小説
三十七話
五十鈴は故郷にて特殊な立場にあった。
「扱いは良いが、要は畑よな」
早速出てきた不穏な言葉にジェイドは眉を顰めるが、五十鈴はただ事実を述べているのみというように美しい顔に憂いすら浮かべない。
「基本的には想い合ったもの同士が番となるが、我が一族には例外もおるのだ」
「それが奥か」
「吾というか、その血統というか」
五十鈴はす、と頭へ手をやって被衣と髪飾りに隠された角をなぞる。短い枝のような角は極上の紫檀を磨いたように艶があり、繊手がなぞる様はなんとも艶冶だ。
「お気づきであったと思うが、あの雄……朝烏というのだが、あれには角がなかったであろ?」
「ああ」
人型をとったドラゴンを最初に見たのは五十鈴が初めてなので、皆がそういうものだと思ったけれど、あの烏のような男、朝烏には角がなかった。ひょっとしたら短すぎて、夜闇に紛れたのかもしれないとも思ったけれど、五十鈴の口ぶりからすると真実ないらしい。
「人型をとって角を残すドラゴンは、我が一族では吾と……もはや父しかおらぬ」
「……それは」
ひたり。
五十鈴の指がジェイドの唇をなぞり、閃光色の双眸がじっとジェイドを見つめて揺れる。
「──古代種を、ご存知か」
カールは地面をのたうち回っていた。
全身が煮え湯で溶かされていくような苦痛に悲鳴も上げられず、しかし正気を失わない両目は爛々と一方を、獲物が去っていった方向を睨みつけ、指先はがりがりと地面を掻いてなんとか立ち上がろうと足掻く。
奇妙なことに、カールの正気を保つのは怒りという名の感情であった。感情が理性となってカールを支えていた。
「くぅそぉぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ゛あ゛!!!」
呻くように叫び、よろりと立ち上がるカール。
瞬間、全身が破けて血が吹き出し、そして穏やかに「再生」する。
カールの体はこれを繰り返していた。
朝烏に腹わたを引きずり出されたとき、カールは流石に死ぬと理解し、同時に一か八かの賭けに出た。
カールにとって幸運だったのは、朝烏が現れたとき同様に唐突に姿を消したこと。怒りに拍車をかける原因にもなったけれど、生存率を上げるという点のみに注視すれば、朝烏の不在は確率を大きく跳ね上げた。
カールは意識が沈み切る直前に、馬針へ雷属性の魔法で磁力を発生させて引き寄せた。
体のあちこちに仕込んでいるものではない。使用済みのものだ。
朱熹の足を縫い止めた、朱熹の血に、ドラゴンの血に濡れた馬針だ。
ドラゴンの血肉が、臓物が「薬」になるなど眉に唾をつけるような話である。
少ないとはいえ残されているドラゴン討伐の事例でも、その後のドラゴンの「素材」が「薬」として役立ったなど記されていない。そうであれば、どれだけ危険であろうと人間はもっと貪欲にドラゴンを狩ろうとするだろう。人間は戦争と医療……破壊と存続のためならば幾らでも残酷になれる。
だが、カールが初めて自らの目で目にしたドラゴンは、前代未聞の人型を取った挙げ句にミートソース状になっても元の形を取り戻していた。
その異常性にカールは賭けた。そして勝った。半分だけ、勝った。
舌先に引き寄せた馬針に伝う生乾きの血をべろりと舐めた瞬間、全身がじゅわりと煮蕩かされたかのような錯覚。
「──え?」
朝烏に置いていかれ、ぴいぴいと喚きながらも歩きだそうとしていた朱熹が、ぐちゃぐちゃと粘度のある水音に振り返り、驚愕の表情をカールに晒す。
ぶち撒けられた腹わたがカールのなかに戻ってくる。
ぐちゃぐちゃと、ずるずると。
腹の中を撫で回されているような未知の不快感に嘔吐したくとも、そのための胃袋がまだ戻ってきていないのかどうしようもない。
痛い。熱い。気持ち悪い。そして、腹立たしい。
こんなことになったのは自分が弱いからか?
こんなことになったのは相手が強いからか?
どっちでもいいし、どうでもいい。
「とぉりあ゛ぁえずぅぅ、殴らぜろやあ゛あ゛ぁぁッッ!!!」
まだ幾つかの臓物をぶら下げながら、跳ね起きたカールは硬直している朱熹に飛びかかり、その可憐な顔面を殴り飛ばした。
倒れ込み、悲鳴の形に開いた朱熹の口が閉じぬ間にもう一発、さらに一発、もう一つおまけに一発、まだまだと思ったところで正しい位置に戻った臓物が正しく負荷を顕にして、カールは殆ど吐瀉するように朱熹の顔面へ吐血して鼻血を垂れ流してぶっ倒れた。
「な、な、ななな……なに、なにっ? なんなんですか、この下等生物はぁッ?」
這うようにして朱熹がカールの下から移動して、立ち上がろうとする。
その細い足首をカールは伏せたまま掴んだ。
「ヒッ? い、いやあああああ!!!」
朱熹を引き倒し、カールは腹を再び破けかけさせながら馬乗りになる。
ぜいぜいと荒い呼吸の合間に粘ついた血液が垂れる。
死に体だ、死にかけだ、死んでいるようなものだ、もはや死体だ。
でも、動く。
血に滑る片手でカールは抵抗する朱熹の顔面を掴み、無理やり喉を反らせて大きく口を開ける。
ひと舐めで足りないのなら。
「にぐ……よごぜええええええええええ!!!!」
「やあぁめぇろおおおぉぉぉぉッッッ!!!!」
ブチィッ!
耳を劈くような絶叫。
破れかけの腹を渾身の力で蹴り飛ばされ、カールはもんどり打って倒れ伏す。
それでも吐き出さぬ肉片をぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ咀嚼して、足音が凄まじい速さで遠ざかるのを見もせずカールは嚥下した。
途端、先程の比ではない辛苦がカールを苛む。
嘔吐しながら、悶絶しながら、ぎょろぎょろと周囲を見渡しながら、カールは手足をめちゃくちゃに動かす操り人形のように走り出した。
見えた背中。
振り向いた朱熹の青褪めた顔を掴んで地面へ叩きつける。持ち上げる、叩きつける。持ち上げる、叩きつける。
「野郎はどごだあ゛ぁッ!」
朝烏はどこだ。
カールが心底「こう」してやりたい相手はどこだ。どこにいる。
「はぁなぁせえ、下郎がッッ!!」
至近距離での爆散魔法に血肉を撒き散らしながら吹き飛ぶカールは、それでも朱熹を捕捉し続けたが、彼は瞬きの間に人型からドラゴンの姿をとり空へと舞った。
「ま、で……」
立ち上がろうとしてべしゃりと地面へ沈む。
激痛にのたうち回りながらカールは空へと手を伸ばすが、小さくなっていく影には指先すら届かない。
「くぅそぉぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ゛あ゛!!!」
夜闇にカールの絶叫が響いた。
[*前へ][小説一覧][次へ#]
無料HPエムペ!