小説
三十五話



 須臾もなく、五十鈴の体が跳ね起きた。
 殆ど弾き飛ばされるように五十鈴の上から退かされたジェイドは、五十鈴が東方の装束を一枚引っ掛けただけの姿で突如現れた人影、烏のように黒い装いの男に迫るのを見る。
 僅かというところで更に加速、キレの有りすぎる背面回し蹴りが男の腹へ叩き込まれ、吹っ飛んだ男は幾つも木々を薙ぎ倒していった。
 横薙ぎに腕を振るった五十鈴の前に現れるのは幾つもの魔法陣。間を置かずに放たれる刃が粉塵の向こうにさらなる破壊をもたらし、尚も五十鈴は魔法陣を構築する。
 星のように光る幻想的な剣が幾本も現れ、木々の向こうへ射出されていく。
 連べ打ちにされた剣が降り止まぬうちに、五十鈴はその場から大きく後退するとジェイドを抱えて横へ跳ぶ。
 直後、なぎ倒された木々の向こうからジェイドが居た場所まで極大の光線が地面を焼き払い、烏のような男が姿を現した。

「はあ……相変わらず私の許嫁殿はお転婆だなあ」
「相も変わらず不快な輩よな……その口今すぐ刻んでくれるわ」

 五十鈴は躊躇うことなく透かし編みの被衣を取り払うと、ジェイドへと押し付けた。
 咄嗟に受け取ってしまったジェイドが五十鈴の意図に気づいたときには、五十鈴は男へ向かって拳を振り抜いていた。
 掴まれる拳、それを軸に膝を男の側頭部へ叩き込む五十鈴。吹き飛ぶ脳漿。男の頭部が半壊する。よろめいた男に近距離から爆散魔法を放ち、距離を取るもすぐさま両手の爪を伸ばして五十鈴は爆炎のなかへ向かう。
 その背中は殺意に満ち満ちていた。
 殺す、必ず殺すという決意のもと五十鈴は行動していた。
 ジェイドには五十鈴と男の関係は分からないが、男が五十鈴を「許嫁」と呼び、五十鈴がそれを嫌悪しながらも否定せずにいることから知り合いであることは理解できる。
 角は見当たらないが、恐らくは男も東方のドラゴンなのだろう。
 そうでなくして、どうして五十鈴の、ドラゴンの確殺を誓った一撃いち撃に堪え続けることができるのか。
 爆煙のなかから億劫そうに歩いてくる姿に、頭を吹き飛ばされた形跡はなく、文字通り、人間業ではない。

「そなたは邪魔なのだ。疾く死ぬるがよい」
「いつもより激しいな……許嫁殿が『手入れ』された身であることと関係あるのかな?」

 硬い金属が砕けるような音がして、男に叩き込まれた五十鈴の腕は掴まれ、へし折られた。
 振り捨てられる五十鈴の体が地面へ叩きつけられるも、まばたきの間に五十鈴は起き上がり、折れた腕はしなやかに伸びている。
 素肌に軽く着ただけの装束は既に乱れきり、その様に男は目を眇めた。

「以前の許嫁殿なら、私に肌を見せるなんて死んでもしなかっただろうに……そうまでして……この人間が大事なのかな?」

 滑るようにして眼の前現れて手を伸ばしてきた男から、目くらましをするように被衣が広がった瞬間にジェイドは身を躱し、そのすぐ後には五十鈴の背後に庇われていた。
 男の手を五十鈴が弾くも、無傷ではいかずに殆ど片手が吹き飛んだ。

「奥ッ」
「大事ない!!」
「雌に守られるような雄がそんなに大事かい? 許嫁を他所に足を開いた尻軽の考えることは分からないな」

 明らかな侮蔑にも五十鈴は激昂などしなかった。

「先ほどから吐き気のする呼び方をしおってからに……」
「許嫁殿と私の関係がそうであることは事実だろう? 私の親と許嫁殿の親がそうと定めた」
「吾は認めておらぬ。吾は認めぬ。吾が背の君は既に定まり、天にも地にも他になし」
「それは許嫁殿の一方的な言い分だろう。たとえどんな淫売であろうと、許嫁殿は私の仔を…………ん?」

 がくん、と男が首を横倒しにした。
 見開いた目は五十鈴を凝視し、次いでぎょろりとジェイドを見据える。
 何故か、ジェイドはその男の視線から五十鈴を隠したくて、自身を背中に庇う五十鈴の腕を引いて押し付けられた被衣を押し付け返して背中に庇った。

「御前!」
「さっきからひとの頭上でなんなんだよ、お前らは……相手の意見を聞きましょうっていう常識はねえのか」
「それは……人間の常識かな? 弱者の声に耳を傾けるのは、余暇に戯れるものくらいではないかな」

 ところで、と男は振り子の玩具のように首を左右へ揺らしながら、男はジェイドへと問いかける。
 初めて、ジェイドをまともに認識したような男の態度であるが、それは決して嬉しいものではない。

「ひとの許嫁に手を出して、ただで済むとは思っていないよね?」
「……奥は、あんたとの関係を否定してるみたいだが?」
「奥、ね──気に入らないな」

 男が腕をひと振りすれば、その指先に揃う爪がナイフのように鋭く伸びた。

「人間の割にさっきから目で追えているようだけど……そうか、花婿の……厄介だなあ」

 だなあ、と言いながら、ジェイドに肉薄した男が振り上げた爪。五十鈴が動くより早く、ジェイドは五十鈴を抱いて後退、爪が振り下ろされた瞬間に跳躍し、男へ空中回転踵落としを叩き込む。
 常の魔物を相手するとき以上になめらかに、力強く動く体を実感するジェイドは、これが五十鈴たちの言う花婿としての力かと苦笑を浮かべる間もなく、沈んだ男の顎を蹴り上げるように後背跳び蹴りを叩き込んだ。
 一歩、二歩、と下がった男は顎を摩り、無表情だった顔を僅かに顰めている。

「ううん、聞いていた以上に厄介だ。私も少しはやる気を……」
「朝烏様ー!」

 場違いにも泣き声染みた声が響いた。

「うわああん、なんで置いていくんですかあああ! あの下等生物おかしいですううう! 何度も何度も……宮様っ?」

 現れたのは赤い髪の少年。
 男、朝烏が少年へ振り返った瞬間、五十鈴によって抱えられたジェイドはその場から飛び立った。
 飛んだ。
 飛んだのだ。
 あっという間もなく小さくなる朝烏と少年。
 ジェイドは、巨大なドラゴンとしての姿を取った五十鈴の背に乗せられ、空を流れる星のような速さで飛んでいた。
 既に見えなくなった朝烏が追ってくる様子はない。
 ジェイドは凄まじい速度で飛び続ける五十鈴の鱗をそっと撫でて、小さく、しかしはっきりと囁いた。

「きちんと、話をしような」

 きゅぅ、と返った鳴き声は、叱られたこどものものによく似ていた。

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