小説
十二話



 放課後、知鈴は困ったような顔をして廊下を歩いていた。
 先程職員室に顔を出した知鈴は、ある教師に呼び止められてこっそりと耳打ちされた。
 曰く、屋上の鍵を一週間ほど生徒に貸し出している。
 屋上や空き教室、一般生徒の立ち入りが禁じられた区域の見回りは風紀委員会の仕事でもあるので報告してくれるのは結構なのだが、それは貸し出しする前に相談してほしかった。
 ましてや借りができて貸し出したというのだから尚更だ。
 一応様子を見てくるべきかと屋上を確認してきた知鈴だが、どうやらゴミを散らかしたり秘密基地を作ったりなどという様子もなく、ほっとする。
 葛谷学園の生徒は優秀なのだが、優秀さを時折明後日の方向に発揮するときがあるのだ。
 敷地内に大工から態々教えを乞うて秘密基地を作ったのは誰であっただろうか。代々一人はいる気がする。
 もうすぐ文化祭で浮かれる人間も出てくるだろうし、風紀委員長としては忙しくなりそうだ。

「そんな時期に窓を叩き割ってくれやがってからに……」

 知鈴は通り過ぎざまにテープでダンボールが押さえられた窓を見遣る。
 これは今日、渚が叩き割った窓だ。
 知鈴は報告を聞いただけでその場に居合わせたわけではないが、突然大声を上げた渚が腕を叩きつけて割ったのだという。
 本人も呆然として血だらけの腕を見つめており、近くにいた生徒が急いで保健室へ連れていき、そのまま病院へ向かったらしい。
 そろそろ寮へ帰っていると思うが、と考え、知鈴は渚の同室者を思い浮かべる。

「あいつ、怪我人への気遣いできんのか……」

 渚の同室者は美由である。
 人嫌いで、面倒見が悪くて、寄るな触るな話しかけるなと全身で言い放っているような人間だ。
 これだけ硝子を派手に割ったとなれば、自業自得だが怪我も酷いだろう。片手では不自由することもあるかもしれない。そんなとき、美由は助けてやるだろうか。

「……なんで俺が心配してやらなくちゃならないんだ」

 やれやれ、と知鈴は首を振る。
 知鈴は織部双子とは幼馴染で、ふたりのことをよく知っている。ふたりも知鈴には遠慮がなく、その所為で散々な目に遭ったこともしばしば。主に優のセクハラとか美由の毒舌とか。
 しかし、知鈴は決して幼馴染のことが嫌いではなく、不器用な彼らにもどかしい思いもしている。
 本人たちの自覚はどうか知らないが、知鈴から見ると彼らはとても双子らしい双子だ。
 いっそ、痛々しいほどに。

「美由が不機嫌になれば取り巻き連中がどうなるか面倒だしなあ」

 美由には決して友人と呼ぶには相応しくないが、彼にしては親しく付き合っている人々がいる。学園内に限ったことではない関係は美由を軸にして繋がり、広くひろく糸を伸ばしている。
 己の意思で幾らでも動かせるであろうその人脈を、美由が意図して使ったことはほぼない。現状を見るに、彼らが一方的に美由を慕っているだけだ。そんな彼らを知鈴は取り巻きと呼んでいる。
 葛谷学園には名家の生徒も多い。そんな人間が取り巻きをやっているのだ。美由のことを第一に、主軸にして考え、行動しているのだ。美由の意に沿わぬことはしないであろうとも、美由の機嫌が悪ければ知鈴としては周囲の動向に注視せざるを得ない。
 それが、葛谷学園の風紀委員長という立場なので。
 暫し考え、知鈴は手っ取り早く美由の機嫌を左右する人間に会いに行くことにした。この時間ならばまだ校内にいるだろう。

「──優」

 生徒総括室。
 そこに優はいた。
 夕日を背負い、ぺたぺたと反古紙でメモを作っていた優は「おや」などと声を上げて知鈴を見遣ると、すぐに手元へ視線を戻して「どうしたんだい」と続ける。
 扱いが雑だなあ、と思いながらも口にすればもっと雑な言葉が飛んでくることを知る知鈴はさっさと用件に入るべく、勧められてもいないソファへ腰掛けた。

「お前のクラスの北島のことだが」

 優と同じく机でメモを作っていた流宇がさり気なく席を立つ。自分が聞くべきではないと判断したらしい。

「怪我をしたそうだね」
「随分とダイナミックにな」
「それがどうかしたかい」

 怪我人が出たことに「だからなに」と返すのは、相手が知鈴だからであろう。優を知る人間が聞けば、一拍遅れて大仰に驚いたに違いない。

「部屋、一時的に変えたほうがいいんじゃねえのって思ってな」
「そうだね」

 でも、と続けながら優はひとしきり作り終えたメモを横に置き、机の上を片付け始める。

「申請がないからできないね」
「お前ならできるだろ。総括長」
「馬鹿をお言いでないよ」

 優は心底馬鹿にしたようにせせら笑う。

「本人たちが望んでもいないのに周囲が勝手に思い込んであれこれと世話を焼くのは気遣いでも思いやりでもない、ただのお節介さ。さっさと挿れてくれと言っているのにしつこく解すのとはわけが違うよ」
「後半いらねえよな。まあ、言いたいことは分かったが、申請があれば応じるのか」
「難しいね」
「おい」

 優は立ち上がり、知鈴の向かいのソファへ身を投げ出す。
 ひどく退廃的な雰囲気で寛ぐ優の姿は、知鈴にとっては見慣れた姿だ。

「同室者が世話をしてくれないから部屋を変えてください? 同室者の世話をしたくないので部屋を変えてください? 舐めてるのかい。舐めるのは息子だけにおしよ」

 優の言葉はご尤もだ。
 そんな自分本位は協調性を学ぶ場でもある教育現場では認められない。もちろん、美由が怪我人である渚を意図して害するというのならば申請は幾らでも通るだろうが、そもそも接触を持ちたくない美由がそんなことをするとは知鈴も考えない。

「方針は了解した」
「そう」
「邪魔して悪かったな」
「いいや──知鈴」

 総括室を出ていこうとした知鈴は、優の呼び声に振り向き心臓を僅かに跳ねさせる。
 優は眉間に僅かに皺を作り、まるで沈んだような表情を浮かべていた。
 見たことのない優の表情に、知鈴は固まる。

「どうしたらいいのだろうね」
「なにを……」

 優は答えず、もう一度繰り返す。

「どうしたらいいのだろう……あの子に」

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