小説
四十三話



「うばああああ! よおおおやく! 腹の中身が収納できた!!」

 カーペッ! と地面に血痰吐き捨てて、カールはぺちーんと腹を叩く。
 結局、カールは一晩中のたうち回ることになっていた。
 本来ならばもう少し早く回復していただろうに、カールは馬鹿なので少し回復したら忌々しい朝烏を探しださんと動こうとして、その度に塞ぎかかった腹が破けてを繰り返すこと三度。三度目でようやく学習して完全な回復を待っていれば、表面的に塞がっても腹の中でうごうござわざわ内臓なんだかなんなんだかがざわめいているのが分かり、これはまだ動けないと苛々しながら更に待機。立っても跳ねても不快感を覚えなくなったのは、朝日がすっかり上ってからであった。

「ああああちくしょおおおお……殺す殺す、あの野郎絶対殺す。見つけ次第殺す」

 今度は朝烏の顔面に内臓ぶち撒けてやると意気込むカールだが、ふときゅるる……と間抜けな音を鳴らした腹に猛烈な空腹感を覚え、脱力する。
 腹が減っては戦はできない。
 どこにいるかも分からない朝烏を探しに行くよりも、リシャールに戻って腹拵えをし、ずたぼろになった装備を整えるべきであろう。

「俺は馬鹿だから分かんねえけど……偉い人が勝ってから戦しろって言ってたのは知ってるぜぇ」

 そのための準備だ、とカールは周囲を見渡し、勘だけで歩き始める。
 お分かりいただけるだろうか。
 この男、未知の人型ドラゴンと相対した挙げ句、殺されかけて、血肉を食らって体を再生させるという他人に話せば額へ手を当てられるような珍事に見舞われているにも拘わらず、それらをまったく気にしていない。一応高ランクの冒険者なので、ドラゴンという存在の重要性や自身の身に起きた異常を理解しているはずなのだが、頭が朝烏に対する殺意とその表明方法でいっぱいになっているのだ。

「あー、あいつらがドラゴンってことは……百鶴宮もドラゴンってことだよなぁ?」

 順調にリシャールへと近づきながら、カールはぽつりと呟く。
 朝烏をどう嬲り殺しにするかを考えている最中に浮かんだ顔。幽幻な佳人。ジェイドが嫁とする相手。

「あの糞ったれは許嫁とか呼んでたが……ジェイドさんは知ってんのぉ?」

 いや、とカールは首を振る。
 知っていようが、知るまいが、ジェイドは百鶴宮をカールに利用などさせないだろう。
 それは、いまのジェイドらしくないジェイドになる以前から。ぶっきらぼうで他者へ冷淡に見えることもあるが、あれで案外愛情深いのだとカールは知っている。カールへの愛情の示し方は主に拳であったけれど。

「シスコン気味だしなぁ」

 カールは口をひん曲げ、ゆるゆると首を振る。
 たとえシスコンだろうと異種婚姻果たしていようと、カールにとってはそれなりに感謝している師匠で親父で兄貴なのだ。本人には言ってやらないけれど。

「でも、ま……情報収集くらいはいいですよねぇ?」

 嫁さんから話を訊くくらいはいいだろう、とカールは目をきつく吊り上げ、口角を歪ませる。
 できればリシャールにジェイドたちがいてくれればいいが、と急ぎ足で向かったカールだが、残念ながらそこにジェイドたちの姿はなかった。



 朱熹が何処にどの臓器が配置されているのかいまいち理解しておらず、入れては出してを繰り返したために盛大に再生の遅れた朝烏は、常に薄っすら浮かんでいる目の下の隈を心持ち濃くして樹の幹へ寄りかかっていた。

「まさか、一晩経っても起き上がれないとは思わなかったよ」
「申し訳ありません……!」

 額づいて謝罪する朱熹にひらひらと手を振りながら、いまももぞもぞと蠢く腹に眉を寄せ、朝烏はすっかり明るくなった空を見上げる。
 五十鈴と間男は既に遠く離れてしまっているだろう。気配が追えない。
 そも、朝烏たちが五十鈴の近くへ東方からすぐにやってこれたのは、五十鈴の父の手配があったからである。単独では辿り着くだけで何百年もかかるだろうという計算から転移で五十鈴のそばへ送り込まれた朱熹が、予想していたことだが説得に失敗したため今度は朝烏とともに送り込まれたのだが、はっきり言って朝烏としては選ぶドラゴンを間違っていると思う。

「私は確かに表面だけ見れば『幼馴染のお兄ちゃんで許嫁』だけどねえ……」
「朝烏様?」
「ねえ、朱熹。聖上はなんだって嫌われている許嫁を迎えになんて選んだんだろうねえ」

 朱熹は言葉に詰まり、ぐるんぐるん目を泳がせながら「そ、それは、触れ合いを多くして、少しでも仲を……」と珍しくもそれらしいことを言う。

「正直、私は聖上の身勝手だと思っているよ」
「朝烏様! お言葉が……っ」
「あの方は、結局許嫁殿に、息子に嫌われたくないんだろう」

 だから、問答無用で叩き返せる朱熹や、顔面に塩を撒いて追い払っても構わない、むしろあわよくば死ねと思っている朝烏を迎えになんてやるのだ。

「ただ連れ帰るだけなら、蒼雲をよこせばいいんだよ。彼なら許嫁殿を緊縛してでも連れて帰るから」
「あ、兄は確かにそういうところがありますが……だからこそ宮様は兄を、その……疎まれておりますので……」
「ほら、それだよ。全力で抵抗するのが難しい相手を送り込んだ自分が嫌われないようにしたいのさ、聖上はね」

 いや、でも、その、と朱熹がもごもごするのを聞きもせず、朝烏は大儀そうに立ち上がると途端に体のどこかでブチッと音がしたのも構わずに歩きだす。

「許嫁殿には嫌われ、とうとう間男まで作られ……私、可哀想すぎない? 純血の古代種の仔が一匹貰えるっていうから引き受けたんだけど、これも……──手遅れにならないうちにどうにかしないとな」

 最後は声にならないほど小さな呟きで。
 遠く、遠くを見透かすように細められた朝烏の銀色の双眸は、刃物のように冷ややかで、鋭かった。

[*前へ][小説一覧][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!