小説
四十二話
五十鈴が本性に戻り、空から確認することでふたりは街の方角を知ることができた。
「奥は結局、この小さいときが本性なのか?」
なかなかに遠い街までの距離を歩きながら、ジェイドは五十鈴へと訊ねる。
五十鈴との初対面は大きなドラゴンとして相対したし、水浴びしたときはジェイドとさして変わらぬ大きさであった。朝烏から離れて空を舞ったときに確認したように、それらも恐らくは幻なのだろう。
だが、ジェイドの肩から指先にかけてまでの腕一本分ほどの全長の、ドラゴンとしてはとてもとても小さな姿、これは五十鈴が意識を失って人型を保てなくなって現れたものだ。ならば、これが本性なのではないかとジェイドは考える。
「是、是。年を経れば大きくもなるが、いまはあれがそのままの姿よな」
「ドラゴンっていうのはみんなそういうものか?」
「否、否。古代種だけである。古代種は保有する魔力によって寿命が左右する故、実年齢と身体年齢に差異があるのだ。能力はまた別の話であるが」
五十鈴はけろりと言うが、ジェイドは内心でなんともいえないものがこみ上げる。
幻だという姿を育った、育ちきった姿だとして、五十鈴の本性はあまりにも小さい。幼生に見えるほどに、小さく、幼く感じる。しかし、その姿を持つ五十鈴の実年齢は二千歳を超えるのだという。
身体年齢が幼生の域で二千歳だというのなら、五十鈴の寿命はどれほど長いのだろうか。
ジェイドの寿命など、まばたきほどの長さにもならないほどなのではないだろうか。
「……水浴びのとき、肩が凝ったから本性に戻りたいって言ってたが、結局本性に戻ってなかったんじゃ肩凝りっぱなしだったんじゃないか?」
ジェイドは努めて明るい調子で五十鈴をからかったが、五十鈴はきょとん、とした様子で「幻をまといつつであるが、本性には戻っておったぞ?」と答える。
つまり、幻の姿をとっていても、そう見えるだけで本性には戻っているらしい。どれだけ高度な幻術だというのか。つくづくドラゴンというやつは、とジェイドは額を押さえる。
「なんで本性見せなかったんだ?」
「御前に初めて見せた姿との差異が大きすぎるかと思うて」
「そうか……」
確かに、見上げるほどに大きなドラゴンが腕一本分ほどの大きさで現れ、水辺をぱちゃぱちゃ泳いでいればジェイドは困惑しただろう。五十鈴なりに段階を踏んだらしい。
「……また疲れたら、本性に戻れよ。あれくらいなら服のなかに隠すくらいはできるだろ」
さっきのいまのだ、なんなら今からでも、とジェイドが五十鈴のほうを見れば、無表情を真っ赤に染めた五十鈴が口元を両手で覆っていた。
「は、破廉恥な!」
「なにを想像した? 地肌に巻きつけるわけじゃねえよ?」
「……そうよなー」
心なしかがっかりした様子なのはジェイドの気の所為だろうか。気の所為だろう。気の所為ということにした。
だが、五十鈴を労りたい気持ちはほんとうだ。ジェイドの体は五十鈴が癒やしてくれた。唇を重ねて送り込まれたのは蜜のように甘いなにか。舌で追いやられるままに飲み込めば、途端に全身が熱を持って骨も臓腑も痛みから解放されたのだ。その不思議を問うより早く、上機嫌な五十鈴が今度は愛情を込めた口づけを繰り返してきたので問えずじまいであるが、逆に知らないほうがいいともジェイドは思う。この先なにがあるか分からない。古代種に関する知識を多く持ちすぎるのは、「人間」に都合のいい知識を持ちすぎるのは、きっと危険だ。
「そろそろ空が白み始めてきたの」
「そうだな。疲れてないか?」
五十鈴は首を振り、ジェイドの腕に両腕を絡めるとそのまま肩へ頭を乗せた。
「御前と共にであれば、如何なるものも苦とは思わぬよ」
うつくしい微笑を浮かべる妻にジェイドは胸が苦しくなる。
共に、と五十鈴は言う。
けれども、だけれども、いつか、五十鈴にとってはすぐにでも、ジェイドの寿命は尽きてしまうのだ。
五十鈴を置いて逝く、あるいは五十鈴に取り残されるのだ。
自分を縛り付けるために欲しいと五十鈴が言っていた子どもを、ジェイドは五十鈴のために、自分がいなくなった後の五十鈴のために残してやりたいと思った。
でも、とも思う。
子どもを産めば、完全に相手以外とは番うことが叶わなくなると言っていたのを思い出せば、別の誰かと番える可能性を残すべきなのではないかとも、思うのだ。
それはじゅくじゅくと膿むように胸が痛むことだけれど。
それは嫌だと全身で叫びたくなるほどに辛く、寂しいことだけれど。
瞬きよりも短い間しか共にいてやれない、いられないジェイドが、五十鈴にしてやれることは決して多くなくて、その短い時間を「傷」になどしてやりたくなくて、ジェイドは肩に乗る五十鈴の頭へこつ、と頭を軽くぶつける。
「御前?」
五十鈴が呼ぶ。
あと何回呼んでもらえるのだろう。
「ああ」
五十鈴に応える。
あと何回応えることができるのだろう。
冒険者になったときから、死ぬときは死ぬと、そういう覚悟をしてきた。
いまも、この瞬間もその覚悟は薄れることがない。
ただ、混じったのは恐怖。
遺していくことへの恐怖。
この先、ジェイドは眠る瞬間に絶望を抱き続けるだろう。約束されない明日へ息をつまらせ、指先を震えさせるだろう。
「……これだけいい嫁さんもらったんだしな、それくらいいいさ」
「御前? 如何されたのだ」
「なんでもない。愛してるぞ、奥」
ぱっと解かれた腕。本性に戻った五十鈴が肩に駆け上り、頬を目一杯擦り寄せてくる。
「きゅるきゅる! きゅー!」
「奥、くすぐったい」
五十鈴の頭を撫でて、その指先を甘噛みされて、ジェイドはくすぐったさに笑う。
笑いすぎて、少しだけ涙が出てきた。
笑いすぎて。
笑いすぎて。
しあわせすぎて。
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