小説
恋を患ったふたり(後)



 幽鬼のような満也を見つけて声をかけた孝則だったが、その言動に本気でぎりぎりの状態だったのだと悟った。
 なんやかんや明確な返事をよこさなかった満也が、恐らく肯定と見ていい返事をしたと思ったら、そのまま卒倒。孝則の肝は冷えた。
 保険医の診察によれば、過労。
 孝則は診察結果を聞くや否や、生徒会役員を襲撃した。
 丁度、食堂に集まっていた役員たちは「仕事をしろやクソがっ」と普段の孝則らしからぬ様子で迫られ、それぞれ食べていたものを噴出しそうになった。

「し、してますけどっ?」
「ああ? じゃあなんで俺の、お・れ・の! 満也が過労でぶっ倒れてんだ、ああ? つうか、満也への配分多すぎるんじゃないですかねえっ? なんで満也が寮にまで書類持ち込んでんのにてめえらは暢気に優雅に食事してんだっつーんだよ」

 生徒会長過労との言葉に、食堂にいた生徒達がざわめき、非難の目が役員に向けられる。
 確かに満也よりは少ないとはいえ、仕事放棄までしていたわけではない役員達は弁明するが、そうすればするほど満也の負担が明らかになるばかりだった。

「いいか、満也は療養だ。休養だ。俺がOKだすまで働かせねえから、今まで満也が負ってた分はてめえらでまわせ。満也が戻ったときに山積み残ってましたなんてなってみろ、樹海に強制合宿させんぞ」

 凄んだ孝則に役員は青ざめながら頷き、我関せずといった風に食事を続けていた転入生は「暫く遊べないな、がんばれよ」と気のない声をかけた。お前さえ、と思わなくもないが、転入生はアピールしただけであって、勧誘したわけではないので、孝則は忌々しそうに睨みはしたが、特別なにか言うこともなく食堂を後にする。

 これで外堀は完全に埋まった。



 満也が目を覚ませば、そこは寮の自室とは違う部屋だった。
 久しぶりにまともな睡眠をとれたので、頭がぼうっとするものの、なんとか首を巡らせれば、サイドボードにメモとスポーツドリンク、カステラが置いてあった。

「……たかのり」

 だるい腕を伸ばしてメモを手に取れば「すぐ戻る。食べられるようなら食べておけ」という走り書きと、孝則の名前が書いてあった。
 どうやらこの部屋は孝則の部屋らしいとめぐりの悪い頭でなんとか理解して、満也は大儀そうに起き上がる。
 遠慮なく、とスポーツドリンクを飲めば、一気に半分ほど飲んでしまった。

「っあー……」

 少しすっきりした頭で前後の記憶を探れば、書類を持ち帰ったあたりからあやふやで、しかし、孝則の部屋にいる以上はなんらかの事情があったはずだとさらに満也は考え込む。
 考え、考え、考えて、満也は前のめりに突っ伏した。

(なんか言っちゃった気がするんですけどおおっ?)

 というよりも、あの言動はなんだ、と自分自身を殴りつけたい衝動にかられる。
 どこの幼児だ、と頭を抱えたところで、満也は近づいてくる足音を聞いて硬直した。
 控えめなノックに返事をすることもできず固まっていると、ドアがそっと開かれ、孝則が顔をだす。
 返事がなかったので寝ているものと思っていたのだろう、孝則は起き上がっている満也にまばたきをすると、次いで微笑した。

「起きていたのか」
「あ、ああ」
「具合は?」
「概ね問題ない」
「とりあえずカステラだけ置いておいたが、食べたいものは?」
「いや……」

 孝則はベッドの端に腰掛け、挙動の怪しい満也に首を傾げた。

「ほんとうにだいじょ……大丈夫じゃないんだったな」

 孝則に言った言葉がそのまま現実であることを再確認して、満也は叫びそうになる。
 忘れろ、忘れてくれ、と襟首を掴み上げたいが、全身だるくてそんな力は出そうにない。

「保険医からの伝言だが、しっかり休め、だそうだ」
「し、仕事が……」
「そちらの采配はきちんとしておいた。心配するな」
「そ、そうか」

 きょろきょろと視線を泳がせる満也に苦笑いしながら、孝則は無骨な手を伸ばした。
 やんわりと頭を撫でられて、満也の顔が一気に赤くなる。

「な、なにっ」
「なあ、満也」
「はいっ?」
「もう、俺のものでいいんだよな?」

 幼稚な言動ばかりを思い出してしまっていた満也だが、孝則の言葉でぶっ倒れる前に言った言葉を正しく思い返し、頭が真っ白になった。

(……好き、だとか、言っちゃってませんでしたかねえ?)

 途端、恥ずかしくて居た堪れなくて、満也はだるさも忘れて素早く布団のなかにもぐりこんだ。頭までしっかりと隠してしまえば、孝則の呼びかける声がくぐもって聞こえる。

「満也? おーい」
「べ、べべべべ別に、好きとかっ、そんなっ」

「お前のことなんか好きじゃないんだからなっ」と言い切るには、既に事態は進んでしまっている。かといって、殆ど前後不覚の状態で言ってしまった言葉をそのまま繰り返すこともできず、満也の言語は崩壊寸前だ。
 けれど、満也がこれほど取り乱しているというのに、孝則は平然としているのだ。

「俺は好きだよ」

 変わらず、好きだ、なんて伝えてくるのだ。
 布団越しに、やさしくぽんぽんと撫でてくるのだ。
 感情ひとつまともに返せない自分が段々情けなくなってきて、満也は目を潤ませる。
 布団を掴んでいた手にぐ、と力をいれ、ほんの少しだけ作った隙間から顔を覗かせれば、孝則は「ん?」とやさしい顔で満也を見つめた。

「――好きじゃない、こともない」

 神が実在したのなら、間違いなく片手を天に突き上げていたことだろう。

「つまり好き、なんだな?」
「そっ、そう思いたいなら、思っても、いいっ」

 早口で言い切って、満也は再び布団にもぐりこんだ。顔どころか全身熱くて堪らないのだが、これ以上孝則と顔を合わせるのは無理だった。恥ずかしくて堪えられない。
 しかし、最後の砦である布団だったが、その砦は決して堅牢ではなかった。

「よっと」

 ベッドが軋み、満也の体に軽く体重がかけられる。
 布団越しに抱きしめられていると気付いた満也は「ぴゃあっ」とあんまりな叫び声を上げる。
 思わず布団から抜け出そうとすれば、顔だけが出てしまい、都合よく孝則と視線がかち合った。

「やっと俺のものになった」

「勘違いすんなっ」とか「別にお前のじゃないしっ」とか、こみ上げる素直じゃない言葉は幾つもあったけれど、孝則の顔があんまりにも嬉しそうで、幸せそうだったから、満也は口を噤み、頭を孝則の胸元にすり寄せる。

「……少し寝る」
「ああ」
「起きるまで一緒にいろ」
「喜んで」

 布団を軽く剥いで直接孝則に抱きつけば、ほんのりと伝わってくる体温は満也が倒れる直前に感じたものと同じで、やはり、満也はうれしくなったのだった。

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あきゅろす。
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