」
「なんぞ、小童」
「小童じゃねぇし。ジェイドさんのこと──裏切ったら許さねぇから」

 大きく目を見開き、五十鈴はころころ笑った。
 ジェイドもまさかカールがそんなことを言い出すだなんて、と目を丸くして、微笑ましそうにカールを見つめる。
 ふたりの様子に腹を立てたように「早く飯! 飯くれねぇと装備渡さねぇし!」とカールは飯屋街と歩きだす。
 その後ろを五十鈴と並んで歩きながら、ジェイドは五十鈴に「あいつにも可愛気あるだろ」と話しかけ、五十鈴は「そうさなあ」と曖昧に頷き、閃光色の目を細める。

(朱熹程度であれば屠れるか、面白い)

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あきゅろす。
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