小説
三十話



「…………奥に置いていかれた」

 ジェイドは呆然と呟き、ふらりと頭を揺らした。

「……別に、そのほうが都合いいし……」

 今までなにかと自分についてきたがった五十鈴に置いていかれたことくらい、なんとも思っていない、とジェイドは自分に言い聞かせる。なにより、五十鈴が自分を置いていったのは厳密には初めてではない。一回だけだけれど、あることはあるのだ。たった一回だけど。一回だけだけれど。完全な別行動というわけでもなかったけれど。
 ジェイドはふるふると頭を振ると、大層凶悪なご面相になってゆっくり歩きだす。
 暫く歩けばジェイドの顔つきも平素のものに戻り始め、そのささくれだった神経も落ち着きを見せる。
 そうして冷静さを取り戻した思考で巡らせるのは、五十鈴のこと。
 正確には、ドラゴンという種の能力。
 ジェイドは五十鈴と出会ってからの自身の思考に疑問を抱くように、抱けるようになった。奇しくも、それは五十鈴という存在を受け入れてから。
 五十鈴が決して自分と同一の存在ではないと、理解、納得をしてからのこと。
 ジェイドはあまり他者を身の内に受け入れるような人間ではない。にも拘わらず、状況として仕方なかったとはいえ五十鈴が共にいることを許し、その存在を許容、受容し、心を傾けるまでにかかった時間はあまりにも短く、早い。
 ジェイドはそのことに、疑問を抱いたのだ。
 これは、ほんとうに自分の意思だろうか、と。
 自分に訪れた急速な変化はあまりにも「異常」ではないか、と。
 疑問の片鱗を零した際に見せた五十鈴の様子で、ジェイドは確信した。
 五十鈴はジェイドに言っていないなにかを隠している。
 それは恐らく。

「……此処か」

 ジェイドの足が目的地へ辿り着いた。
 アーレンス魔物研究所。
 国内では魔物に関する研究が最も進んでいるという研究所であり、訪問を取り付けるためにジェイドは久々にプラチナランクとしての名声を使った。
 現地で多くの魔物と接してきた高ランクの冒険者の体験談は、その筋の研究者にとってとても興味深いのだ。多くの場合は無碍にされず、むしろ歓迎される。
 今回も殆ど二つ返事で了承され、急な訪問を受け入れてもらったジェイドである。受付で名前を言えば、胡乱な顔をしていた相手がぱっと輝いた表情を浮かべていそいそと呼び鈴を鳴らす。
 間をおかず駆けてきたのは白衣姿の壮年男性。ジェイドを見るなりにこにこと相好を崩している。

「やあやあ、ビッテンフェルトさん! 初めまして、私がコルネリウス・アーレンスです」
「ジェイド・ビッテンフェルトです。お忙しいなか、どうも」
「いえいえ、そんなこと! さあさ、なかへどうぞ」

 所長自ら案内に出てくるほどの歓迎振りに、これは根掘り葉掘り訊かれるな、とジェイドは早々にうんざりするが、それを差し引いても知りたいことがあるのだから仕方がない。
 案内された応接間でやたらと濃い珈琲を供され、早速とばかりにコルネリウスが「本日の訪問についてですが」と話を始める。

「魔物、ドラゴンについて知りたい。その、固有能力について」
「ふむ、難しいところですな。冒険者であるビッテンフェルトさんがなによりご存知かと思われますが、ドラゴンは未知の部分があまりにも多い。そも、遭遇回数が少なく、討伐回数もまた極端に少ない。研究に到れるほどの事例がほぼないと言ってもいい」
「だが、多少はある」
「然り、ですな」

 コルネリウスは珈琲を飲み、迷うように視線を彷徨わせる。

「学会で大笑いされたようなものであれば、多少は」
「なんでもいい、教えてもらえるなら」
「では……」

 重い口ぶりでコルネリウスは話し始める。
 まず、ドラゴンは数そのものが少ないと見做されていること。これはドラゴンの数が多ければ、その巨体故に目撃件数がもっとあって然るべきであるから。
 また、ドラゴンは人里近くに現れない限り目撃されないことから、幻術系の魔法に長けている可能性。幻術は幅広く、姿を隠すもの、相手の認識を歪めるものなどがある。

「私は……ドラゴンという種をとても知性の高い生き物だと思っています。先程個体そのものが少ないのでは、とお話しましたが、己の種族が先細ることを知っているドラゴンが、その事態をそのままにしておくでしょうか。私は、隠蔽能力に長けるドラゴンが態々人里近くに現れるのは、相応の理由があるのではないか、と考えているのですよ……」

 最後は自嘲混じりにコルネリウスは締めた。
 ジェイドは静かな眼差し珈琲の表面を見つめ、瞼を閉ざす。
 再び開いたときには凪いだ色が翡翠色を覆い、ジェイドの心はひどく穏やかになっていた。

「貴重な話を聞けて感謝する」
「いえいえ」

 それで、とコルネリウスは身を乗り出した。

「私もビッテンフェルトさんにお聞きしたいことがですね!!」

 先程の落ち着いた様子からは打って変わって興奮をむき出しにするコルネリウスに顎を引きながら、ジェイドはどうにかこうにか頷き、彼が満足するまで今まで出会った魔物や、その行動について話して聞かせた。
 どうにかこうにかアーレンス研究所を出られたのは、二時間も経ってからで、うんざりと肩を落として歩くジェイドの隣へ、五十鈴がごく自然に並ぶ。

「酷くお疲れであるな」
「……まあな」

 ジェイドは五十鈴を抱き寄せて、その額へ口づける。ぴゃっと五十鈴が飛び上がった。

「ななななっ」
「奥、さっきのやつはどうした?」
「……覗き見趣味のものであった故、軽く説教をして放置した」
「覗き見ぃ?」
「あれは魔眼持ち。覗きも同然の魔眼よ。吾は好まぬ」

 むすっとした様子の五十鈴にそうか、と頷き、ジェイドはふと空を見上げる。
 そろそろ日が傾き始めた空には、雲があるばかり。まさか、飛翔するドラゴンの姿などありはしない。

「奥」
「あい?」
「……なんでもない」
「……左様か」

 ジェイドは自分から五十鈴の手を取り、その手を引いて歩いた。
 この手が離れることがないように願っていたのは、ジェイドと五十鈴、どちらであったのだろう。

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